現代語訳『海のロマンス』117:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第117回)

雨のリオ

いつの間にか暖かい小雨が、泊地の湾の風光を霞(かすみ)の裏にこめて、音もなく粛々(しゅくしゅく)と降っている。

心地よく伸びた四肢を長々と湯舟の中に横たえながら、静かに落ち着いた悠遠(ゆうえん)の心を抱いて物憂(ものう)げに重い頭をもたげる目の前に、晴れやかな銀色の矢のような雨が青い船窓(スカッツル)を涼しく上下に貫いて降っている。

軽い雨脚(あまあし)が広々とした水郷の波にささやいて煙(けむ)るがごとき情趣を生じきたるとき、観る人の心は平安で悠久な夢幻境(むげんきょう)に誘いこまれるのである。

この平安なる心を抱いてこの優美なる景色美に対している。

何かの観照的反応が起こらねばならぬ。いたずらに天井を仰いで、湯気(ゆげ)が露(つゆ)となり露が雫(しずく)となる物理的現象を凝視しているばかりが能ではあるまい。

ところが、ぼくといえども、もとより木や石ではなく感情を持った人間だ。さすがに腹から横隔膜の辺にかけて、「美意識」とやらいう、軽いくすぐったい塊(かたまり)がフワフワと戸惑(とまど)っている。この塊が上洛(じょうらく)して頭の中にうまくおさまったとき、人は逆上したという。啓示(ヒント)を得たという。神来(インスピレーション)を授かったという。

ところがどうも、もう一息であっぱれ詩人という瀬戸際まで行っては、また思い返したように逆戻りしてくる。盛んに呻吟(しんぎん)し、盛んに心を奪われたりする。この様子では、苦労に苦労を重ねてようやく詩人となる時分には、すっかり意地が悪く、根性が曲がってひねくれた人間ができあがることとなる。盆栽(ぼんさい)の松ではあるまいし、そうひねくらされてたまるものかと、そこそこに出てしまう。

相変わらず静かな寂しい暖かい雨が、ぼくが湯から上がったのとは何らの交渉も盛衰もないという様に、音もなく銀色に降っている。かく静かにふるまうこそ、わが約束であり、わが使命であるというように、軽くほほえみながら降っている。

コルコバドの峰をおろしてきた涼しい風は、なよやかなこれらの雨の足元をくぐって船の載荷門(カーゴポート)にその忍び口を見い出す。湯上りのほてった身体からあふれでる温氣(うんき)がその涼気に静かに奪い去られて、弛緩(しかん)せる肉が快い緊張に覚醒(かくせい)するとき、たちまち明確に具象化した美意識が心頭に躍動してくる。

It is not raining rain to me, 雨が降っているが、わたしにではない
It is raining daffodils!  ラッパ水仙に雨が降っている
In every dimpled drop I see, 目に見えるくぼんだ雨粒すべてに
The wild flowers on the hills. 野山の花々に。
It is not raining rain to me  雨が降っているが、わたしにではなく
But fields of clover bloom,  花咲くクローバーの野原に
Where every buccaneering bee, —— 海賊のような花蜂すべてに
May have a bed room  憩いの場所がある
a health unto the happy!  健やかに幸福を求めて!
a fig for him who frets! 悩みを抱えた者にはささいなこと
It is not raining rain to me. 雨が降っているが、わたしにではない
It’s raining violets, 雨はスミレに降りそそいでいる

ところが、むろん、これはぼくの詩賦(しふ)ではない。太陽をゼ・オールド・ソール、海原をゼ・グレート・メーンなどとしゃれてさかんにぼくを困らせたサンディエゴのミセス・ホラハンの作詩である*。

まだ上陸せぬから果たしてこの土地がかのローマランドのように、水仙やクローバーやバイオレットの花が雫(しずく)するかどうかはわからんが、情趣(じょうしゅ)こまやかに小雨のそそぐ海沿いの街には、美しい豪華(はなや)かな電灯がアルハンブラの昔をしのべとばかり、影を海にひたしている。

見渡せばファローの渡しからテレザの丘にかけて赤く青く紫に群がり咲いている灯(ともしび)の花は、古い形容だが百花繚乱(ひゃっかりょうらん)たる春の野にもたとえるべく、ピエラメルの長堤(ちょうてい)に沿って行儀よく一列に輝いている灯(ともしび)の並木は、あえやかに匂い整斎(せいせい)の感じを与えている。パンダスカルやコルコバドの上には、白く輝きたる夏の星をも蹴落(けお)とさん勢いで、大きな青いガスライトが高く光っている。

これを要するに、景観として眺めるリオの美景は、かの八百八の松島ではなくて、満々たる水と楚々(そそ)たる雨と、美しく夜を飾る灯とにあると思う。

* ミセス・ホラハンの作詞: これは著者の勘違い。
大成丸によるサンディエゴ寄港の数年前に発表された「雨の歌 The Rain Song」という詩の一節で、詩人ロバート・ラブマン(1864年~1923年)の有名な詩にエドウィン・シュナイダーが曲をつけた歌が現在も残っている(「四月の雨」 April Rain と呼ばれることもある)。
推測だが、おそらくホラハン夫人がこの歌が好きで彼らに書き送ったのを勘違いしたのだと思われる。

「雨の歌」がどんな歌から知りたい人は、こちらに動画があります。
(英文の歌詞が字幕で表示されない場合、動画の右下をクリックし設定で切り替え可能)

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