スナーク号の航海 (51) - ジャック・ロンドン著

南太平洋の島々の住民すべてのうちで、マルケサス諸島の人々が最強で、最も美しいとみなされていた。メルヴィルは彼らについて「とくに体の強さと美しさに強い印象を受けた…。姿態の美という点では、これまでに見たどの民族よりもすぐれている。体に自然にできた傷のようなものはないか探してみたが、酒宴に参加している群衆の誰一人として美形でないものはなかった。完全さをそこなうシミ一つないように見えた。彼らが肉体的にすぐれているという意味は、単に異形なところがないというだけではなく、ほとんどすべてが彫刻家のモデルにもなれそうなくらいだった」 マルケサス諸島を発見したメンダーニャ*1も先住民は驚くほど美しいと形容している。メンダーニャの航海を記録したフィゲロアは彼らについて「肌の色はほとんど白く、均整のとれた美しい体をしていた」と述べている。キャプテン・クックは、マルケサス人を南太平洋でひかり輝いている島民と呼んだ。彼らは「ほぼ全員が長身で、六フィート(約百八十センチ)以下の者はまずいない」と。

ところが、今では、この強さと美しさは消えてしまっていた。タイピー渓谷は、ハンセン病や象皮病、結核に苦しめられている何十人もの悲惨な境遇にある人々の住む地となっていた。メルヴィルは、近くにある小さなホオウミの谷をのぞいて、人口を二千人と推定した。気候は申し分なく、健康的なことでは世界のどこにも引けをとらない、このすばらしい楽園で、生命は腐りはてようとしていた。肉体的にすばらしいだけでなく、タイピーの人々は純血だった。この島の大気には、ぼくらの住む世界に充満している病原菌や細菌など病気をもたらす微生物が含まれていなかったのだ。そして、やがて白人たちが船でやってきて、さまざまな病原菌が持ちこまれたため、タイピーの人々はめちゃめちゃにされて倒れていったのだ。

こうした状況について考えていくと、白人は不純物と腐敗の上に繁栄しているのだという結論をだしたくなる。とはいえ、これを自然淘汰で説明することは可能だ。ぼくら白人は、微生物との戦いで何千世代にもわたり生き残ってきた人々の子孫なのだ、と。つまり、こうした病原菌という敵に弱い体で生まれてきた者はすぐに死んでしまい、耐性を持った者だけが生き残っているのだ。いま生きている僕らは、たちの悪い病原菌が蔓延した世界に最もよく適応し免疫ができているというわけだ。かわいそうなマルケサス人は、そういう自然淘汰の洗礼を受けていなかった。彼らには免疫がなかった。そして敵を食べるという風習を持っていた者たちが、今は顕微鏡でしか見えないほど微細な敵にむしばまれているということになる。この戦いでは、勇猛果敢に突進してヤリを投げるといったことはできないのだ。一方で、かつて数十万人いたとされるマルケサス人で現在までに生き残った人々は、有機毒の煮えたぎるような風呂に飛びこむことを再生と呼べるのであれば、生まれ変わり再生した新しい種としての生存の土台を築いていく可能性もある。

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波をさえぎってくれる珊瑚礁

ぼくらは昼食のため馬をおりた。いがみあう馬同士を離すのも一苦労だった。ぼくの馬は背中を何カ所か新たにかまれていた。サンドフライというブユみたいなやつに悩まされたあげく、ぼくらはバナナと缶詰の肉を口に押しこみ、ココナツミルクで勢いよく流しこんだ。見るべきものはほとんど何もなかった。かつて人間が切り開いたところは再生した密林に浸食され飲みこまれつつあった。あちこちに建物の土台が見えたが、碑などはなく、文字が彫られているわけでもなく、過去の証(あかし)となる手がかりはなかった。あるのは、かつて手作業で造られるか削られるかした、ありふれた石ころだけで、それにもほこりが積もっていた。土台内部から、大きな木が育ってきていた。人間の痕跡を消そうとして、かつては土台となっていた石を割り、散逸させて、原始の混沌が出現しかけているのだった。

ぼくらは密林での探索を放棄し、サンドフライを避けようと小川を探した。だが無駄だった! 泳ごうとすれば、まず服を脱がなければならない。サンドフライはちゃんとそのことを知っていて、とんでもない数のサンドフライが土手で待ち伏せしていたのだ。島の言葉ではナウナウと呼ぶ。英語では今ということだが、その名前の通り、過去や未来の話ではなく、今この瞬間に自分の肌の上にいるというのが問題なのだ。賭けてもいいが、ウマル・ハイヤームだって、このタイピー渓谷にいて『ルバイヤート』を書くなんてことは絶対にできなかったはずだ。心理的に不可能だ。ぼくは、川岸が崖になっているところで服を脱ぐという戦略的な誤りをおかしてしまった。川には飛びこめるが、そこからすぐには岸に戻れない。川から上がって服を着ようとして、服を脱ぎすてたところまで百ヤードほど歩いて行かなければならなかった。一歩踏み出したとたん、何万というナウナウが飛びかかってきた。二歩目には、空が暗転した。その後どうなったか覚えていない。脱いだ服のところまで戻ったときには、頭がおかしくなっていたし、ここでも戦術的な誤りをおかしてしまった。ナウナウに対処する鉄則は一つしかない。やつらをたたいてはだめなのだ。他にどんなことをしてもいいが、絶対にたたきつぶしてはだめだ。たちが悪くて、たたきつぶされる瞬間に、やつらは毒を獲物の体に注入してしまうのだ。親指と人差し指でそっとつまみ取り、皮膚から吻(くちさき)を引きはがすようにする。歯を抜くような感じだが、むずかしいのは、引きはがされる前にすばやく突き刺してしまうのだ。だから、たたきつぶしてしたとしても、体にはすでに毒が入りこんでしまっている。この体験は一週間前の出来事だ。ぼくはいまも、あわれにも放置されたあげく回復しつつある天然痘患者みたいになっている。

南太平洋の島々の住民すべてのうちで、マルケサス諸島の人々が最強で、最も美しいとみなされていた。メルヴィルは彼らについて「とくに体の強さと美しさに強い印象を受けた…。姿態の美という点では、これまでに見たどの民族よりもすぐれている。体に自然にできた傷のようなものはないか探してみたが、酒宴に参加している群衆の誰一人として美形でないものはなかった。完全さをそこなうシミ一つないように見えた。彼らが肉体的にすぐれているという意味は、単に異形なところがないというだけではなく、ほとんどすべてが彫刻家のモデルにもなれそうなくらいだった」 マルケサス諸島を発見したメンダーニャ*1も先住民は驚くほど美しいと形容している。メンダーニャの航海を記録したフィゲロアは彼らについて「肌の色はほとんど白く、均整のとれた美しい体をしていた」と述べている。キャプテン・クックは、マルケサス人を南太平洋でひかり輝いている島民と呼んだ。彼らは「ほぼ全員が長身で、六フィート(約百八十センチ)以下の者はまずいない」と。

ところが、今では、この強さと美しさは消えてしまっていた。タイピー渓谷は、ハンセン病や象皮病、結核に苦しめられている何十人もの悲惨な境遇にある人々の住む地となっていた。メルヴィルは、近くにある小さなホオウミの谷をのぞいて、人口を二千人と推定した。気候は申し分なく、健康的なことでは世界のどこにも引けをとらない、このすばらしい楽園で、生命は腐りはてようとしていた。肉体的にすばらしいだけでなく、タイピーの人々は純血だった。この島の大気には、ぼくらの住む世界に充満している病原菌や細菌など病気をもたらす微生物が含まれていなかったのだ。そして、やがて白人たちが船でやってきて、さまざまな病原菌が持ちこまれたため、タイピーの人々はめちゃめちゃにされて倒れていったのだ。

こうした状況について考えていくと、白人は不純物と腐敗の上に繁栄しているのだという結論をだしたくなる。とはいえ、これを自然淘汰で説明することは可能だ。ぼくら白人は、微生物との戦いで何千世代にもわたり生き残ってきた人々の子孫なのだ、と。つまり、こうした病原菌という敵に弱い体で生まれてきた者はすぐに死んでしまい、耐性を持った者だけが生き残っているのだ。いま生きている僕らは、たちの悪い病原菌が蔓延した世界に最もよく適応し免疫ができているというわけだ。かわいそうなマルケサス人は、そういう自然淘汰の洗礼を受けていなかった。彼らには免疫がなかった。そして敵を食べるという風習を持っていた者たちが、今は顕微鏡でしか見えないほど微細な敵にむしばまれているということになる。この戦いでは、勇猛果敢に突進してヤリを投げるといったことはできないのだ。一方で、かつて数十万人いたとされるマルケサス人で現在までに生き残った人々は、有機毒の煮えたぎるような風呂に飛びこむことを再生と呼べるのであれば、生まれ変わり再生した新しい種としての生存の土台を築いていく可能性もある。

[写真P.171]
波をさえぎってくれる珊瑚礁

ぼくらは昼食のため馬をおりた。いがみあう馬同士を離すのも一苦労だった。ぼくの馬は背中を何カ所か新たにかまれていた。サンドフライというブユみたいなやつに悩まされたあげく、ぼくらはバナナと缶詰の肉を口に押しこみ、ココナツミルクで勢いよく流しこんだ。見るべきものはほとんど何もなかった。かつて人間が切り開いたところは再生した密林に浸食され飲みこまれつつあった。あちこちに建物の土台が見えたが、碑などはなく、文字が彫られているわけでもなく、過去の証(あかし)となる手がかりはなかった。あるのは、かつて手作業で造られるか削られるかした、ありふれた石ころだけで、それにもほこりが積もっていた。土台内部から、大きな木が育ってきていた。人間の痕跡を消そうとして、かつては土台となっていた石を割り、散逸させて、原始の混沌が出現しかけているのだった。

ぼくらは密林での探索を放棄し、サンドフライを避けようと小川を探した。だが無駄だった! 泳ごうとすれば、まず服を脱がなければならない。サンドフライはちゃんとそのことを知っていて、とんでもない数のサンドフライが土手で待ち伏せしていたのだ。島の言葉ではナウナウと呼ぶ。英語では今ということだが、その名前の通り、過去や未来の話ではなく、今この瞬間に自分の肌の上にいるというのが問題なのだ。賭けてもいいが、ウマル・ハイヤームだって、このタイピー渓谷にいて『ルバイヤート』を書くなんてことは絶対にできなかったはずだ。心理的に不可能だ。ぼくは、川岸が崖になっているところで服を脱ぐという戦略的な誤りをおかしてしまった。川には飛びこめるが、そこからすぐには岸に戻れない。川から上がって服を着ようとして、服を脱ぎすてたところまで百ヤードほど歩いて行かなければならなかった。一歩踏み出したとたん、何万というナウナウが飛びかかってきた。二歩目には、空が暗転した。その後どうなったか覚えていない。脱いだ服のところまで戻ったときには、頭がおかしくなっていたし、ここでも戦術的な誤りをおかしてしまった。ナウナウに対処する鉄則は一つしかない。やつらをたたいてはだめなのだ。他にどんなことをしてもいいが、絶対にたたきつぶしてはだめだ。たちが悪くて、たたきつぶされる瞬間に、やつらは毒を獲物の体に注入してしまうのだ。親指と人差し指でそっとつまみ取り、皮膚から吻(くちさき)を引きはがすようにする。歯を抜くような感じだが、むずかしいのは、引きはがされる前にすばやく突き刺してしまうのだ。だから、たたきつぶしてしたとしても、体にはすでに毒が入りこんでしまっている。この体験は一週間前の出来事だ。ぼくはいまも、あわれにも放置されたあげく回復しつつある天然痘患者みたいになっている。

[訳注]
*1: アルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラ(1542年~1595年)。スペイン出身の南米ペルーを拠点にした探検家。インディオに伝わる黄金伝説を信じて南太平洋を探検する途中で、マルケサス諸島にも上陸している。ソロモン諸島への入植などを試みたが失敗。同諸島の一部ともなっているサンタクルーズ諸島で死亡。先住民との戦いで殺されたともマラリアで病死したとも言われている。

 

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