それ以外にもトラブルや疑問がぼくを待ち構えていた。たとえば、こういう問題だ。南半球で、太陽が北の方向にあるとき、クロノメーターを使った天測を早朝に行うことができる。ぼくは午前八時に観測した。この観測で必要な要素の一つは緯度だ。正午に子午線南中時を観測すれば緯度がわかるのだが、午前八時に観測で位置を出すには午前八時の緯度が必要になるのは言うまでもない。むろん、スナーク号が時速六ノットで真西に進んでいるのであれば、四時間後も緯度は変化しない。真南に進んでいれば、緯度は二十四海里の距離分だけ変化する。この場合は十二時の緯度から簡単な足し算か引き算で午前八時の緯度が得られる。だが、スナーク号が南西に航海しているとしたらどうだろう。そこでトラバース表の出番になる*1。
具体的な話をしよう。午前八時、ぼくは観測を行った。同時に、航海記録に書いてある帆走距離もメモした。正午の十二時に太陽を観測して緯度を求めた。ここでも航海記録のデータをメモした。それによれば、スナーク号は八時の地点からは二十四海里進んでいた。針路は西四分の三南である。ぼくは四分の三ポイントのコースを記載したページの距離欄の表Iで、航海距離を示す二十四のところを見た。表の反対側の二つの欄では、スナーク号が南に三・五海里進み、西には二十三・七海里進んだことになっている。これがわかれば、午前八時の自分の居場所を知るのは簡単だ。緯度については正午の緯度から三・五海里を引けばよい。要素はすべて出そろったので、ぼくは経度にとりかかった。
黒いダイアモンド:サモア諸島サバイイ島の娘たち(上の中央はロンドン夫人のチャーミアン)
求めるのは午前八時の経度だ。八時から正午まで二十三・七海里西に進んだことになっている。とすれば、正午の経度はどうなるのか? ぼくは所定の手順に従ってトラバース表のIIを見た。手順に従って表を見ていくと、四時間の経度の差を距離に換算すると二十五海里になるとわかった。またもやがく然となってしまう。机に向かって決められた手順で何度調べても測定した経度の差は二十五海里になってしまうのだ。お手上げだ。後は寛容なる読者の手にゆだねよう。もし君が二十四海里の距離を航海し、緯度の計算で(南北に)三・五海里進んだとする。そのとき、どうすれば経度で(東西に)二十五海里も進むことができるのだろうか? 仮に緯度は変化させずに真西に二十四海里進んだとしても、いったいどうすれば東西方向に二十五海里も進めるというのだろうか? 人間が論理的に考える存在である限り、帆走した総距離プラス一海里もの経度を進むことが、どうすれば可能になるのだろう?
使ったトラバース表は定評のあるもので、ほかならぬバウディッチの本だ。(航海術の規則がそうであるように)計算に使うルールは単純だった。ぼくが間違ったということではない。この問題で一時間も悩んでしまった。進んだ距離は二十四海里のはずなのに、どうしても緯度で三・五海里、経度で二十五海里も進んだ計算になるのだ。最悪なのは、誰も助けてくれる者がいないということだ。チャーミアンもマーティンも、航海術の知識はぼくとどっこいどっこいだ。しかも、その間もスナーク号はずっとニューへブリディーズ諸島のタナ島に向かって進んでいるのだ。何とかしなければならなかった。
その思いつきがどうやって浮かんできたのかわからないのだが、インスピレーションとでもいうのだろうか。ふとひらめいた。南に向かうことが緯度をかせぐことになるのであれば、西に向かうことは経度をかせぐことになるはずではないか? 西に進むのをいちいち経度に変換しなければならない理由は何だろう? すると、ぐっと視界が開けてきた。赤道では経度一度は距離にして六十海里である。極地では一点に集まっている。とすれば、ぼくが北極に到達するまでに経度百八十度を航海する必要があり、グリニッジの天文学者が経度ゼロを北極点までそのまま北上したとすれば、ぼくらが数千海里離れていたとしても互いに北極に向かって出発し握手をすることができるはずだ。話を元に戻すと、経度一度の幅は赤道で六十海里の距離になるのだが、同じ経度一度でも、北極ではそんな幅は存在しない。となれば、北極と赤道の間のどこかに幅が半海里のところや一海里のところがあるだろうし、十海里や三十海里、六十海里のところもあるはずだ。
[写真]
P254
村の娘たち(サモア諸島のサバイイ島)
すべてがまた明白になった。スナーク号は南緯十九度にいた。この場所の地球は赤道ほど大きくないのだ。だから、南緯十九度で西進すると、一海里ごとに経度で一分を超えてしまう。経度一度は六十海里で、一度は六十分だが、この六十分は赤道付近においてのみ六十海里の距離になる。ジョージ・フランシス・トレイン*2はジュール・ベルヌの記録を破った。しかし、ジョージ・フランシス・トレインの記録を破りたい者がいれば、誰にでも可能だ。高速蒸気船に乗ってホーン岬と同じ緯度をそのまま真東に進むだけでいい。高緯度では地球の経線間の距離はぐっと縮まっているし、避けなければならない陸地もない。その蒸気船が十六ノットを維持していれば、わずか四十日で地球一周できるだろう。
[脚注]
*1: トラバース表 - 航海で針路と緯度がわかれば目的地までの距離がわかるようにした表。二点間の距離は簡単な三角関数で計算できるが、その計算結果を一覧表形式にまとめたもの。
*2: ジョージ・フランシス・トレイン(1829年~1904年) - 高速のクリッパー型帆船による外洋航路や大陸横断鉄道の開発を行ったアメリカの実業家。ジュール・ベルヌの『八十日間世界一周』は彼の世界旅行にヒントを得て、主人公のフィリアス・フォッグのモデルはトレインだとされる。なお、時系列で整理すると、ベルヌの本の出版はトレインの旅行が話題になった数年後なので、ジョージ・フランシス・トレインが八十日間世界一周という本の記録を破ったというのは、航海記の執筆から四十年ほど前の話で著者の記憶違いかもしれない。