1977年、草思社(単行本)/
2003年、中公文庫BIBLIO |
ジョシュア・スローカム(1844年~1909年)はカナダ東部、ノバスコシア生まれの船乗りで、1895年から1898年に足かけ三年かけて、世界で初めて一人乗りのヨットで地球を一周する航海をなしとげた。本書は1900年に出版され、ベストセラーとなった。
ジョシュアは子だくさんの農場に生まれ、靴職人として働いていたが、16歳で家を出た。沿岸航海の船で経験を積み、アイルランド行きの貨物船に乗り換えて大西洋を渡ってダブリンに到着すると、今度は中国行きの船に水夫として乗り組み、アジア経由でサンフランシスコまで航海した。この間、南米大陸最南端のホーン岬を二度まわる経験を積んでいる。
18歳で海技試験を受けて正式に二等航海士となり、一等航海士、船長へと階段を駆け上っていく。
22歳でサンフランシスコに定住し、米国市民となった。サケ漁や毛皮の取引に従事した後、また船乗りの生活に戻り、沿岸航海の船を経て、外洋交易に従事するバーク型帆船の船長となった。オーストラリアで妻とめぐりあって結婚し、家族を伴って船でアラスカへ向かい、サケ漁でとれたサケをサンフランシスコに運んだりした。二十代後半から四十代にかけての二十年間に、船長として八つの船を指揮した。日本にも寄港している。
妻や二人の子(ともに船上で出生)とともに家族でさまざまな船に船長や船主として乗り組んでは各地をめぐり、財をなしたり、座礁してすべてを失ったりと、波瀾万丈で浮き沈みの多い船乗り生活を送る。ブラジルで座礁したときも、不屈の精神で、甲板のない35フィートの船を自設計で建造し、南米ブラジルから米サウスカロライナまで航海し、無事帰国している(これ自体が当時としては画期的な航海であった)。
「一八九二年の真冬のある日、長年馴染んだ海から、いわば打ち上げられたまま、一、二年を過ごしたボストンで、わたしは、ふたたび船長の職を求めて海で生計をたてようか、それとも造船所へ働きにでようかと、思案に暮れていた。そのとき、捕鯨船の船長をしている昔の知人に出会い、「フェアヘブンに来たら、船をやろう。ただし、いくらか修理が必要だが」と持ちかけられた。」(『スプレー号世界周航記』より)
喜び勇んで現地に行ってみると、それはとんでもない老朽船で、近所の人たちには「紀元元年製だ」と笑われている代物だった。
しかし、スローカムは一年以上かけてその船を自力で修理した。ほぼすべてを解体し、新しく作り直したという方が当たっている。
そうやって全長36フィート、重量九トンのスプレー号が完成する。
「船の改造にかかった費用は、材料代五百五十三ドル六十二セントに加えて、わたし自身の労働力十三ヶ月分だった。その後数ヵ月を、わたしはフェアヘブンですごした。港の向こう寄りで捕鯨船の艤装作業に時折雇われたりしたためで、それがわたしの滞在を長引かせた。」(同上)
そうして、ついに一八九五年四月二十四日正午、スローカムは抜錨し、単独で出帆した。
船のシェイクダウン(慣らし運転)を兼ねて大西洋を横断し、ヨーロッパ南端のジブラルタルに到着したところ、地中海や紅海の沿岸には「無数の海賊がいる」という英国海軍士官たちの助言を受け、当初のスエズ運河からアジアへ向かうプランを変更し、いったん後戻りする形で大西洋を南下する。
大航海時代の定番、アフリカ大陸西のカナリア諸島やケープ・ベルデ諸島を経て南米ブラジルへ。マゼラン海峡を抜けて南太平洋に出ると、ロビンソン・クルーソーの舞台となったファン・フェルナンデス諸島や宝島で知られるスティーヴンソンの暮らした館があるサモア、フィジーを経てオーストラリアへ。
その間、海賊に追いかけられたり原住民の襲撃を受けたり、夜間にはじゅうたんをとめる鋲をデッキに撒いておいて侵入者を撃退したりと、マンガやアニメそこのけの珍航海を続けつつ(その意味で、スローカムはかなりの筆達者ともいえる)、地球を半周してオーストラリアに到着したあたりから、彼の航海はマスメディアに注目されるようになった。
スプレー号の動静は刻一刻と新聞等で速報されるニュースとなり、寄港先では歓待を受け、講演の依頼を受けたりもした。そうして、インド洋を経て南アフリカへ、さらにナポレオンが流罪となった大西洋の孤島セントヘレナを経て、赤道無風帯を越えて再び北半球へと戻り、四万六千マイル余のの大航海を終えることになる。
一八九八年六月の早朝にスプレー号が米国のニューポートに戻ってくると、到着を待ちわびていた港の警備艇から「おーい、スプレー号! “Spray, Ahoy!”」と声がかかるほどだった。
スローカムはこの航海で一躍時の人となりベストセラー作家となったが、1909年11月、スプレー号に乗って再び航海に出たまま消息を絶った。
スプレー号のセイル・プラン。当初はカッターリグのスループだったが、航海の途中でスローカム自身がヨールに変更した。
カターリグとは、マストから前側に展開するジブ(前帆)が1枚ではなく2枚あるもの。スループは一般的な1本マストのヨット。
ヨールはメインマストに加えて、船尾に小さなマストを追加し、2本マストとしたもの。
ちなみに、これによく似た艤装にケッチがある。外見は非常によく似ている。
後ろの低いマスト(ミズンマスト)が舵軸の前(ケッチ)か後(ヨール)かで区別する。
こちらは世界周航記の英語版のペーパーバック(左)とスローカムの伝記(右)