スナーク号の航海 (51) - ジャック・ロンドン著

ぼくらは馬に乗り、黄色い花粉をつけた桂皮が繁茂している、無限にも思えるやぶの海を進んでいった。ともかくも馬の背中にしがみついてはいるのだから、馬に乗っていると呼べるだろう。この茂みは香りが強くて、ススメバチが住み着いていた。なんというハチだ! 黄色い巨大なやつで、小さなカナリアの倍くらいの大きさはあった。二インチもの長さの脚を後方に流した状態で、矢のように飛んでいく。雄馬がいきなり前脚で立つ格好で、後ろ脚を空に向けて蹴りあげた。つきだした脚を引っこめると、乱暴に前方にジャンプし、それから元の位置にもどった。なんのことはない。馬の皮膚は分厚いのだが、スズメバチの針に刺されたのだ。と、二頭目、三頭目の馬も、さらにはすべての馬が急峻な崖の上で前脚立ちになって跳ねまわった。ビシャ! 猛烈なやつがぼくのほほに突き刺さった。また来た! 首を刺された。ぼくは最後尾にいたので、他の連中よりたくさん刺された。退却することはできない。馬たちは前方に突進し、危険で安全も約束されていない道を駆けた。ぼくの乗った馬がチャーミアンの馬を追いこすとき、この繊細な生物は絶好のタイミングでまた刺されたものだから、後脚のひずめでぼくの馬とぼくを蹴った。ぼくは馬が鋼鉄の靴をはいていなかった幸運に感謝した。さらに刺されたときは、サドルから半分立ち上がった。ぼくはたしかに他の連中より多く刺されたし、それは馬の方も同じだったが、痛みと恐怖はぼくの方が大きかっただろう。
「あっちいけ、じゃまするな!」と、ぼくは自分のまわりにいる羽をつけた毒蛇を帽子ではたきおとしながら叫んだ。
道の片側はほぼ垂直の壁になっていた。反対側は崖で、下の方まで落ちこんでいる。いまの状態から逃れる唯一の方法は、この道をそのまま進むしかなかった。馬の脚が丈夫なことは奇跡だった。前方に向かって突進し、抜きつ抜かれつで全速力で走り、駆け、つまづき、飛び上がり、よじ登り、スズメバチがとまるたびに空に向かって脚を蹴り上げた。やがて、ぼくらはひと息つけるようになり、何カ所刺されたか数えあった。こんなことは一度や二度じゃなかった。何度も何度もあった。妙な言い方になるが、だからといって慣れるということはなかった。ぼく個人としては、ヤブにさしかかるたびに死にものぐるいで暴れまくって走り抜けたのだ。そうとも、タイオハエからタイピーまでの巡礼では、退屈で途中であくびをかみ殺すということはない。

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マルケサス島でカメラ撮影

やっとの思いでスズメバチに悩まされないところまで登った。ぼくらの不屈の精神が勝ったのではなく、単に生息域より高い場所にきたというだけだ。周囲は、見渡す限り脊梁山脈の荒々しい峰々が貿易風の雲に向かってつきだしていた。はるか下の方に見える穏やかなタイオハエ湾には、スナーク号が小さなオモチャのように浮かんでいた。正面には内陸まで入りこんでいるコントローラー湾が見えた。タイピーは、ぼくらがいまいるところから千フィートも下にある。「天国の庭園が眼前に広がっているようだ。これほどうっとりする光景を見たことがない」と、この渓谷をはじめて見たメルヴィルは言った。彼は庭園を見たのだ。ぼくらが見たのは荒野だった。彼が見た百列ものパンの木など、どこにある? 見えるのはジャングルだけだ。密林以外に何もない。例外は二軒の草ぶき小屋と、原始からの緑の絨毯を破って育っているココナッツ林だ。メヒヴィのティはどこにあるんだろう? 若い男だけの、女人禁制の宮殿――メルヴィルが若い将来の村長(むらおさ)候補たちとたむろしていたあの建物――はどこにあるのだろう? ほこりをかぶったまま眠っている、勇ましかった昔を思い出すために保管されていた半ダースの聖なる盾はどこにあるのか? 流れの急な小川から未婚や既婚の女たちがタパ布をたたく音が聞こえくることもなかった。老ナルヘヨが造っていた小屋はどこにあるんだ? 丈の高いココナツの木に登って地面から九十フィートのところでたばこを吸っている案内人に聞いてみたが無駄だった。

ぼくらは密林の中を通っている曲がりくねった道をくだっていった。頭上には樹木がアーチ状に枝を伸ばしている。巨大な蝶が音もなく漂うように飛んでいた。こん棒やヤリを手にし、入れ墨を入れた野蛮人が道を守っているというわけでもなかった。ぼくらは小川を渡るときだけ、好きなところを歩くことができた。タブーもなければ、聖なるものも無慈悲なものも、このすばらしい渓谷にはなかった。いや、タブーはまだ存在していた。ぼくらが何人かの気の毒な現地の女に近づきすぎると、ぼくらは警告を受け阻止された。無理もない。彼女たちはハンセン病患者だったからだ。ぼくらに警告した男はといえば、象皮病に苦しんでいた。全員が肺の病気に苦しんでいた。タイピーの谷には死が充満し、部族で生き残った連中は、この部族で最後となる苦痛に満ちた息をしているのだった。

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バナナの木の下で

たしかに、この戦いでは強者が勝利したのではなかった。というのも、かつてタイピーの人々はとても強かったのだ。ハッパーの連中より強く、タイオハエの連中より強く、ヌクヒヴァのすべての部族より強かった。「タイピー」や「タイピ」という言葉は本来は人肉を食う人を意味した。マルケサスの人々は他の部族も含めてすべて人肉を食べていたのだが、そのなかでも、タイピーの連中は並外れて人肉を食うということを指しているのだ。ヌクヒヴァだけでなく、タイピーの連中は勇敢で残忍だという評判は広がっていた。マルケサス諸島のすべてで、タイピーという呼び名は恐怖につながる。だれもタイピーを征服することはできなかった。マルケサスを領有したフランスの艦隊でも、タイピーだけはそのままにしておいた。フリゲート艦エセックスの船長ポーターがかつてこの谷に侵攻してきたことがある。配下の水兵や海軍兵士に加えてハッパーとタイオハエの戦士二千人がかり出された。彼らはこの谷に攻めこんだが、猛烈な抵抗に遭って退却し、ボートや戦闘用カヌーに乗って逃げかえったのだ。

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