現代語訳『海のロマンス』24:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第24回)


小さきホーム

 四時間の当直勤務をすませた三十人の海賊王の子供たち(シーキングス・チャイルド)は、冷たくなった足を暖めようと期待して小さな寝床へ向かう。

寝床の数は八つ。涼しげな水色のカーテンが引かれた奥に、静かに並んでいる。鈍く光るハンドルを押して入れば、四面を磨いたような白い塗装に反射した海洋(うみ)の光線(ひ)は直ちに瞳に迫ってまぶしいかとばかり視神経を驚かす。拭き清められた二つの舷窓(スカッツル)からあふれ入る海軟風(シーブリーズ)は、芳醇(ほうじゅん)なオゾンの清冽なエキスを五百三十二立方フィートの小さなホームにみなぎらせる。

朝の八時である。ローヤル*1を揚げ、ジブ*2を下ろし、あふれ出るエネルギーにまかせて一気呵成(いっきかせい)に甲板洗いまでこなし、ヘトヘトになった身体(からだ)で、やけにふくよかで暖かい毛布の上に倒れこむ。碧波(なみ)が目もさめるほど窓外にどこまでもつらなっていて、気も遠くなるほどはるかかなたの霞(かす)み匂うあたりまで続き、わずかに一本の髪の毛のような細い水平線(ホライズン)となっている。張り詰めた強弓(ごうきゅう)の弦(つる)のように舷窓(スカッツル)の中央を芋刺しに貫く直線(ライン)は、空の白と濃い青緑色の海をクッキリと二つに断ち切っている。つかのまの休息をむさぼりたい身には、頭をめぐらすことさえ億劫だ。できるだけ瞳孔(ひとみ)を左に寄せて、美しいマドンナの額像を瞳に収める。

ほっと一息ついて一歩部屋に入るときにあざやかに目に飛び込んでくるのが、この清楚(せいそ)なマドンナの像である。ここからこうやって斜めに眺めていると、また別な風な美しさが感じられる。聡明なる額(ひたい)と美しい髪とは、開(ひら)いている舷窓(まど)の縁(へり)に生じる暗い陰影(かげ)の中にうずもれて暗く感じられるが、その慈愛を示す豊頬(ほうきょう)と強い意志を示す引き締まった口とは、さわやかな夏の朝(あした)の光線(ひかり)が穏やかにさし入っている中でも、いとも気高く見える。

クレオパトラの鼻はアントニウス*3を迷わし、アウグストゥス*4をもてあそぼうとした卓絶した武器と聞く。たしかに鼻は──すぐれたる鼻は多くの顔面美の要素を総合し結びつける要(かなめ)の存在である。寝床からはその高尚なローマ風の鼻が横向きに見える。いたずらに鋭くはなく、といって軽薄でもなく、遅鈍(ぐどん)にならない程度に丸みを失っている。なるほど、鼻は美人を支配す、である。まことにいい形である、いい線美(ライン)であると一人で悦にいっていると、けたたましい靴音が上甲板に乱れて、「カッパ、用意」という声が響いた。つづいて「ローヤル、ハリヤード、スタンバイ」*5という士官の号令が聞こえる。スコールが来たらしい。

互いに相手の心を読もうとするように、八つの眼が空中にかち合って激しく火花を散らす。すわっという間に元の静寂(しずけさ)にもどる。あぶない。甲の二つの目が「やっちょるな」とばかりに会心の笑みをひらめかす。ただちに乙が「うん」と受ける。丙(へい)と丁(てい)の目には「気の毒に……」という憐憫(あわれみ)の色がほの見える。四人は再び目をそらしてマドンナを見る。相変(あいか)わらず入口を見つめたまま、気高い尊い表情を示している。横になっている四人の者が起き上がって部屋を出ても、ローヤルは降りても、船がサンディエゴに着いても、四人の者が口髭(くちひげ)をはやして大層な月給をもらうようになっても、依然として気高く尊く入口を見つめていることだろう。

甲が会心の笑みをもらしたからといって、丙と丁とが憐憫(れんびん)の光を見せたからといって、マドンナの像を奥ゆかしく思って眺めていたとしても、この八フィート立法の狭い空間で何かを刷新する運動でも起こそうというのではない。一室八人、十六のホームをして各自、自分のことは自分でするという自治の精神を会得せしめ、自分らの部屋や自分らの受持区域(パート)は自分らで治め、自分らで営み、決して他の部員に笑われないようにせよという一等運転士(チーフオフィサー)の方針は、すこぶる賢い方法である。

かくて十六の小さい自治の王国や侯領(こうりょう)がおのおの研鑽し錬磨して、やがて三十人の四分舷直(コーターワッチ)はその面目を発揮し、六十人の左右の両舷ただちにその出色をほしいままにし、百二十五のミカドの練習生はサクソンやゲルマンの船員たちと舷(げん)を並べマストを連ねてもあえて遜色のない水準に達することができる。何の肩書も特権もない外交官として、任命書を持たない使者として、強くたくましい平和の戦士として、千里の外に国民が広がっていく先駆となすことができる。



脚注
*1: ローヤル - 帆船で微風のときにマストの最上部に展開する横帆(ロイヤル・セイル)。


*2: ジブ - マストの前に展開する縦帆。

*3: アントニウス - 共和制ローマの政治家マルクス・アントニウス(紀元前83年~紀元前30年)。
エジプトのプトレマイオス朝最後の女王クレオパトラと昵懇(じっこん)だったとされるシーザー(カエサル)の部下で、その死後は第二回三頭政治を行った三頭の一人となった。シーザーの死後、クレオパトラと親密な関係になり、最後にはライバルのアウグストゥスに滅ぼされた。

*4: アウグストゥス -シーザー(カエサル)の姪の息子で、第二回三頭政治の三頭の一人。
後にローマ帝国の初代皇帝(紀元前63年~紀元14年)。

*5: ローヤル、ハリヤード、スタンバイ - ローヤルは微風用なので、風が強くなると下ろすことになる。ハリヤードは帆を上げ下げするロープで、「ローヤル、ハリヤード、スタンバイ」は「ロイヤル・セイルを下ろすため、担当者はハリヤードを持って待機せよ」という意味になる。

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現代語訳『海のロマンス』23:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第23回)


水の上で水の苦労

「事業やめ五分前」という風下当番(リーサイド)の予告に、今日もまたこれで平安に暮れたという、ちょっとのどかな気分が人々の胸に浮かぶころ、午後三時半の事業やめのラッパが心地よく、あまねく響きわたる。

フィラデルフィアの鐘*1が独裁(ティラニー)と独立(リバティ)との鮮やかなる分界線をなしたように、このラッパの音は力仕事と遊戯との鮮やかな境界線である。このラッパを境にして、二つの相異なれる性質と内容とを有する王国が隣(となり)あっている。本船では、左右両舷の当番の交代により、午前は九時より十一時半まで、午後は一時より三時半まで、二時間半の日々の作業がある。帆縫い、錆(さび)おとし、ペイント塗り等がその主な成分(エレメント)である。


*1: フィラデルフィアの鐘 - アメリカの独立や奴隷解放などの節目に、この鐘が鳴らされ、自由独立の象徴となっている。 現在は「自由の鐘」と呼ぶのが一般的。

三時半から七時半までの四時間を子供時間というのは、すこぶるゆかしい響きを与える。輪投げに二つ勝った、三つ負けたと、大の男が互いにシッペをしあっていると思えば、一方には、甲板球技(デッキゴルフ)にAは2、Bは5と血眼(ちまなこ)になって勝ち負けを争っている。ある者は船倉蓋(ハッチ)の上で禅ざんまいの瞑想にふければ、船首楼(フォクスル)で岡田式静座法で肺と横隔膜の操(あやつ)りに夢中の者もある。この労苦(ろうく)から放楽(ほうらく)に移る瀬戸際に立って思い切りの悪い雨雲のように、うろうろと歩きまわっている者がある。真水(みず)当番がこれだ。

一号から二十二号に分かれた十六の部屋から毎日一人ずつの真水(みず)当番なるものを選出して、一室八人が使用する真水(みず)が支給される。本船は品川を出帆するときに総容積七百トンの船槽(タンク)にいっぱいの真水(みず)を積みこんできたが、三時半のラッパを合図に真水(みず)士官とも呼ばれる四等運転士(フォース)が来て真水用のポンプの鍵を外す。薄汚い事業服(ジャンパー)を着た十六人の男が三つずつ小桶(バケツ)を持って中甲板(ちゅうかんぱん)に集まる。見ようによっては、鮫ヶ橋(さめがはし)近辺の共同井戸の光景(さま)とも思われるだろう。

一つの小桶(バケツ)にはほぼ五升(しょう)ほどの真水(みず)が入るので、一人一日が使用できる水の量はわずか二升である。この二升の水で顔も洗えば口もすすぐ。なかには冷水摩擦などとしゃれるのもいる。その使い方の細かいこと、細かいこと、なかなかの手際で、鮮やかだとほめてやるべきである。海水(みず)の上で真水(みず)に不自由するのは、銀行に勤めて金に不自由するようなもので、医師を商売にして病気をやるように、また嘘の花柳界(ちまた)に育ってもだまされるように、皆、前世の宿縁(しゅくえん)である。船乗りに向かって海水浴を平常(へいぜい)するから体が丈夫になるだろうとか、海からの生魚を直ちに口にするのはうらやましいなどと言ったら、それこそ大変! 神経質な船乗りはそれを比喩的(アイロニカル)な喧嘩(けんか)を吹っかけていると早合点するだろう。

おっと話が上陸した。そうそう、そこで十六人がわれがちに飛びつく。いの一番にかけつけた者が水を一番先にとるのだから、横着者(おうちゃくもの)は気の毒にも呆然として、十五分ほどは立ち続けて待っていなければならない。後から行ったものは、たちまちベヤリ損(そこ)なうことなる。

弥生が岡の寮舎(りょうしゃ)にコンバル、ギキョルなどの新語があるように、練習船の中にもベヤル、コミヤルなどの珍熟語がある。ベヤルはいわゆるベヤリングをとる(方位を知る)の省略(アブリビエーション)で、着目するとか先鞭(せんべん)をつけるとかいう場合に用いられる、外国の港でスタイルのよい金髪の女性が客としてたくさん来るときなどは、盛んにこの言葉が用いられる。コミヤルはヤリコメラルの反対で、コッソリ失敬するとの意味である。

せっかく汗水たらして汲(く)んできた真水(みず)を、いつの間にかコミヤられて落胆(がっかり)することがしばしばある。

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現代語訳『海のロマンス』22:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第22回)


無線電信

どこか天空から断続的にぶきみな音が聞こえてくる。薄い鼓膜に耳に残る波調(リズム)を与え、非音楽的な共鳴を起こさせる間隔をとって、細かくきざんだツゲのクシの目を逆なでしたような音がしたと思うと、ピカピカッピカピカッと長短(ちょうたん)相連続(あいれんぞく)する青い閃光(せんこう)が後檣(ミズンマスト)の空を激しく彩(いろど)った。

午後八時から初夜当直(ファーストワッチ)に立っている三十人六十の眼(まなこ)は一斉に、百メートル四方の闇の空に飛ぶ。波は平らで雲もない穏やかな夜である。空中にある電気のエーテルの弾力性(エラスティシティ)は最もよく安定しているだろう*1。無線電信にはもってこいの夜だと言わねばならぬ。青い閃光はくだけて夏の空に散りばめられた星になったかと思うほどに飛散して光っている。その闇の空に向けられた人々の眼(め)には、欣喜(よろこび)の色があふれている。

母国での最も荘重なる、最も偉大なる、最もめざましいできごとを見ることができないのは遺憾(いかん)の極みである。せめては一瞬も早く事の成り行きを知りたいというのが、四千海里離れた船上にいる二百人の日本臣民の悲しき衷情(ちゅうじょう)である。無線電信は二十日ぶりに八百海里をへだてたサンフランシスコの領事のもとに打たれたのであった。年号が大正となったと、誰やらがしたり顔で噂をしている。大正は大成に通じるという喜びもある。

しかし、住みにくい世の中をのがれ、誘惑の多い刺激と色彩の追っ手の眼をくらますには、船に乗って悠々と大海原に浮かび出るにかぎる。霞(かすみ)を食らい露(つゆ)を飲まずともすむわけである。盛者必滅(せいじゃひつめつ)色即是空(しきそくぜくう)と観(かん)ぜなくてすむわけである*2

そういう者には、無線電信はいらぬおせっかいである。呪詛(じゅそ)すべき仇敵(きゅうてき)である。憎むべき外道(げどう)である。マルコーニはデビルに相当することになる*3。陸上(おか)から二千海里の沖に出たときにはじめて、世間のしがらみのない別世界にたどり着くわけで、そうなると、自(おの)ずから微笑が浮かんでくるだろう。すべての人間社会の権威や約束や情実などとは関係のない大自然の懐(ふところ)に入るのだ。一生涯このような境地にあるのは無理だとしても、一月(ひとつき)でもよろしい。一日でもよろしい。永劫より永劫に続く、時の流れの一瞬をつかみ、ごく短い間でも心の落ち着きを勝ち得たならば、その分だけ陸上(おか)の煩瑣(はんさ)な生活に比べて幸福だろう。

昔、陸上(おか)に住む人間がこう言った。周囲の海は清く、天下泰平(てんかたいへい)である。しごく平穏なので、吾、これから酒を飲もう、と。いかにものんきそうである。いかにも虚心坦懐(きょしんたんかい)のようである。しかし、その次に、たちまち酔って下手な踊りを踊る、ときた。これだからウンザリする。いくら酔ったって、いくら太平だったって、下手な踊りでは何の役にも立たない。祈祷(いのり)の席で、あくびをしたよりもひどい。船の上ではいくら踊りを踊っても、人としての情などない海を相手では、手ごたえがなかろう。無線電信で耳元で青い火を出してジッジッと来るまでは、吾、まさに酔わんとす、である。海という詩境に逍遥(しょうよう)することができる。すべての煩悩(ぼんのう)や絆(きずな)から解脱(げだつ)することができる。何を好き好んで利害の風に吹かれたいのだろう。何のために浮世(うきよ)の音をききたがるのだろう。……と、ふいに自分は大成丸の船上にいる一人であって、船はすでに一時間五マイルの速力で無線電信の有効距離圏に入っているのだと悟ったとき、いくらもがいても駄目(だめ)だと思った。

だからサンディエゴを出帆して再び海に出るまでは、この世間と没交渉の別世界については、当分見合わせとする。そのサンディエゴには、手紙というすこぶるつきの人間世界のしがらみの束が届いているに違いない。ヤレヤレ。


脚注
*1: エーテルの弾力性 - かつてアインシュタインの特殊相対性原理や光量子仮説が登場するまで、エーテルは「宇宙に満ちている物質」で、光の波動説では「光を伝えるもの」とされていた。
今の知識では意味不明に思われるが、ここでは無線電信の電波の伝搬状態がよいことを述べている。


*2: 盛者必衰、色即是空 - 前者は平家物語でよく知られているが仏教の無常観に由来し、後者も仏教の般若心経に出てくる言葉で、いずれも世の中が無常であることや万物は空であるといった趣旨。


*3: マルコーニ -グリエルモ・マルコーニ(1874年~1937)はイタリア出身の発明家で、無線電信の発展に貢献したとしてノーベル物理学賞を受賞している。
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現代語訳『海のロマンス』21:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第21回)


船に無賃乗船した生き物たち

本船が七月十八日に房州(千葉県南部)の一角から辞し去ったとき、三種類の生き物が勢力を増やそうと、この世界的大旅行の途(と)に加わった。すなわちネコと赤とんぼとハエである。ネコは前に述べた船随一の愛嬌者である。

けなげにも一人、雄々しくも、なつかしき故郷の山野を離れ多くの仲間と別れて、本船に舞い込んだ赤とんぼ君は、二、三日の間はその美しい姿を船室(キャビン)の中に輝かせていたが、船が北上するにつれて加わってきた寒気のためにか、露が多く空気が冷ややかなある朝、そのあわれな最後の姿が後甲板の上に見出された。

最後に登場するハエこそ、世にも横着にして動いてやまざる底(てい)の不敵な曲者(くせもの)である。室町幕府の知恵袋といわれた細川頼之(ほそかわよりゆき)*1を出家させて以来、ハエはうさんくさいもの、しつこいものと相場が決まった。四枚の羽と六本の足でさえだいぶ厄介であるのに、複眼という八方にらみの怪しい道具を頭につけている。ときどきは造物主の持つ気まぐれな、いたずら好きの一個性をつくづくうらめしく思うことがある。こんな奇妙な動物を人間の厨房(キッチン)や居間に放った造物主の行動はすこぶる皮肉である。冷ややかなアイロニーである。いろいろの妖怪変化(ようかいへんげ)をパンドラ姫の箱に入れたジュピターの悪戯(いたづら)と同じである。いままで梁(ビーム)におった一匹のやつがブーンと不気味にうるさい音をだして降って来たと思ったら、自分の当然の権利であるかのようにゆらりと筆の先にとまる。じっとしばらくその行動を注視する。

悠々(ゆうゆう)として慌(あわ)てず急がず、後足をくの字に曲げて薄い羽をしごいている。しゃくにさわったから軽くフーッと吹いてみる。それでもいやに落ち着いて、静かに片方の二枚の羽と三本の足を動かして巧みに元の姿勢に戻り、効力の平均(バランス・オブ・エフィカシー)という力学的証明を最も簡単に最も愚弄(ぐろう)する方法でやってのける。愛想もこそもつき果てて、ただ見ていると、図に乗って今度は前の二本足を熊手のように動かし、例の傑物の眼をでんぐり返るほどゴリゴリとこする。やりきれない。ヒョーッと突然(だしぬけ)に一大陣風(スコール)を口から吐き出す。少しはひるんだろうと思ったら、パッと飛んでツーと電光石火(でんこうせっか)のごとく眉間(みけん)の真ん中にへばりついた。いまいましいと思って、十分の用意と成算とをもって、くたばれとばかりに額を打ったら、いたずらに悄然(しょうぜん)たる響きを残して高く飛び、舷窓(スカッツル)の縁(へり)にいた仲間の一つに飛びついた。付和雷同(ふわらいどう)と模擬踏襲(もぎとうしゅう)との両性能の活用において、ハエは犬にも劣らぬ豪(ごう)の者である。

一波起こって万波生じる。一匹の奴がさわぎだしたらもうだめだ。喧々囂々(けんけんごうごう)と百畳の食堂は一面にただハエの羽音のみだ。本船には種々の生の食料が保管されており、日々の献立(メニュー)を塩梅(あんばい)する衛生係は三人の学生が担当している。今、一人の衛生係が黒板に何か書いている。

今やハエはわれらの仇敵(あだ)となった。うるさいこと、おびただしい、諸君、とろうじゃないか、衛生部はこの犠牲的努力に向かって寸志を提供する。

    一、ハエ三十匹ごとにサイダー瓶一本
     一、ハエを追ってみだりに士官室に飛びこまないこと

と。
敵将を得たる者には報奨金と領地を与えるとは、春秋時代からの論功行賞の目安である。サイダー瓶一本はすこぶる奇抜(きばつ)である。

ただでさえ長航海の無聊(ぶりょう)に苦しみ、何かないかと手ぐすね引いて機会を狙っている連中である。
ワーッと鬨(とき)の声をあげて歓迎したのも無理はない。ある者は草履(ぞうり)を片手に天井を望んで震天動地(しんてんどうち)の大活劇を演じている。ある者は石油を入れたコップを持って巧みに壁間のハエを誘殺し、孔明の七縦七擒(しちしょうしちきん)の妙計*2を学ぶもの、用意周到に罠(わな)をしかけて待つ者、食堂はたちまちの間に一大修羅場(しゅらば)となった。なかには遠く厨所(ギャレー)や船倉(ホールド)にまで遠征して、にわかごしらえのハエ取りウチワや棕櫚(シュロ)の箒(ほうき)を手に普段は行かないところまで遠征して大量に捕獲した者もある。

多人数の努力というものはおそろしいものだ。さしも真っ黒に見えたハエ群も見事に全滅しさった。ついて衛星係に聞けば、サイダー瓶の支出百四十四本、ハエの死骸は実に四千三百二十と。テルモピレーの激戦*3も奉天の大勝利*4も一歩譲るだろう。



脚注
*1: 細川頼之(ほそかわよりゆき) - 室町時代の守護大名で幕府の管領(かんれい)を務めた。京都の地蔵院(臨済禅宗)に頼之の木像と墓がある。


*2: 孔明の七縦七擒(しちしょうしちきん)の妙計 - 中国の春秋三国時代の英雄・諸葛孔明(しょかつこうめい)が敵将を捕獲しては釈放するという硬軟両方の措置を使い分けて敵将を心酔させるに至ったことから。
原文では七擒七縦(しちきんしとちしょう)となっているが、一般に用いられる語順に改めた。意味は同じ。


*3: テルモピレーの激戦 - 紀元前五世紀のペルシャ戦争におけるギリシャ軍とペルシャ軍との戦闘。ギリシャ軍の中心だったスパルタ国の兵士三百人が全滅したとされる。


*4: 奉天の大勝利 - 日露戦争(1904~1905年)最後の大規模な戦闘となった奉天会戦。

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現代語訳『海のロマンス』20:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第20回)


ああ、七月三十日

帆を操作するために帆桁(ほげた)に取り付けられているタックというものがある。直径三インチ(七・五センチ)の鋼のロープだ。簡単には切れそうにない女の髪の毛は一房でも大きなゾウの強さをつなぐに足るそうである。ましてや太く強い鋼(はがね)の線である。見ようによってはずいぶんと強そうである。

バビロンの城壁はたあいもなくユーフラテス川の河畔に埋まり、ラメス王のオベリスク*1はその見苦しい姿をロンドンの真ん中にさらしている。そういう世の中である。まして、本当に細い一本のロープだもの、時間の経過という力の前には、すべての物質は無力である。ささいなことを論じるスコラ哲学には「朽ち果てて終わる」とある。

[訳注]*1: ラメス王のオベリスク - ラメス王は古代エジプトのファラオ(王)であるラムセス二世(治世は紀元前13世紀ごろ)と思われる。

オベリスクは特に古代エジプトで製作された細長い塔状の記念碑を指し、ロンドンには通称「クレオパトラの針」と呼ばれるオベリスクがある(かの有名なクレオパトラとは直接の関係はない)。
古代エジプトのオベリスクでは、ロンドン、パリ、ニューヨークに移設されている三本がよく知られている。

見ようによっては、芋のツルより弱くて切れるかもしれない。しかし、それほど風も吹かない快い凪(なぎ)の日であったんだが、などと小首をかしげても追いつかない。自分はこんなことを考えながら練習船の主帆(メンスル)の切れたタックを眼前にながめた。

ときは明治四十五年、七月三十一日の午前七時である。場所は北緯四十度八分、東経一六七度四十五分、広大な北太平洋のただなかである。タバコをかんで黄色いツバをペッペッと吐いて「ウイスキーこそ船乗りの生活にふさわしい」と歌った昔の船乗りは古い物語の中に葬り去られた時代である。デルファイの巫女(みこ)*2などはやらなくなった今日である。蒸気とプロペラとが、帆とロマンスを海から追放した海の上である。まして科学的な頭と排神秘的思潮とを持った賢明なる二十世紀の船乗りの前である。

*2: デルファイの巫女 - 古代ギリシャのデルファイで、神の意思(神託)を伝えるとされたアポロン神殿の巫女(みこ)。政治にも影響を及ぼしたとされる。

であるから、もしもこれよりわずかの後に、前檣(フォアマスト)のローヤルが目に見える変化の手で引き裂かれるようにビリビリとフットロープから見事に二つに裂けて飛んだりしなかったならば──まだ帆船では十三日という数字の威嚇(いかく)と金曜日という週日の権威とが失われていない*3のであるから──これほど乗組員の注意を引くことはなかっただろうに。

*3: 十三日の金曜日 - 一般には「キリストが磔(はりつけ)になった日だからキリスト教圏では不吉」とされているが、これは俗説で、明確な根拠はないようだ。洋の東西を問わず、迷信というのはそういうものかもしれない。

知識は記憶の堆積であるといえるならば、不安は同性質の予報的な奇妙な現象が集中することにより生じると推論することができる。ローヤルの破れた頃から、そろそろ人々の顔には疑わしい、不思議だ、妙だという雰囲気が流れ出した。迷信的な思いこみがソロリソロリと人々の頭を支配しかかる。神秘的な気分が船の空気を染めはじめる。シャロットの女の鏡*4はかくてだんだん曇りはじめた。雨でさえ降る前には青嵐(せいらん)が堂に満つといわれている。何事か起こらねばならぬ。

*4: シャロットの女の鏡 - 英国に伝わるアーサー王伝説に登場するシャロットは、英国の詩人テニスンの詩『シャロットの女』のヒロインであり、彼女をめぐる悲劇の詩に触発されて多くの絵画も描かれている。
シャロットは現実の世界を見ることを禁じられ、鏡を通して世界を見ていた。
夏目漱石の『薤露行(かいろこう)』はアーサー王伝説を取り扱ったファンタジー小説だが、この中でシャーロットの女についても取り上げている。

事件の進行が発覚するには、ある程度の空間と時間の推移とが必要であると哲理は教えている。空間は二千何トンという大容積で十分である。この上はただ時間の推移を待つばかりだ。

一時間後の船内の空気は、依然として静まりきっているわけにはいかなかった。時間の推移とともに、シャロットの女の鏡はついに破れた。そのときは北太平洋の妖霧(きり)のために乗組員の心を腐らせ、根気をけずり、神経を逆なでするするように、うっとうしく憂鬱な状態が続いていた。この場合、この霧はかなりの効果(エフェクト)を示すなかなかの背景だったと言わなければならない。加えて、無線電信という道具も加わった。ジャキジャキと鯨の脂肉を鉄火にあぶったような音と、青くすごく光る威嚇的で幽玄な光がまだほの暗い下甲板に射しているところはなかなか壮観である。舞台は整っていた。

天皇陛下のご病状については、七月二十二日に石橋校長から

陛下は十四日来胃腸を害せられ、体調不良のところ十九日より腎臓炎を併発され、熱が四十一度、脈拍が百八となり、すこぶるご重態にして、誰もが憂慮(ゆうりょ)している

との来電があってから以後、二十四日には、陛下はその後は快方にむかわれ、誰もがほっとしているという情報が、二十七日には、陛下のご容態はまたまた悪化し、脈が百七、熱が三十九度になられたという情報が、二十八日には、ご容態は良好に転じたとの報に接し、歓喜に堪えず、なお神のご加護と国民の心をこめた祈願により全快されることは疑いなしという情報の、計四回の喜憂(きゆう)相なかばする消息が伝えられたが、その後はなかなか晴れない妖霧(きり)と戦いつつ、心ひそかに憂慮(ゆうりょ)しながらもなお最後の望みがある消息に慰められていたのだったが、この日の朝になって、九時に整列し作業を開始するという航海中の行事が中止になり、九時半に総員、後甲板(こうかんぱん)に整列するよう命じられた。

ひょっとしてと、心臓が少し縮み上がって、肋骨の三枚目をける。四角い重いものがスーと腹の下から浮いてきて、胸のなかでもだえるように揺れ動く。どこの船室でも重苦しい空気だが、ヒソヒソとはばかるような低い声がしている。誰の顔にも緊張し興奮した様子と、おそろしく真面目な表情がみなぎっている。

暗い表情を浮かべた百十五の顔が後甲板に並ぶと、恒例の分隊点検が済んだ後、「集合っ──」と全員を海図室の前に集めた船長は、厳粛かつ荘重な口調で、まだ学校から正式の通知は来ないのだが、銚子局発の某軍艦および郵船会社の〇〇丸宛の無線通信により、畏(おそ)れ多くも天皇陛下におかれては、七月三十日午前零時四十分、ついにご崩御されたことを、ここに遺憾ながら発表する、国民として誠に哀悼の念に堪えないしだいであると述べ、いま我らは遠く千五百海里も離れた洋上にあるわけだが、母国にいる国民と同じように陛下の赤子(せきし)たる思いを胸に、八月一日午前十時二十五分──東京のちょうど八時──に先帝陛下の奉弔(ほうちょう)式を、または七月三十一日午後二時十五分──東京の正午──に新帝の即位祝賀式を挙行すること、ならびに今後は当分の間、行事および教習を中止し、音楽や唱歌や遊戯(ゆうぎ)を禁ずる旨を公表された。

ついに来た。もしやと思ったことが、ついに来た。言葉につくせない感情が湧いてきて、いまさらのごとく胸をふさぐ。寒い刃(やいば)の光が暗闇にひらめき、匕首(あいくち)を直ちにズバと胸元に突きつけられたような気持ちとでも言おうか。
かくて、自分らはその生涯に二度とない世界一周という革新的経験を試みつつある最中だったが、はからずもこの偉大なる荘厳で悲しみに満ちた国家的規模の革新を経験したわけである。

天子(てんし)崩ずるときは世の中もまた哀悼すると言われている。自分らも当分は敬虔(けいけん)な態度で筆を洗わねばなるまい。

帆繕(ほづくろ)い

巨大な黄色い帆柱(マスト)は三層の甲板を貫き、甲板から仰ぎ見るその頂(いただ)きは雲にも届きそうなほどで、かすかに揺れている。マストの涼しい影が長く甲板(デッキ)に落ちている。

維摩*5が堂にこもって無言の勤行をなすときのような静寂(しずけさ)が、八月一日以降、船内のいたるところをおおっていた。信号用のラッパはもちろん、士官の号笛(ごうてき)も、伝令管(ボイスチューブ)の鈴音(すずおと)も、すべて音という音は未練なく船の上からふるい落とされてしまった。一秒間六回以上の振動を空気にささやく発音体は禁止されたわけである。このクレタ島の迷宮(ラビリンス)*6のような、荘重な沈黙が保たれている練習船の上甲板(じょうかんぱん)で、かすかな、きわめてかすかなささやきが聞こえる。

*5: 維摩(ゆいま) - 釈迦(しゃか)の在家の弟子。初期の大乗仏教の経典の一つである維摩経(ゆいまきょう)にその名を残している。
黙して語らないことが意味を持つという「維摩の一黙、雷のごとし」など、禅と深い関係もある。


*6: クレタ島の迷宮(ラビリンス) - ギリシャ神話で、クレタ島のミノス王が牛頭人身の怪物ミノタウロスを閉じ込めたとされる迷宮。

練習生の実習科目として、帆縫(ほぬ)いなるものがある。鬼とも組みあって戦うぞという面魂(つらだましい)の豪の者が、甲板に座って、おぼつかない様子で糸で帆をつくろっている姿は、十五番の先が長い縫い針が厚い〇号のキャンバスを縫っていくときの小さなさっさっという音に聞きほれているように見える。手を縫った、指を刺したというような逸話を前の航海で残している二期生の古顔が、きょうは「君、ここはシツケをして一針(ひとはり)抜きにするんだよ」などと、さかんに裁縫の術語(テクニカルターム)を使う。自分の手塩にかけてどうやらできあがった新しい帆(セール)が初めて檣頭(マストヘッド)に高くかけられ、おりからの海軟風(シーブリーズ)に適度に湾曲して、快く船を押しやるのを見るときの快感と軽い誇らしい気持ちは、やったことのない者にはわからないと、髭男の一人が満足そうに見上げている。しかし、日焼けした黒く太い指をした髭面(ひげづら)の男が黙々と、危うげに仮縫(かりぬ)いをしたり、シツケをしたりするのを見るのは、かよわい女が力業(ちからわざ)をなすのを見るときに浮かぶような、ある種の複雑な感情にかられる。

君、こういうところを国のマザーやシスターに見せたら……と述懐する人の気持ちはどうであるか知らんが、自分はこの短い時間のうちに無限の憐(あわ)れさを感じて、真夏の夕暮れのような気分になるのである。

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現代語訳『海のロマンス』19:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第19回)


東から来て一歩でも百八十度線を超えると、天や空と同じように度量も広く、どこか荘重にして厳粛な感じがする。そして横紙破りの本家本元の剽悍(ひょうかん)な兄貴分の陣風(スコール)の王土に踏み込んだ気配がする。

空はおおいかぶさったように薄暗く、底冷えのする薄ら寒い密集した雲が我が物顔に、怒りっぽい癇癪(かんしゃく)持ちの海を混沌(こんとん)と圧迫している。したがって、陣風(スコール)もいわゆる「南洋の雨浴(うよく)を許す」的なものに比べると、いやに大きな面(つら)をした肝のすわった腹黒いやつが傲然(ごうぜん)とやってくる。その降り方も王者のごとく横柄(おうへい)で、その勢いや量から見るときは無雲陣風(ホワイトスコール)と同じように東洋の豪傑(ごうけつ)風だと思われるが、後者に比べると淡白ではなくて、少し執拗(しつよう)に、少し未練な気風を持っているようである。ときによると天や空のように度量が大きいどころか、半日も続けて降っていることがある。やりきれたものではない。いい加減にしてくれと言ったって、とうてい相手はこっちの言うことを聞きそうにもない。それに比べると百八十度線から東のスコールはなかなか小気味いい茶人的な、人なつっこい、さっぱりしたやつである。

七月二十六日の午後、本船を奇襲したやつは、この黒雲陣風(ブラックスコール)の部でも小頭(こがしら)くらいの格のやつであった。数日来の西方の疾風(ゲール)に、海はいうまでもなく荒れている。天が落下し、海を抱擁(ほうよう)せんとするその偉さ、海が突起して天に接吻(くちづけ)せんとする様子! その大きな波頭(なみがしら)と波頭(なみがしら)の間に海洋はひょうたんのくびれのように落ち込んで、本船はその間を潜航艇のように縫って進む。

逆巻いて持ち上がった波は船首(ステム)によって二つに破られ、両舷を押しつぶすようにフツフツという音をだしながら流れ走る。このように蒼黒色(ダークブルー)を示していた水はここに砕け、高く持ち上がったものは緑玉色(エメラルドグリーン)を示し、深く沈んだものは青靛色(プロシアンブルー)を見せ、その間に黒い色の背をして青い色の腹をした海の剽軽者(ひょうきんもの)──トビウオ──が列をなし群れをなして、ネズミのごとく、カワウソのごとく飛んでいる。このときのさまざまに入り乱れた海の色! 錯綜(さくそう)した海の色! あるいは青に緑に藍に、紺青(こんじょう)と光り、瑠璃(るり)と散り、五彩の妙をつくし六色の精緻(せいち)を極めた様子は、とうてい逗子(ずし)や大磯(おおいそ)の女性的な波浪に求めても得られない神技(しんぎ)の一端だろう。

第一陣、脈々と、しかも堂々と押し寄せて来る波浪が三十尺の舳(みよし)によってもろくも砕かれるや、たちまちその歩調と周期的行動(ハーモニックモーション)に乱れが生じ、あるときは波の峰と峰とが敢然(かんぜん)とぶつかりあい、もつれあい、パッと散る水沫(しぶき)とともに、見よ、今やまさに砕けんとする波の美しい塊は、厚い青い半透明の水晶の、ひびが生じている面にそってザックと天斧(てんぷ)にてブッ欠いたような壮麗(そうれい)で細やかで美しい、一大キネオラマ*1を形成し、あるときはこの波の谷と谷、峰と峰とがしっくり相まって巨大なヒマラヤの峻峰(しゅんぽう)や深玄(しんげん)なるパミールの大高原を現出させる。

このような巨大な波濤(なみ)の両頭が相まってヒマラヤの峻峰(しゅんほう)を形成するとき、暗緑色(ダークグリーン)の波はみるみるうちに、その頂きにおいて清新な海の大気を吸入し、かのプリズムがスペクトルを分析するようにもみえる藍青色(らんせいしょく)──むしろ、お納戸色(なんどいろ)というべき──を呈し、透明に光るのもほんの一瞬で、アッという間に細い屈曲した銀色の無数のひびが入ると見る間に、たちまちさまざまな大波小波の大崩壊と大騒乱を呼び起こし、滔々(とうとう)として崩れ去った後には、いく百千のラムネ壜(びん)を投じたような雪白の泡沫が、シューシューと奇音を発し、ささやいては消え、ささやいては消える。やがて、この無数の細かい小さな鳴動(めいどう)が静まりおさまって、やがて悠々と波紋をつくって流れ去る。

このようなとき、青い世界に黒ずんだ瞳をあげて空を見れば、ビュービューとうすら寒い風音をリギンヤードで生じさせている陣風(スコール)の足跡を見ることができる。そして、陣風(スコール)に斬られて銀色の矢のように、蒼穹(そら)と船と海とを縦貫している豪雨の跡を見るだろう。

このような蒼穹(そら)と海洋(うみ)と──最も崇高なる天地間の活力現象──の偉大なる男性的な大背景を背負って、三百尺のローヤルの上に帆を絞る、赤き血潮と温かい涙を持っている海の寵児(ちょうじ)は無声の詩人である。無色の画家である。大自然の唯一の鑑賞家である。あれは、どこの阿呆だったろうか! 「二万三千海里」の航海で「船乗りの生活(ライフ)は野蛮(ブルータル)だ」とののしったのは!! 一度でも、この男性的な壮観に接すれば、知らなかったと慚愧(ざんき)に堪えないだろうし、そうでなければ救いようがない愚か者だ!



脚注
*1: キネオラマ: キネマ(映画)とパノラマ(風景)を組み合わせた和製の造語。この時代、風景などを描いたパノラマにカラフルな光を当てて変化を楽しむ興行が流行した。

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現代語訳『海のロマンス』18:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第18回)


陣風(スコール)

明治維新より前には箱根から西には化物(ばけもの)や、ももんがあが、うじゃうじゃとひしめいていると信じられていた。しかし、今は時代が進んで、陸上(おか)では、吉原に花魁(おいらん)を買いにいく女の客が出現するというご時世(じせい)で、お化けもすっかりその株を奪われて、どこかに隠れて息をひそめているが、海上ではまだまだお化けや幽霊がわかった風な顔で、さかんに船乗りをてこずらせている。

颶風(ぐふう、サイクロン)がすなわちそれである。しかし、この海上のお化けも百八十度の子午線を境界(さかい)にして、東の方にはまったく姿を見せないという奇怪な現象を示している。これはお化けの原産地でもあり、また根拠地とも信じられているのはインド洋中のモーリシャス島で、年々三十を超える化物どもを遠慮会釈もなくどしどしと日本近海に輸入してくる。ところが、同じお化けでも紅葉狩りでは鬼女となり、三十三間堂の現れては柳の精となり、道成寺の清姫では蛇の化性(けしょう)となったように、颶風(ぐふう、サイクロン)も中国近海では台風(タイフーン)と呼ばれ、インド洋では颶風(ハリケーン)と早変わりし、日本近海では旋風(サイクロン)として恐れられている*1

で、ここでは船乗りから疫病神のようにこわがられている颶風(ぐふう)を真っ向から罵(ののし)るのは後々の祟(たた)りもあり、また中国の古い兵法に樹木を枯らすにはまず枝葉を切れとあるので、それに従って、颶風のお化けの家来(けらい)格で、また独立した斥候(せっこう)ぐらいの資格で神出鬼没に遊動する陣風(スコール)をまずはやっつけておこう。

この陣風(スコール)にも二種類あって、兄貴株は黒雲陣風(ブラックスコール)といわれ、弟分は無雲陣風(ホワイトスコール)と号している。たいがいの場合、このスコールなるものは親分のお化けの露払(つゆはら)いか、太刀持(たちも)ちとしゃれこんでビュービューとやってくるが、腹の虫の居所がちがっているときには、何らの先触(さきぶ)れもなく最後通牒(さいごつうちょう)もなく、だしぬけにガッとくるところは、どこかの国の宣戦布告に似ている。であるから、船乗りはスコールを海上の横紙破り、海上の腹黒者(はらぐろもの)と呼んでいる。風はやわらかだし、海はおだやかでサイクローンのサの字も見えないので天下泰平(てんかたいへい)国家安康(こっかあんこう)と、気を許してウカウカ進んでいったものなら最後、鈴鹿峠の山賊の手からのがれた旅人が、三島の宿(しゅく)の護摩の灰(ごまのはい)に有り金をスッカリせしめられるような目にあうのである。

この兄弟分のスコールも颶風が百八十度線以東に見えないときは、百八十度の子午線を境として、あんたはこの線の西、自分はこの線の東を領地とするとでも区分したのか、黒雲のスコールは百八十度の経線の西に多く、雲のないスコールはその東にのみ見られる。しかも、この弟分の方は兄貴分が荒々しく激しいのに反し、性格はすこぶる穏やかで、江戸っ子のような口ぶりで腹白(はらじろ)で気性もさっぱりしている。盆を引っくり返したような激しい雨がザーッと船を白く靄(もや)に包み込んだと思うと、どういうことか、いつのまにか癪(しゃく)にさわるくらい、すっかり日本晴れで晴れ渡っている。しかし、風力はなかなか強い。

せわしく響く靴音とともに、当直士官の甲高い声が聞こえる。「総員上へ! 雨浴(うよく)許す」と、なんとも珍妙な号令が下る。

船での生活で船乗りの最も熱望するものはと問われると、その返事には必ずや明るい空気の下で真水をあびることと、まだインクの香りがする朝の新聞になるだろう。で、人々は争って雨を浴びる。否、滝をあびる。かくて、連日のチリとホコリとをぬぐいさってしまうと、爽気(そうき)身にしみわたって、きらびやかで豪華な服をまとった将軍のような、至極おめでたい日本一のご機嫌となる。なかには浴びそこなって半分石鹸を体になすりつけたまま、いままでの修羅場はどこへやら、風はそよともせず波は笑い、ただ西の空に色彩鮮やかに美しくかかっている虹で、わずかにそれとわかるだけで、心にくいほどにケロリと晴れ渡った天気を、うらめしそうにながめている笑止の姿も見受ける。

というようなことを、かつて在校中に運用術の時間に亡くなられた太河平(たこひら)教諭が実体験としてよく語られていた。

(横線)

脚注
*1:  強風/暴風雨について、さまざまな表現がなされているが、現代とは表現が異なるので、整理しておこう。


現代では、風の強さ(風速)を13段階に分けたビューフォート風力階級が用いられている。


風力0(平穏、風速秒速0~0.2m)、


風力1(至軽風)、風力2(軽風)、風力3(軟風)、
風力4(和風)、風力5(疾風)、風力6(雄風)、風力7(強風)、


風力8(疾強風、秒速17.2m~20.7m、このレベルから台風)、


風力9(大強風)、風力10(全強風/暴風)、風力11(暴風/烈風)、
 
風力12(颶風(ぐふう、秒速32.7m以上、ハリケーンやサイクロンはこのレベルから


ちなみに一定の風速を超えるまでに発達した熱帯低気圧は、発生した場所により


台風: 西太平洋、日付変更線≒東経180度より西
ハリケーン: 東太平洋、大西洋(カリブ海を含む)
サイクロン: インド洋、南半球の太平洋


となる。
もっとも熱帯低気圧は移動するため、途中で呼び名が変わることもある。
東太平洋で発生したハリケーンが西進して台風と呼ばれるようになったりもする(越境台風)。


スコールは急に降り出す強風を伴った雨のことで、気象用語として、黒雲を伴うブラックスコールや雲がないホワイトスコールという表現は現代でも用いられている。

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現代語訳『海のロマンス』17:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第17回)


霧中号角

(むちゅうごうかく)*1

ごうごうという風の叫び声とともに、冷たい白い細霧(さいむ)がマクベスの妖婆の配下にある千万のガマの醜い口から、一斉に吐き出される怨霊(おんりょう)の吐息のように流れ込む。

この細霧(さいむ)たるや、かの赤人(あかひと)のほのぼのと明石の浦の……*2とうたったような、なまやさしいものではない。絵のような詩のような奈良の古都を、いやが上にも古く、いやが上にも詩的に純粋にする初夏の朝霧のそれのようなクラシカルなものでもない。かつてはスペインの無敵艦隊(インビンシビルアルマダ)を漂泊させ、近くは上村将軍*3をして男泣きに泣かせた、海上の腹黒者(はらぐろもの)である。横着な魔物(まもの)である。だから「瓦斯(ガス)」という名称は、船乗りの身に、いかにも毒々しい険悪な律動(リズム)を与える。

ブレイスといわずリギンといわず、マスト、ヤードの別なく*4、この毒ガスがふれるところは、たちまち冷たい針のような細雨(さいう)となって、てきめんに化学反応が生じる。横柄(おうへい)づくで、いやがっていたのに無残にもこの軽い白いふわふわした妖怪に姿を変えられた水は、あわれなものである。雌牛に変えられてただモーと鳴くよう命じられたギリシャ神話の王女アイオのようなものである。

一日に千里を走る台風という大きな翼に駆られ、泣きながら休息(やすみ)もせずドンドンと飛ばされる霧は、涙の雨をそそぐべき格好のところをさがす。この小さな無数の妖鬼(ようき)の行く手にあたるものこそ災難だ。大成丸は運悪くも、この貧乏くじを引いたわけである。

とてつもない大量の「ガス」の恨みが凝縮し、リギンやマストやヤードなどからしたたり落ちる細雨となって、いままで踏み心地のよかった乾いた甲板を冷たくヌラヌラと潤しはじめると、ここに残酷なうら悲しい光景が繰り広げられる。油臭い重い雨合羽(あまがっぱ)が必要となり、長靴(シーブーツ)が引き出される。人々の眉の間には深い谷ができて、のろまで間が抜けた調子の、のんだくれた雄牛の鳴き声のようなフォグホーンが、一分間ずつ、ひっきりなしに鳴らされる。どうしても、ワーズワースの哀詩の題材になってしまう。

また、このときの天気は思い切って人を馬鹿にしたもので、船のブルワーク(舷墻)から外は黒白(あやめ)もわからない霧の海であるが、肝心かなめの太陽様(おてんとうさま)は、十中の八、九はにこやかにマストの頂(てっぺん)で、いつものように光り輝く笑顔を見せている。「雨のふる日は天気がわるい」という俗謡(うた)は、船の中では通用しないことになる。つまり、太陽が見えているのに時ならぬ雨、しかもリギンか降り注ぐ雨という、なんとも奇妙な天気といわなければならない。要するに、北太平洋では妖霧(きり)は立体的ではなく平面的に、ニューヨーク式にではなく東京式に、横に長く広がっていくようだ。

衝突予防法の第十五条第三項に「帆船の航行中は最大一分間の間隔で、右舷開きならば一声を、左舷開きならば二声を連吹(れんすい)し……」*5とあるのは、つまり霧中号角(フォグホーン)についての規定の一節である。薄暗くなったなかを白く軽い霧が蛇のようにもつれて波の上を這い、水平線がはっきりみえなくなると、たちまちボーボーという、色彩も階調も配列もない大陸的なノッペラボーな饗音が見張りの手によって絶え間なく鳴らされる。

フォグホーンという名称は、かつてアリアン民族がまだ定住せず移動して生活し、互いに攻略しあっていた野人時代に、信号用として、または礼節用として用いられた角笛に始まったとか、その後、それが陸上から海上へ、礼節用から警戒用にと変転したもので、昔はさほど無愛嬌な響きを放たなかったらしい。この伝説に加えて三千年後の今日まで帆船に用いられているということを考えあわせると、美しく飾られた高野の山駕籠(やまかご)くらいにはたとえることができるかと思う。

奈良の霧は絵のような都を美化する要因(ファクター)で、テムズ河の霧は沈鬱(グルーミー)な川面の色彩を多少ともやわらげて、その露骨な幾何学的な自然を絵画的に純粋にする効果を持っているとすれば、この場合の妖霧烟雨(ようむえんう)は審美学の第三則として昔の角笛の神秘的な音を悪く誇張し、品位を落として俗化し、このような調和のない、むしろ静寂をぶち壊すような野蛮な音に変えたもので、美化とは反対の効果(エフェクト)を表すものとみてよかろう。

されば、フォグホーンはわれら海上のコスモポリタンが、空中の奇怪な野武士にむかって発する宣戦布告のラッパであるといえよう。「ね、君、ここからこうやって距離をおいて聞いていると、あんな雑音でもちょっと余裕があって、これに銀の鈴の音と牧歌的な奥ゆかしさが加わったなら、たしかにアルプスのカルパチア地方あたりの牧場をイメージできるようだね」と賛美した気まぐれ者があったにしても、だ。まあ、人によっては案外に音楽的に聞こえるかもしれない。ただし、カルパチア地方云々(うんぬん)は保証の限りでない。


脚注
*1: 霧中号角 - 霧にまかれたときに「ふいご」を使って警戒信号の音声を発する装置。霧笛やフォグホーンと同義。現代のフォグホーンは電気やガスなどを用いて音を出す。


*2: かの赤人の - 「ほのぼのと あかしの浦の朝霧に 島がくれゆく 舟をしぞ思ふ」は、古今集に収録された読み人知らずの和歌。
山部赤人の作ではないので、「かの赤人の~」は、作者の思い違いか。


*3: 上村将軍 - 日本帝国海軍の海軍大将・上村彦之丞(かみむらひこのじょう)のこと。
日本海におけるロシアとの海戦で、濃霧などのために失態をおかして国民の非難をあびたりしたものの、その後の戦いで沈没した敵艦の兵士を救助したことから、日本の武士道を世界に示したと称賛され、「上村将軍」という彼をたたえる歌までできた。


*4: ブレイスはヤード(帆桁)をコントロールするロープ、帆桁は帆を張るために帆の上辺につけた棒、リギンは帆船の索具の総称。


*5: 右舷開き - 右舷開きとは、帆走で、右舷から風を受けること。帆は左舷側に張り出す。左舷開きはその逆。
フォグホーンを音響信号として使う場合、現在でも針路を右に転じる場合は一声(一回鳴らす)、左に転汁場合は二声、後進する場合は三声、と指定されている。

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現代語訳『海のロマンス』16:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第16回)


カツオ釣り

和氏(かし)の璧(へき)にもなお一局のこけつあり*1というが、西風神(ゼファー)の寵遇を受けて順風と海流とに乗じ、ひたすらに東へ東へと走れる練習船も、たちまち女神ジュノー*2の妬(ねた)みを受けたのか、二十五日午後から南南西の風が急変して東風となり、みるみる船足は遅くなり、針路を北に向けることを余儀なくされた。東の国に向かう船に、北へ北へ行けとは、すこぶる非人情な要求である。というわけで本船はなるべく行き足が出ないように、なるべく一か所にとどまって、その間に再び例の西風をとらえようと画策した。

このような境地こそ最も表題の事業(カツオ釣り)は成功するというので、漁労長と異名(あだな)をとった水夫長(ボースン)の喜びといったらない。例の見張りがこっそりと、カツオが見えたとの職務以外の報告を水夫長の元にもたらす。やがて、カツオ! カツオ!と告げる声(アラーム)が口より耳へと全船にあまねく伝わる。ちょうど、それが職務遂行中でなかったものなら、それこそ大変、我も我もと太公望を自称する連中が続々と船首楼(フォクスル)に集まってくる。

緑色の碧玉(へきぎょく)を溶いて流したような水から、銀色に光る美しいこまかい物がイナゴのごとくシュシュッと水面をうってはね上がる。イワシである。それっ! 餌が! と大声で甲板上からどなる。晴れた夕映えの光線を受けて、きらきら輝き落ちてくる狐雨(きつねあめ)のごとく水を打つイワシのつぶてのあるところには、プツプツと千万の泡の粒の破(わ)れる音がして、数を知らぬカツオの鋭いすべっこい頭が集まり、ざわざわと水は波紋をなしてさわぎ流れる。きれいであるという優しい審美心と、釣ろうという残酷な功名心とがもつれあって、むらむらと心頭に浮かんでくる。

船に搭載されている竿の中で長く太い竹竿の先に青い糸と角針とをつけた水夫長(ボースン)は、よせくる長波(うねり)の高さに準じ、船体の縦動(ピッチング)に応じて巧妙に長い糸で水の上をなでまわす。晴れ渡った太平洋のはなやかな夏の光線(ひかり)と、心地よくさわやかな海の大気とのため、いやが上にものすごく光る紺碧(こんぺき)の海を通して、藤紫の背と鶯茶(うぐいすちゃ)のヒレをした奴がスウスウと保式水雷(ほしきすいらい)のごとく目にもとまらぬ速さで走り抜ける。見渡せば実(げ)にすばらしい壮観である。船首から覗(のぞ)いた左右両舷の海は果ても知られぬカツオの群集(む)れである。

勇ましく鼻先をそろえて、軽騎兵の密集団体のごとく、勢い込んで真一文字に進んでくる様子、船首線(ステム)でザックと割(さ)かれた波に寄せられて、驚いてサッとばかり水を切るや、チャッと銀色の腹を見せて横ざまに逸(そ)れ走るもの、稲麻(とうま)竹葦(ちくい)*3とはこのことか、あわれ本船はカツオの大軍に取り囲まれたも同然だ。

水夫長(ボースン)はと顧みれば、もう十数尾のはつらつたるものをデッキにと投げ出している。苦しがって尾にヒレに力をこめてわれとデッキに体をうちつけ、生ぐさい血を絞り出す魚を捕らえて、浴場(バス)に放して子供のようにつくづく喜ぶものもある。

「たしか手応えがあったがなあ」というため息の声に振り向くと、一人の学生が竿の先につけた銛(もり)を引き上げている。見れば、なるほど頭から背にかけて真紅の生々しい創傷をもったやつが懲りもせず悠然と泳いでいる。

「さすがは太平洋を横行する魚だけあって鷹揚なものだ」と水夫長(ボースン)はスッカリ感心してしまった。



脚注
*1: 和氏の璧(へき) - 韓非子(かんぴし)に記載された中国・春秋時代の故事から完全な玉(宝石)を指す。「完璧(かんぺき)」という表現の由来となった。ここでは、完全に思わえるものにも欠点はあるという意味で、天候に恵まれた航海で、絶好の天候が乱れてきたことを示すために使われている。


*2: ゼファーとジュノー - いずれもギリシャ神話に登場する神。
ゼファーは西風神で、嵐を呼ぶような強風ではなく、心地よい風を指す。
ジュノーは全能の神ゼウスの妻(ギリシャ語では「ヘラ」)で、結婚や母性、貞節の女神。
6月の花嫁(ジューン・ブライド)の語源は、この女神ジュノーから。


*3: 稲麻(とうま)竹葦(ちくい) - いずれも密集して生える植物であることから、多数が集まっている様子を示す。


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現代語訳『海のロマンス』15:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第15回)



この歌のように、睡魔におそわれた小島通いの船頭が、今日の泊地の灯を待ちかねて舵柄(ヘルム)をとりながらまどろむ千年前ののどかな瀬戸の海や、頼りない船頭を乗せてどうやらこうやら泊地にたどりつく、扱いやすくて機敏な「よき小舟」などのイメージが色彩豊かにくっきりと自分の頭に思い浮かぶ。しかし、現今(いま)の船乗りはそんなのんきな所作はできない。

練習船では学生百二十五名を四分し、右舷一部、同二部、左舷一部、同二部と称し、この各部三十名の者がかわるがわる夕方の四時から翌日の朝の八時まで、四時間ごとに当直に立つことになっている*1

四時から八時までを薄暮当直(イブニングウォッチ)、八時から正午を初夜当直(ファーストウォッチ)、正午から四時を中夜当直(ミッドナイトウォッチ)と称し、最後の四時から八時までを黎明当直(モーニングウォッチ)といっている。

終始同じ当直に立っていると単調な船乗り生活(シーマンライフ)をいやが上にも単調にしてしまうので、毎日、モーニングウォッチ──ミッドナイトウォッチ──ファーストウォッチ──イブニングウォッチと、順繰りに交代している。しかも各当直には、それぞれ特徴がある。すなわち、モーニングウォッチの甲板(デッキ)洗い、イブニングウォッチの星の観測などであるが、最もふるっているのは、いわゆる中夜(ミッドナイトウォッチ)夜話(やわ)なるものである。

出帆してまもない頃の人々の夢は確かに故郷の野をさまよっているので、ミッドナイト夜話の話題も多くは故郷に関してである。昔の思い出である。

あるときはローマ、ギリシャの神話(ミソロジー)から、メーテルリンクの象徴主義(シンボリズム)に至るまでが論じられたりもする。冷たい雨が降りしきって甲板(デッキ)を濡らすときは、昔の帆船につきものの伝説や神秘的な話題、やがては到底信じられないような荒唐無稽の怪談に、時の経つのを忘れることもある。また、あるときは例の名物男たる水夫長をひっぱって来て、海上のアルプスと呼ばれるケーブホーンの星月夜のすごく寒い航海談や、ヤシの花から露がしたたり落ち、マンゴーの美果が口に甘いタヒチの楽園のこと、ポピーの紅が野の丘に広がっている春の夕景、重いマンドリンを抱き、しみじみとした歌を披露して金をもらうイタリアの門付(かどつ)けのことなど、どれほど若人(わこうど)の心を躍らせたことだろう。

要するに、中夜(ミッドナイト)の夜話は、帆船のロマンチックな雰囲気を最もよく表している部分だと思う。



脚注
*1: 四時間ごとに順番に当番に立つのは現代の帆船でも同様だが、当番はワッチと呼ぶことが多い。

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