スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (14)

行商人と誤解されたことについて、そう傷ついたというわけではなかった。自分がそういう人たちより上品な食べ方をしたとか、フランス語の間違いだって、ちょっと種類が違うとか思ったとしても、その差が宿屋の女主人や二人の労働者にはまずわからないだろうからだ。ぼくらとジリヤール一家は、この宿屋の食堂では本質的に同じだった。エクトルさんは実際にはぼくらよりずっとくつろいでいたし、他の連中に対しても鷹揚だった。とはいえ、それは氏がロバに荷馬車を引かせていたのに対し、ぼくらはとぼとぼと歩いてやってきたということで説明がつく。たぶん、宿屋の残りの連中は、ぼくらが後からやってきた一家をとても羨望しているとでも思ったことだろう。

一つだけ確かなのは、この無邪気な一家がやってくると、誰もがすぐに打ちとけて、人間らしい交流が生まれ、会話もはずんだということだ。たとえば、この旅の商人にほいほいと大金を預けようという気にはならないが、この人はまっとうな人だとは思っている。善悪が入り混じったこの世界では、ある人に一つか二ついいところがあれば──特にその人の家族全体が快適に暮らしているのであれば──それに満足し、そうした長所以外のことについては目をつぶってもよいのではないか。さらに、もっとよいのは、長所以外のことは気にせず、うまくやっていこうと決めて、難点がたくさんあるとしても、だからといって、それがただ一つの長所を消しさるわけではないと思うようにすることだろう。

夜も更けてきた。エクトルさんは馬小屋で使うランタンをつけ、荷物を整理するために出て行った。息子は服のほとんどを脱ぎ、母親の膝の上で、それから床の上で飛び跳ね、皆の笑いを誘っていた。

「君、一人で寝るの?」と、宿屋で働いている娘がきいた。
「そんなことしないよ」と、ジリヤール氏の息子は答えた。
「でも学校では一人で寝るんでしょ」と、母親が異議をとなえる。「もう大きいんだし」

しかし、息子は、休みの間は学校じゃないと口をとがらせた。学校には寮があるんだから、と。そして、母親にキスの攻撃をして黙らせた。母親は笑っている。一緒に寝るのを一番喜んでいるのは母親なのだ。

この息子が言ったように、実際に一人で寝ることはなかった。というのも、家族三人にベッドが一つしかなかったからだ。ぼくらは二人で一台のベッドというのには頑強に抵抗し、ベッドが二つある屋根裏部屋に寝ることになった。ベッドの脇に家具があり、三つの帽子かけと一脚のテーブルがあった。コップ一杯の水すら用意されていなかったが、運のよいことに窓は開いた。

ぼくらが眠りに落ちる前に、屋根裏部屋に大きないびきが響き渡った。ジリヤール一家も二人の労働者も宿屋の人々もそろっていびきの大合唱をはじめていた。窓の外では、ポン=シュル=サンブルの上に三日月が明るく輝き、ぼくら行商人全員が眠る宿屋を照らしていた。

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