ジョン・マクレガー著
現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第17回)
黒い森と呼ばれる山岳地帯の嵐をやり過ごし、ドナウ川の源流に近いドナウエッシンゲンに着いたところで、いよいよ源流地帯からの川下りというわけですが、街は大きな合唱大会の準備で大賑わいなのでした。
窓という窓に飾りをつけたり装飾品が置かれたりしていたので、ぼくも自分用に一つ作った。カヌーのバウ(船首)に小さな青い絹の英国旗を揚げ、帆には花や葉を飾りつけた(自分でいうのも何だが、なかなかの出来映えだ)。祝意を示すぼくの飾りはすぐにドイツ人たちの目にとまった。彼らは歓声をあげ、その喜びを歌で表現し、アドリブで替え歌を作ってイギリスをたたえた。カヌーの周囲で歌ったり、笑ったり、叫んだり、若さあふれる大声で陽気に万歳と唱えたりもしている。ドイツ人は沈着冷静だなんて、もう二度と言ってくれるな。
夕方にはミュージアムで大宴会が行われた。「だれでも無料」という言葉につられて、四百人もの人々がやって来た。誰もが大きなガラスのジョッキで一杯一ペニーのビールを飲み、一本一ファージングの葉巻を吸った*1。誰も彼もしゃべったり歌ったりしている。すぐ横では名高い吹奏楽団が演奏しているのだが、演奏が一段落するたびに、自然発生的に歌やコーラスが始まるのだった。
あぜんとするような、なんとも刺激的な熱狂に満ちた出来事で、その熱狂のど真ん中に座っている者にとっては、何もかもが目を見張り好奇心をそそられるものだった。ぼくの隣には本を売っている若者がいた。この日の午前中にぼくがフランス語の本を買った相手だった。彼は日曜の演奏会ではチケットが必要だと教えてくれた。とはいえ、ぼくは彼にこう説明した。自分は英国人で、母国では日曜に歌をうたったりするのは神のご意志に反することなんだよ、と。では日曜は何のためにあるのかというと、善行を施すためだ。一週間のうちで、この貴重な一日くらいは商売や娯楽や日常生活の些事に振りまわされないためにとっておくべきで、そうしないとその意味がすぐに忘れられてしまう。それに、一週間という区切りが日曜日で明確にならず、高尚で深みのある事柄や純粋で永続的な事柄について少なくとも数時間は心を向けておく核になる日がない国々では、時間の経過にメリハリがなく、漠然と同じような日々が過ぎていくという感覚にはならないのだろうか?
というわけで、ぼくは合唱大会のためにファーステンバーグ伯爵から提供されている豪華なホールで互いに声を張り上げている陽気な歌い手たちのところを辞したのだった。この伯爵は近くに厩舎も所有していて、多くの駿馬を飼っていた。極上の何頭かは英国産で、馬房にはそれぞれ「ミスなんとか」、「ペット」、「レイディーなんとか」、「トム」などという名前が書いてあった。
その後で、ぼくは英国のある紳士と出会ったのだが、彼はドイツを四頭立ての馬車で旅してきて、ドナウエッシンゲンに着いたのだった。その情報はすぐに伯爵の耳にも届き、翌日には伯爵自身が厩舎まで足を運んで、その英国からの訪問者と面会したらしい。伯爵は施設全体を案内してまわり、すべてを事細かに説明してくれた。ところが、その後に判明したところでは、この訪問してきた英国紳士なる人物は、伯爵が英国に所有する厩舎の雇い人にすぎなかったそうだ。
旅行者の目で見ると、ホテルで働いているドイツ人のウェイターのほとんどは頭がよく、しっかり働き、気立てもよいのはたしかだ。旅行しているときの日々の楽しみの多くは、そういう人々の接客態度に左右される。たとえば、このポルテ・インには、一人の小柄なウェイターがいた。体つきは少年のようだが、実際は二十歳を超えているように見える。顔は平板で幅が広く、肌は茶かっ色で、同じ色の上着を着ている。両肩は盛り上がっていて、その様子はどこか、首に分厚いマフラーを巻いた格好でロンドンの街角に立ち、それぞれ別の方向を見ながら頬をふくらませてチューバを吹いている、永遠に年をとらないドイツの四人の少年たちを思い出させた。彼らの冷たい灰色の目はすべてに向けられているが、まるで感覚がなくなった彼らの赤い指に支えられた、巨大な、手入れもされていない楽器からは、音楽というか騒音というか、そういう音が機械仕掛けのように漏れ出てくるのだ。
で、このウェイターの青年は一日中、すべての客にお辞儀をし、夜は夜で休む間もなく、すっかり暗くなった夜の十時にも、夜明けのコーヒーを準備する早朝でも愛想がよく、客がそれぞれ自分が食する骨なし肉やコニャックについて世紀の一大事だといわんばかりのときも、そうですねと同意するのだった。
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訳注
*1: ファージング - イギリスの通貨の単位で、1ペニーの4分の1。
ペニーはポンドの補助通貨で、1ポンド=100ペンス(ペンスはペニーの複数形)。
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