ジョン・マクレガー著
現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第13回)
夏の航海計画を立てるのは楽しい。ブラッドショーの海外鉄道ガイドに読みふけるのは六月とか七月だ。このガイド本には他にも有益な情報は掲載されているのだろうが、どこへ行こうかと思案しつつ、ぼくは自分に興味のある「蒸気船と鉄道」のページだけを何度も読み返した。
こうした楽しみはすべて、次のような質問に対する答えが自分のなかできちんと出ているかにかかっている。気分転換したいのか、ゆっくりのんびり過ごしたいのか? 休息のために出かけていくのか、保養のためなのか、はたまた精力的に動きまわって夏を存分に楽しみたいのか?
とはいえ、誤りのないことでも有名なブラッドショーのガイド本にも、ぼくがカヌーについて知りたいと思っていることに対する答えは載っていなかった。自分で持ち運ぶボートについての旅行ガイドなんて、どこにも存在していないからだ。だから、どうしようかという悩みについては、フライバーグですぐに決着がついた。とにかく「ドナウ川の源流まで行ってみよう」と、単純明快に決心したのだ。
で、翌朝にはもうカヌーを荷車に載せ、例によってグレーの服を着用し、埃っぽいヘレンタールの通りを歩いていた。そのときのぼくは、体調もよく意気軒高で、うきうきと心も軽く、はつらつとして明確な目標も持っていたが、具体的に何をすべきか、何を見るべきか、誰に会うべきかわからないという状態なのだった。これをどう表現したらいいのだろう? こういうときには、とにかくうれしくて、簡単に「感謝の念に満ちた!」状態でいることはできる。
あれこれ思案しながら数マイルほど歩いていくと、イギリス人を満載した馬車が追いこしていった。やがて彼らとも道連れになった。外国でのイギリス人の評判は「他人行儀で、無口で、尊大で、陰気で、信用できない」だ! ぼくに言わせれば、それはとんでもない誤解だ。 非常に美しい深い峡谷を通っていく間ずっと、連れの女性たちはぼくのような者でもちゃんと相手をしてくれたし、ヘレンタール峠をこえるときは、荷車に載せたカヌーがぼくらの後ろからちゃんと運ばれてくるようにしてくれた。旅行者は汽車でスイスに向かうので、フライバーグの尖塔を車窓から眺めて感心する人は多い。が、この峠まで足を運ぶ人はめったにいない。
黒い森という意味のシュワルツワルトがスイスへの入口になっている。森林や岩場が多くて不気味な場所だが、立派な道路が通っているし、ちゃんとした宿もあちこちにあった。村は森の中にあった。一軒おきに製材工場があるのではというくらい、せわしなく活力に満ちた音が響いてくるが、それにカッタンコットンと水車のまわる音がまじって、なんとものどかな感じだ。観光客が景色を眺めに来るのはそこまでだ。さらに進むと、暗い色をした大海原のような壮大な山岳地帯が広がっていた。家々は大きくなる一方で、その数は減っていく。ほぼすべての建物の脇に小さな礼拝堂があり、聖人の等身大の木像が破風の端に取りつけられていた。ある夜、ぼくはこうした巨大な建物の一つに泊まった。使用人やら農作業を終えた連中が戻ってくると、その半数はなかば歌うような調子で、小さな声だが節をつけて祈りを唱え、それから大盛りの夕食に挑むのだった。
馬車はさらにけわしい山岳地帯を登っていった。どちらの側も山に囲まれた渓谷の盆地のようなところで、頭上には巨大な老木がそびえている。こうした巨木はいずれ切り倒され、ストラスブールで見るような大きなイカダの一つに載せられてライン川を流れ下っていくのだろう。
ライン川のイカダは有名だからこまかい説明は省くが、広い水面に丸太が延々とつらなって浮かび、その上に小屋が立ち並び、陽気なイカダ師たちが大挙して乗っている。連結させた長大なイカダを操作しながら流すには五百人もの人手が必要で、その材木の値は三万フランにもなるという。
この峠の一番高いところが分水嶺だった。スイスのバールに宿をとり、カヌーも安全に保管してもらえるようにしておいてから、ぼくはカヌーを浮かべられる流れを探すため徒歩で遠くまで見てまわった。
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