現代語訳『海のロマンス』127:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第127回)

三、リオ雑感

リオですぐ目につくのは、魚売り、籠売り、ホウキ売り等が天秤棒*を用いることである。しかし、彼らはその歩きぶりといい、腰の振り方といい、はるかに日本の者より下手で、いかにも苦しそうである。その他、洗濯女が木靴(トマンコ)を履いて、自分の身体の二倍もある品物を頭に載(の)せて歩くのも、なかなか珍しい。

* 天秤棒(てんびんぼう)  長い棒の中央を肩にのせ両端に物を吊るして運ぶ道具。洋の東西を問わず、ヨーロッパなどでも使われていた。

Water Vender(Harunobu)

鈴木春信の浮世絵(東京国立博物館所蔵) 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』126:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第126回)

リオ市民の虚栄
一、両手に八個の指輪

もともとリオ人は最も宝石を愛玩(あいがん)する国民として世界に有名である。

ちょっとした中流家庭の主婦でさえ必ず両手に八個の指輪をはめている。スカートには単に桃色の木綿の布を身につけ、垢(あか)じみた足には怪(あや)しげな木靴(トマンコ)をはいている洗濯女にいたるまで、一日に二度の食事をやめてまで指にまがいものの宝石の指輪を並べたがるほどである。

この虚栄的趣味は、ただ婦人間のみにとどまらず男子にまで及び、一国の宰相とか南米の富豪とかいう輩(てあい)までが、その夫人が夜会に招かれるような時は、高い金をかけたせっかくの自慢の指輪が隠れるのを悲しんで、冬でも決して手袋をはめさせないとのことである。

というわけで、リオ市で最もにぎやかで最も人出の多い例のオビドールの両側に並んでいる店は、珈琲店(カフェー)でなければことごとく宝石商で、間口(まぐち)二間(にけん)足らずの小さい店舗(みせ)の窓飾り(ウィンドショウ)に、一個七千ミル(四千五百円)、八千ミル(五千二百円)などのダイヤ入りの指輪が無造作(むぞうさ)に陳列されているのは珍しくもない。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』125:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第125回)

慈善救済の設備

やれ危ないと思わず心に叫んだときは、もうすでに遅かった。張り子の人形を踏みつぶすように一人の男がペタペタと前輪(くるま)の下にまきこまれて、自動車のドライバーがあわてて飛び降りる様子が、砂塵(すなけむり)もうもうたるなかで遠くかすんで見えた。

電車、馬車、自動車が互いのバンパーをきわどくすれ違わせて激しく往来するキンゼ・ド・ノメムブロの広場(プラサ)である。

時は四月十八日第一上陸日。ファローの埠頭(はと)から浮浪人(ビーチコーマー)の間をすり抜けて一歩進んだ午後の出来事である。

日本で言えば橋梁(きょうりょう)課の技手(ぎしゅ)といった風采(ふうさい)のリオの巡査が、騒がず迫らず悠揚(ゆうよう)と電話ボックスに入ったと思ったら、たちまち一台の救急車(アンブラン)が風を切って駆けつけて来たのには感服した。

感服したのはこれのみならず、当然のことながら加害者であるはずの自動車の運転手が、瀕死(ひんし)の被害者を足下(そくか)に踏みつけたまま平然と車上にそり返っておったことであった。後で聞いた話だが、過失が被害者に存在しうべき状態にあるときは、加害者は治療代さえ支出すれば平然と車上にそり返っていられるそうである。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』124:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第124回)

富くじ合衆国(ユナイテッド・ステート・オブ・ロッテリア)

馬鹿に狭くて馬鹿に雑踏するオビドールを通ると、まず第一に新旧大小さまざまの型(タイプ)の宝石店が目につく。そして、その間に点在し、ほしいままに一種の刺激的な芳香(アローマ)を放つカフェーに頻繁にせわしく出入りする不思議な階級の来客が、少なからず視線を引く。

その服装(みなり)や態度からいうと、リオ紳士の範囲(サークル)から遠く外れた姿である。珈琲店(カフェー)で一国の国政を料理する腕前を有する政治家のたぐいではむろんない。ポケットから何やらの紙片(かみ)を出して、通りかかった紳士に買え買えと迫っているところは、ちょっと新聞売りのようでもある。しかし、その売りぶりのいかにも気楽そうなところは、新聞売りよりものんきで裕福な生業とみえる。これがかの有名な富くじ(ロッテリア)の売り子で、ブラジル特有の浮浪者(バガボンド)や素足(すあし)に木靴(タマンコ)姿の洗濯女とあいまって、特徴あるリオの地方色(ローカルカラー)の、自堕落な一方面を担当しているものである。

この富くじ(ロッテリア)売りの活動期は夕方であるが、南半球の初秋の光が力なくコルコバード(別名ラクダの背中)の頂きにうすくかかり、街頭の白熱灯がようやく輝きはじめるころ、この背広(フロックコート)に鳥打ち帽(ハンチング)の売り子が人目をしのぶコウモリのごとく、町から町へ、大路から小路へと舞い歩く様子は、確かに特筆を要すべき一異彩である。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』123:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第123回)

活動写真と国民性

日常のありふれた生活の間にも放縦(ほうじゅう)を楽しみ、享楽を夢みつつある徒(と)に対して、風紀を乱さない君子の楽はとうてい解(わか)るはずがない。ぜひとも強烈なる色彩と爛熟(らんじゅく)せる刺激とで、ホカホカ抱擁(ほうよう)されなくては、麻痺(まひ)しきった鈍い神経を興奮せしむることはできそうもない。かかる享楽的欲求を満足せしめんために特におあつらえ向きにできあがったかのように見ゆるのが、リオ市のいたる所にときめける活動写真である。

踏み石を光琳(こうりん)模様にきれいにモザイクした、例のアベニダ・リオ・ブランコの人道をそぞろ歩いて行くと、半町おきくらいに得体(えたい)の知れない不思議な店舗(みせ)があわただしく目に飛びこんでくる。堅気(かたぎ)の店としては、あまりにもけばけばしい装飾(かざり)を用いている。入口も柱も壁も露台(バルコニー)も窓枠も欄間(らんま)も、金粉や朱泥(しゅでい)の模様でピカピカと彩(いろど)られている。美しい花が机に飾られて、ギターの静かに沈んだ音が、ピアノの音とさわやかに調節して響いてくる。音楽会としてはあまりに内容が貧弱である。あまりに聴衆が多様乱雑である。茶を飲んでいる気配も食事をとっている様子もないから、むろん喫茶店でも料理店(レストラン)でもない。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』122:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第122回)

美術館のまがいもの

リオ・ブランコ通りの美術館に入ってみると、さすがはラテン系の国だけあって、いかにもという一、二のアレゴリー式絵画(寓意画)を除いては、これはとその前に足を止めさせるものは多くは、パリのサロンを賑わした画(もの)か、あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロやフランシス・ヴィエナの作(もの)であるが、惜しいかな、皆、模写である。まがいものである。

昼下がりのとろけるような柔らかい光線(ひかり)が、南欧の春をたっぷり浴びている一本のオリーブの木の間から、のぞいては微笑み、微笑んではまた隠れる明るい空気の中(うち)に、長春(ちょうしゅん)のようなふくよかな肉色を見せた女が、長椅子の上にうつ伏せになって安らかに寝ている。椅子から滑り落ちた右の手は白鳥の首のように白くしなやかに伸びて、蝋細工(ろうざいく)のごとく細くなったきれいな指の先で夢心地にウチワをまさぐっている。しとやかに半面をあらわした顔はいかにも静かに上品で、今にもスースーと穏やかで熟睡した寝息が聞かれそうであった。実にいい絵である。

もう一つはパリの夜会後の公園における小茶話会を描いたもので、一面に青い絵の具を大胆に使って夢幻的な夜の気分を巧みに薄く濃く印象せしめ、中央の机の上にささやかな卓上の洋灯(ランプ)を映りよく置いたもので、ちょっと青山熊次(あおやまくまじ)*氏の作品を偲(しの)ばせるようなものであった。この二つだけが素人のぼくを引きつけた例外の画(もの)で、他は皆かつて名前を聞いた欧州の大家たちの作品であった。

* 青山熊次(1886年~1932年): 兵庫県生まれの洋画家。
熊次は本名で、現在は一般に青山熊治が用いられる。当時、文展を中心に活躍する新進気鋭の画家だった。
その後、渡欧したものの、ヨーロッパで勃発した第一次世界大戦と重なり音信不通となって日本では忘れられた存在となっていたが、1926年に大作『高原』で復活する。

Aoyama K Hochebene
青山熊治『高原』(from Wikimedia, public domain、以下同じ) 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』121:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第121回)

白川大路(アベニュー・ブランコ)の美人

南半球の心地よい秋の涼感を肌に味わいつつ、カフェの「店前のテーブル(テラス)」によって、見目美しく静かにリオ・ブランコの美しき人道(フットパス)をよぎる美しき女の群れを見るよりも美しきものはあるまいと思う。

静かに眠れるときの美しさを忍ばせるに足る。やさしい、情けある、長いまつげの奥に、ただ黒曜石とばかり輝ける黒い瞳が憂(うれ)いを含んで静かに動くさまは、まだ見はてぬ美しき夢に憧がれるようである。このラテン型の美しく大きな眼をさらに大きく、さらに愛くるしく見せんがために、黒いアイラインを入れて眼をくっきり見せた女が、わき目も振らずクジャクのように傲然(ごうぜん)と過ぎる。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』120:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。

若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第120回)

オビドールのカフェ

一九〇四年の市区改正で、なんでもかんでもパリ式に道を広くしろ、家を高くしろ、やれ古くさい神秘的な歴史や伝説の跡はさっさと打ち壊して、劇場や舞踏場をおっ建てろ、やれ時代遅れのハンサム*や、旧式な四輪車はどこかにうっちゃって、便利な自動車と黒塗りで華やかな軽車にしろなどと息巻いた不風流なリオ人士のうちにも、相当に話せる非現世的の男がないでもなかった。交通機関としてなおいまだハンサムや、ランドウ**やオムニバス***などの古物の存在を寛容しているロンドンの古典的(クラシカル)趣味を、よく咀嚼(そしゃく)せる男もないではなかった。

* ハンサム (hansom):一頭立ての二輪馬車。ミステリーの名探偵シャーロック・ホームズが愛用したことでも知られる。

** ランドウ (landau):四輪馬車。

*** オムニバス (omnibus):乗合馬車。現在のバス (bus)はこれに由来する。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』119:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第119回)

リオ市の美観

昔、十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく)という滑稽(こっけい)の珍を傾け、洒脱(しゃだつ)の妙を極めた戯文(げぶん)の天才がいたが、その人一生の傑作『東海道膝栗毛』において、主人公たる弥次郎兵衛(やじろべえ)と喜多八(きたはち)のおどけた道行きを述べるくだりで、

暁(あかつき)の風、樹木を鳴らし、波の音、枕に響き、つき出す鐘に驚き目覚めてみれば、はや往来のさま賑やかに明け方のカラスがカアカア、馬のいななきヒインヒイン、鈴の音シャンシャン、

と写実の真髄をうがち、はては 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』118:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第118回)

埠頭(はとば)の浮浪者

はじめて上陸する。四月十八日の午後である。

日に三度の食事をとるのさえ痛ましいほど苦痛であった過去二十五日間の熱帯航海を通じて、厳しい暑さと伝染病があるのではと物凄(ものすご)い連想をはせたリオの暑さはどこにもない。

昼はスコールに洗われて涼しく、夜は灯影に魅せられて賛嘆するのが、この頃のリオ港の光景である。ぼくらの端艇(ボート)が、めまぐるしく行き交う何百隻もの数知れぬガソリンボートの間を縫って左に右によけながらも、何度かはあった衝突の危険を避けてファローの上陸場に近づいたとき、今日の上陸でリオ市のいたるところにあふれることになるであろう「物見遊山(ものみゆさん)のお上りさんたち」となっている自分たちの姿を想像し、自(おの)ずから微笑が浮かんでくる。

ここの埠頭(はとば)にも、例のビーチコーマーやショワーハツガーがたくさんいる。この種の埠頭(はとば)の浮浪者(ごろつき)はケープタウンにもサンディエゴにもたくさんおった。なかでもサンディエゴには、静かに岸辺の太公望(たいこうぼう)を気どりながら、ひそかに物になりそうなムクドリを狙(ねら)っているような物騒(ぶっそう)な埠頭浮浪者(ショワーローファー)もあった。

なぜ一挙手一投足もゆるがせにせぬ謹厳な英国人が、こんな物騒(ぶっそう)な連中に向かって「海の岸をくしけずる人」とか「磯のほとりの抱擁者」とかいう妙な名前をつけたのか? その複雑なる心理作用の解析は英語辞書を作ったドクター・ジョンソンにでも尋(たず)ねなければわからぬとしても、ともかくもこのファローの埠頭(はとば)にかのサン・シモン*を連れてきたら、「ああ、かくのごとき多数の失業者を生み出したのはそもそも誰の罪ぞや」と嘆くかと思われるほど、数量からも精力からも侮(あなど)るべからざる数の埠頭浮浪者(はとばのごろつき)がいる。

* サン・シモン(1760年~1825年): フランスの貴族で社会思想家。
産業や商業と社会との関係に目を向けた社会主義的な発想の先駆となったサン=シモン主義は生前にはさほど認められなかったが、その死後、フランス皇帝ナポレオン三世が信奉し、第二帝政で産業重視政策をとるなどした。

ことにリオ港の埠頭浮浪者(ショワ-ローファー)に対してすこぶる不利な点は、彼らは殊勝(しゅしょう)にも、ともかく物静かで同情を受けてもおかしくない状態であるにもかかわらず、ただ一つ、彼らが集まる埠頭(はとば)のみは、我関せず路傍(ろぼう)の人だという風に、偉そうにその白い花崗石(みかげいし)の壮大で虹のようなアーチ式の欄干(らんかん)をそびやかしていることである。従って、浮浪者(ローファー)の苦心せる情けを誘うような効果は、この立派なる背景のために、たしかに一割くらいは減っているわけである。

これらの群衆の間を通り抜けると、そこは十一月十五日の広場(別名、革命公園)という、ちょっとしたプラザになっている。紀元一八八九年十一月十五日に宣言したブラジル共和国政府を記念するため、その功労者オソリオ将軍の乗馬像(エクストリアン)が中央に飾ってある。

リオ在住の同胞による練習船歓迎の事務所がこの公園近くのブラジル海軍大臣官房内にあって、親切にも市中を案内してくれるとのことであるが、肝心(かんじん)の町名を忘れた上に、周囲はスペイン語とかポルトガル語とかいう、名を聞いただけで落胆(がっかり)するようなすさまじい語学音痴ぞろいだから……とても……と、さすがのコスモポリタンもいささか気後れしているように見えた。

物見高(ものみだか)いのはあえて東京にも限らぬと見え、同じ鼻白(はなじら)んでもまだ歩いているうちは無難であったが、一度(ひとたび)首をかしげて立ち止まったとみたら、たちまち集まってきた例の浮浪者(ローファー)の人垣に取り囲まれてしまった。

しかし、いかに群衆に取り囲まれても、例のポルトガル語やブラジル語の方は船を出るときから絶望的な用意と決心と沈着とをもって、何だ――先進国ではあるまいし、笑われようが馬鹿にされようが驚くことではないと決意してきたから、チーチーパッパのやかましいほどの騒音(そうおん)をあびても泰然自若(たいぜんじじゃく)として動じなんだのは、自分ながらあっぱれだと思った。

すでに本船入港の新聞記事に、乗り組みの学生は「英語には熟達」しているが、他の外国語には通じないと書いてあったはずであるのに、わからない小坊主どもだと、うろたえ騒ぐやかましい群衆を見ていると、その中から新聞社の写真班とも見える一人の男が出てきて、あいまいなフランス語でパレブ・フランセ(フランス語が話せますか)?と来た。

「話せます(ウイ、ムシュー)」とやらかしたかったが、わずか二年間の在学期間に、しかも選択科目で速習しただけときては覚束(おぼつか)ないこと限りないから、いきなりノンノンと言いながら、むやみやたらと歩き出したら、とうとうアベニダホテルという白レンガ造りの広壮なる建物の前へ出た。

このホテルの通りこそ、リオ随一の大通りの白川大路(アベニューブランコ)であることがわかった。

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