帆船にまつわる十冊の本

『現代語訳 海のロマンス』の連載は終了しましたが、帆船に興味を感じた方に、さらに帆船にまつわる本をご紹介します。

小説は数が多いので(次回に紹介)、今回はノンフィクション限定です。

●『帆船 航海と冒険編』 杉浦昭典著、キンドル版(海洋文庫)

帆船について知ろうと思ったら手にとるべき定番の、ある意味、教科書ともいうべき本。一九八六年に出版された本のデジタル復刻版。電子書籍で入手しやすくなっています。

●『総帆あげて』土井全二郎著 海文堂 

日本の練習帆船・日本丸の長期練習航海に同乗した新聞記者の乗船記。
帆船がどういうものか、帆走訓練では何をするのか等が要領よく説明されています。

●『キャプテン・森勝衛』日本海事広報協会編 日本海事広報協会

『海のロマンス』の大成丸の世界周航にも実習生として乗船し、「生きた日本海運史」とも呼ばれる伝説の名船長の伝記。

●『帆船バウンティン号の反乱』ベンクト・ダニエルソン著、山崎昂一訳 朝日新聞社

十八世紀末のイギリス海軍で起きた、武装船バウンティ号における反乱について、ゆかりのあるタヒチに住みながら、その背景や後日譚などをまとめた労作。

●『コロンブス航海記一四九二年』ローベルト・グリューン著 尾鍋輝彦・原田節子訳 講談社

大航海時代のさきがけとなり、世界の歴史を変えたクリストファー・コロンブス。そのコロンブスについての史料に基づく伝記。

●『大航海者の世界 全七巻』増田義郎監修 原書房

大航海の時代を代表するコロンブスやヴァスコ・ダ・ガマ、マゼラン、ドレイク、ヘンリー・モーガン、キャプテン・クック、ネルソン提督に各一巻をあてた全集。

●『太平洋航海記』ジェームズ・クック著 荒正人訳、現代教養文庫

英国海軍のクック船長による航海記。北米大陸や太平洋各地をくまなく探検航海して測量と地図の作成を行い、これにより地球上の空白地域がなくなったとされるほど。

●『ビーグル号航海記』チャールズ・ダーウィン著 島地威雄訳 岩波文庫

二十二才の若きダーウィンが英国軍艦ビーグル号に博物学者として乗船し見聞を深めたことで将来の『種の起源』や進化論につながったとされる伝説の航海。ただし帆船の記述はほぼなし。

●『帆船航海記』R.H.デーナー著 千葉宗雄訳 海文堂

米国の帆船時代の新人水夫としての二年間の体験を描いた、今も読み継がれる名著。荒天対策や真冬のケープホーン通過、索具の手入れ、海賊船からの逃走など読みどころ満載。

●『セイル・ホー!』 サーJ.ビセット著 佐野修・大杉勇訳 成山堂書店

後にクイーン・エリザベス(一世)号の船長を務め、サーの称号を得た著者による、十五才からの若き日の帆船での修行(帆船時代のほぼ末期)を描いた定番の書。

以上、十点。

いかがでしょうか?
古いものが多くて入手しづらいものもあるかもしれませんが、いずれも定評のある本ばかりなので、これを機に図書館などで本の海を漂ってみるのも楽しいと思いますよ。

現代語訳『海のロマンス』160:練習帆船・大成丸の世界周航記(最終回)

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第160回: 最終回)

土産(みやげ)話

古い言いぐさだが、「なくて七癖(ななくせ)……」という諺(ことわざ)がある。たいていの人は何かしら癖を持っているという。もちろん、ぼくも持っている。しかも毛色(けいろ)の異(かわ)った妙な癖を。

十二、三歳から二十歳(はたち)ぐらいまでの、美しい、従順(すなお)な、かわいらしい娘の多い家庭にお客となって、若い華(はな)やかな雰囲気(ふんいき)に包まれながら、強烈(きょうれつ)なる色彩とかんばしき芳香(ほうこう)とに富んだ若い生を味わいたい――と、これがぼくの癖である。

しかし、何らの野心も、謀反(むほん)も、冒険もない。ただ、そういう華(はな)やかな家庭の空気にふれていればよい。念のため、ちょっと断っておく。

敏(とし)さんと百合(ゆり)ちゃんと武(たけし)君の家庭は、そういう意味から、ぼくの勝手に選定した家庭の一つである。先方(むこう)ではさぞかし有難迷惑(ありがためいわく)であろうが、とんだ者に見こまれたのが災難と、あきらめてもらいたい。

十五ヶ月ぶりで──どうも「十五ヶ月ぶり」が多いようだが、ぼくらのようなコスモポリタンにとっては、誇(ほこ)りと欣喜(よろこび)とを感じるこんな嬉しい言葉はない──勝手(かって)知った玄関口に立つ。敏(とし)さんが、ニコニコ笑って出てこられる。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』159:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第159)。

帰山の途

……広い桔梗ケ原(ききょうがはら)*の片ほとりに、幾星霜(いくとしつき)をさびしくたたずんだ村も、今日はさまざまな秋の草花と、歓迎の文字を記(しる)した色とりどりの旗とで、盛装した花嫁のごとく飾られ、軽く喜んでいる村人の心を、さらにはしゃがせるように、さらにそそのかすように、陽気な昼花火が、青い高い秋の空に男らしく砕け散る。

* 桔梗ヶ原  長野県塩尻市にある、奈良井川の扇状地。

古いモーニングを着た村長殿、中尉の制服をいかつく身体にまとった在郷軍人の団長、黒門付(くろもんつき)に仙台平(せんだいひら)の村会議員、タンスの底からいま出したばかりと──その畳(たた)みジワで一目に証明している──とっておきの矢絣(やがすり)を着た、日焼けしている娘たちがみな、一斉に小さな村の停車場(ステーション)に集まる。

四時の時計が、暮れやすい高原の夕景を先導するようにさびしく高く鳴ると、三千の群衆はすわとばかり襟(えり)をととのえる。飯田町(いいだまち)一番の列車が堂々たる様子で構内に進み入って、「万歳」の歓呼(かんこ)のうちに、商船学校の制服を着用した色の黒い、小さな男がプラットホームに出る。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』158:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第158回)

あれ、芙蓉峰(ふようほう)が

十月十六日朝――時、船は薄曇りにとぼけた空と、昨日のシケがきまり悪げにまだ十分に静(しず)まらない海との間を、心細く前後左右に揺れながら、危なかしげに進んでいる。

涙にうるむ声をあげて、「微笑(ほほえみ)のうち涙あり」と、悲しき、嬉しき、はずかしきすべての情操(じょうそう)を傾けつくして歌いこがれたその翌日である。

船の右舷(うげん)の水平線には、大島を先頭に、利島(としま)、新島(にいじま)、式根島(しきねじま)、神津島(こうずじま)、三宅島(みやけじま)……と例の伊豆の七島が、あるいは平たくうづくまり、あるいは円錐形(えんすいけい)に高く「直立不動」をしている。みな同じ色の淡い藤紫の色に染まりながら……。

この苦しい楽しい長途(ちょうと)の航海から帰ってきた練習船(ふね)を迎えるように、一斉に勢揃(せいぞろ)いした列島(しまじま)にそそいだ視線を左に転じると、白く、黒く重なるSの雲*の下に曙色(あけぼのいろ)に光っている伊豆の山脈が見える。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』157:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第157回)

微笑(ほほえ)みて泣く

その後、四日ぐらいの間隔で汽走と帆走とを交互に用いて、十五ヶ月の間、眠って夢を見ている間も忘れることのできなかった日本の海近く進んできた練習船は、十日の午後四時、最後の汽走に移った。

八日に校長から「諸員の辛苦(しんく)と勤労(きんろう)とを感謝す。健康の回復は最も喜ばし」との祝電を受けた頃から、人々の心は喜ばしいような、忙(いそが)しいような、泣きたいような、むやみと軽い心になって、ただもう小児(こども)のように、いくつ寝たら紫(むささき)匂(にお)う江戸の海へ入るだろうかと指折り数えてばかりいた。

各部屋では、ひげ面の大男が、鹿(か)の子やリンゴを賭(か)けて、館山(たてやま)に到着する日を当てようと一生懸命になっている。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』156:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第156回)

十、南洋の思い出

九月二十二日にコーリング・ワーフに横着けし、きたるべき大汽走航海の準備として約二〇〇トンの石炭を積みこんだ練習船は、九月二十四日の満潮時に、この紫山緑水(しざんりょくすい)の美島(びとう)を辞(じ)した。

午後四時ともなれば、きまったように必ず青く茂った山から吹き下ろしてくる涼しい陸軟風(りくなんぷう)、豊かな広々とした湾水(わんすい)を美しく染めるしんみりした暖かい港の灯(ともしび)や、馬車の燈(あかり)など、アンボイナのなつかしい情趣的印象。

のみならず、「南洋の島」の回想には、いろいろの面白い滑稽(こっけい)なことがある。

ビマで古シャツ一枚と刀一本、手ぬぐい一本と槍(やり)一筋(ひとすじ)などという値段で物々交換をした翌日、上陸してみると、今までの黒い裸体の上に、きれいさっぱりと洗い流した上着やシャツを得意気(とくいげ)に、羽織(はお)ったにわかこしらえの「文明人」が威風堂々と小さな草葺(くさぶ)きの家から出てくる。当人のつもりでは、スンバワ島第一のハイカラ、第一の先覚者をもって任じているらしい。明治初年に、ネクタイもつけずフロックコートを着て威張っていた大臣(だいじん)や参議(さんぎ)の連中と同工異曲(どうこういきょく)の、得意満面の心持ちでいるのだろう。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』155:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第155回)

八、大瀑布(バテガンドン)

こんな話を道連れになった島に住んでいる日本人の口から聞きながら、足はいつのまにやらシダ類が密生し繁茂(はんも)している、けわしい山道に入っている。今日はバテガンドン――アンボイナ市街の南西方向にある、谷間にあるという瀑布(ばくふ)――つまり、滝を見に行こうというので、友と二人して船から上がってきたのだ。

ココアやデイントパームやロイヤルパーム、芭蕉(ばしょう)などが、暑い熱帯の直射光線をさえぎって、清水が音を立てて流れている渓流の面(おも)から吹き上がってくる涼しい風が、汗ばんだ帽子のつばの下を気持ちよく吹いて通る。

瀑布(バテカンドン)は巨人の大きな斧で断ち割ったような岸壁の間から、冷たい清冽(せいれつ)な水が落ちるところにあった。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』154:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第154回)

美港アンボイナ

豊果(ほうか)の王として世界に名高きマンゴステンと、山紫月明(さんしげつめい)の涼夜(りょうや)をもって、世にうたわれているアンボイナ港は、山影(やまかげ)蒼(あお)く、静かなる天然の良港である。

常に気ぜわしい心を抱いて、泊地から港へと忙(せわ)しい思いをはせるのが船乗りの生活である。

九月七日、ビマに投錨した練習船は、同九日午後にはすでにアンボイナへと向かう途上にあった。そして、十五日午前二時、つまり真夜中に、ここ南洋の美港アンボイナの静かな夜の空気を揺るがして、その深い蒼(あお)い湾(うみ)に重い錨(いかり)を投げた。

アンボイナは港湾としての価値からみても、景観をめぐる嗜好(しこう)からみても、実に申し分のない好い港である。適当な広さの港口(こうこう)、錨地(びょうち)(陸岸から一町ばかり)において平均七十尺(約二十メートル)にあまる深さを有するその水深、疾風(ゲール)や怒涛(どとう)を決して経験することのない、その地理的位置。これらはすべて、前者、つまり港湾としての価値を満足させる好条件である。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』153:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第153回)

三、シャンペイ

練習船は遠浅の海を、抜き足差し足、こわごわと探りつつ港に入っていって、上陸場から二海里も手前に投錨する。

入ってみると、案外にやせた、うるおいのない荒れた土地である。心に描いた南洋とはだいぶ違う。これでは、得意のゴムも育つまい。

しばらくすると、変な端艇(ボート)がたくさん、船の周囲(まわり)に集(たか)ってきた。中をくりぬいて左右に一対(いっつい)の防波材(ローリングチョック)をつけている。音に聞いた独木船(カヌー)だ。船の中には魚類、果物、ニワトリなどが積んである。やがて、半裸体の船頭が(さすがに商人だけあって下半身は婦人の腰巻きのような布片(きれ)で覆(おお)っている)、杓子(しゃくし)のような櫂(かい)で巧みにカヌーを進退させながら、口々にシャンペイ、シャンペイと呼び、シャーツルピーと叫び、バジュー、アイアンなどと吠(ほ)える。

いやはや、とんだ港に入ったものだ。これこそ掛け値も飾りもない、正真正銘の外国語で、ちんぷんかんぷんである。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』152:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第152回)

美果が実る南洋の島 一、ロムボク海峡

八月二十七日に汽走をやめて、勢いのある南東貿易風に総帆(そうはん)を展開した練習船は、昼は海洋(うみ)のひょうきん者のトビウオを伴侶(とも)とし、夜は南十字星(サザンクロス)やオリオン座のさやけき星光(せいこう)に輝くノクチフホリスの海を眺めて、すこぶる平穏で刺激のない航海を続けた。

しかし、一瞬の安らぎも許さぬ海洋(うみ)の変化は、この貿易風帯の航海にも長く続く平穏を与えてはくれず、南東の恒常風(こうじょうふう)が強東風に偏向するに及び、船の針路は世にも物騒(ぶっそう)なものとなり、いかに「一杯開き」にしても、とうてい北オーストラリアの突角(とっかく)を右にまわれそうもない姿となった。


* 水色の点線が当初予定の進路。

こういうときには決まって根拠のない憶測や噂話が飛び出すもので、ロムボク海峡を通過してジャワのスラバヤに寄港するだろうとか、セレベスのマカッサに錨を投(い)れるだろうという者があれば、いや違う、スンバワのビマ港だと打ち消す者がある。勝手気ままの憶測が勝手気ままに勢いに乗って横行する。

九月四日に総帆(そうはん)をたたんで汽走に移るとき、一等航海士が訓示した。最後の寄港地たるアムボイナに着く前に、都合でスンバワ島のビマ港にちょっと立ち寄ると……。 続きを読む