第7章
モロカイ島のハンセン病患者
スナーク号がモロカイ島の風上側の沿岸をホノルルに向かって帆走していたとき、ぼくは海図を見て、低く横たわった半島とその向こうに見えている高さが二千フィートから四千フィートはありそうな一連の断崖を指さして、こう言った。「あそこが地獄だ。地球上で最も呪われた地だ」と。その一カ月後に自分自身が地上で最も呪われたその地の海岸に立ち、八百人ものハンセン病患者と一緒になってってはしゃいでいると知ったら衝撃を受けたはずだ。楽しむのは不謹慎だ、というのは間違っている。とはいえ、自分にとって、あの人たちの中に自分がいるというのは、少し前までだったら考えられなかったことだ。それまでと今とでは、感じ方がまったく違っているし、実際に楽しかったのだ。
たとえば、独立記念日の七月四日の午後、ハンセン病患者たちは皆、競技場に集まっていた。ぼくはレースの様子を写真に撮るため、監督官や医者たちから離れていた。面白いレースだった。ひいきをめぐって対抗心がめらめらとわいてくるのだ。三頭の馬が入場した。それぞれ中国人、ハワイの原住民とポルトガルの少年が乗っていた。三人の騎手はハンセン病患者だった。ジャッジも観客も同様だ。レースはトラックを二周する。中国人とハワイの原住民がまず抜け出した。二人は首の差だ。ポルトガルの少年は二百フィートも後方に置いていかれている。一周しても、ほぼそのままだ。二週目の半分あたりで、中国人の騎手が一馬身ほど原住民の騎手より前に出た。同時に、ポルトガルの少年も差を詰めてきた。が、追いつけそうにはなかった。観客の応援に熱が入る。ハンセン病患者たちは誰もが競馬が大好きなのだ。ポルトガルの少年が追い上げる。ぼくも声を張り上げた。ホームストレッチにさしかかった。ポルトガルの少年がハワイの原住民を抜いた。雷鳴のようなひづめの音、三頭の馬の競り合い、ムチをふるう騎手。観客は一人残らず声を張り上げ叫んでいる。差はじりじり縮まってくる。ポルトガルの少年が追いつき、追いこした。そう、追いこして、中国人を頭一つリードして勝ったのだ。ぼくはハンセン病患者の中に飛びこんだ。彼らは歓声をあげ、帽子を投げ飛ばし、つかれたようにおどりまわった。ぼくも同じだ。帽子を振りまわし、有頂天になって叫んでいた。「なんてこった、あの子が勝ったぜ! あの子が勝ったんだぜ!」
客観的に分析してみよう。ぼくはいわゆる「モロカイの恐怖」なるものの一つを確かに目撃していたのだ。そしてそれは、世間に広まっているような状況が本当であるとすれば、ぼくの行為は屈託がないというか、無邪気すぎて、恥ずかしいことでもあっただろう。それを否定はしない。次の競技はロバのレースだった。こいつも、とても面白かった。ビリだったロバが優勝したのだ。話を複雑にしているのは、騎手は自分の持ち馬ならぬ持ちロバに乗っているわけではないということだ。どういうことかというと、騎手たちは互いに別の騎手のロバに乗っていて、他人のロバに乗りながら、他の騎手が乗っている自分のロバと競争するのだ。当然のことながら、ロバを所有している者たちは、レース用に提供するロバについては、とても遅いのを選んだり、極端に御しがたいのを参加させたりするのだ。あるロバは騎手がかかとで腹をけると脚をすぼめてる座りこむよう訓練されていた。その場でぐるぐるまわろうとするロバもいれば、コースを外れたがるロバもいる。柵ごしに頭を外に突き出して足をとめてしまうのもいた。参加したロバ全頭がそんな具合だった。トラックを半周したところで、一頭のロバが騎手に抵抗しはじめた。残りのロバすべてに追いこされても、まだもめていた。結局、そのロバは騎手を振り落とし、なんと一着になった。千人ほどのハンセン病患者全員が腹をかかえて笑っ。ぼくと同じ場所にいた者たちは誰もがそれを楽しんでいたのだ。
というような出来事はすべて、巷間うわさされているモロカイ島の恐怖なるものが存在しないことを述べるための前振りだ。この居住地については、センセーショナルにあおりたがる連中、事実を見ようとしない扇動主義者たちがて繰り返し書きたてている。むろん、ハンセン病はハンセン病であるし、おそろしい病気ではある。だが、モロカイ島について書かれた話は誇張されすぎていて、ハンセン病患者たちも、治療に身をささげている人たちも、正しく扱われてはいないのだ。具体的な例を述べよう。ある新聞記者がいた。この居住区に足を踏み入れたこともないのに、監督官のマクベイについて、自分の目で見てきたように、こう描写した。草ぶきの小屋で床についたマクベイを飢えたハンセン病患者たちが取り囲み、夜ごと、飯をくれと責め立てている、と。この身の毛のよだつような記事は全米に報道され、それを読んで憤然として抗議し改善を求める多くの社説が書かれたものだ。ところで、今ぼくはこのマクベイ氏の草ぶきの小屋なるところに五日間寝泊まりしているのだが、まず小屋は草ぶきではなく木造家屋だし、だいたいこの居住地のどこにも草ぶきの家などないのだ。ハンセン病患者の声は聞こえているが、それは飯をくれというより、合唱のようにリズムに乗っていて、バイオリンやギター、ウクレレ、バンジョーのような弦楽器の伴奏もついている。他にもハンセン病患者のブラスバンドや二つある合唱団の歌声など、いろんな音が聞こえてくる。五人のすばらしい歌声も聞こえたが、記事や本に書かれているのとは違って、その歌声は、ホノルルへの出張から戻ったマクベイ氏のために、患者のグリークラブが歌っているセレナーデなのだ。