スナーク号の航海(13) - ジャック・ロンドン著

とはいえ、またも信じられない、ひどい事件が鎌首をもたげた。なんとも不可解で、ありえない事態だ。信じたくもない。メインセールをツーポンリーフし、ステイスルをワンポンリーフしたのだが、スナーク号はヒーブツーしてくれないのだ。ぼくらはドラフトが浅くなるようにメインセールをきつく張ったが、船の向きは少しも変ってくれない。メインセールを緩めてみても結果は同じだ。ストームトライスルをミズンに上げて、メインセールを取りこんでみるが変化はない。スナーク号は波の谷間で横揺れしているばかりだ。美しい船首はどうしても風の来る方向に向いてくれない。

次に、リーフしたステイスルも取りこんだ。スナーク号で展開している帆はミズンマストのストームトライスルだけになった。これで船首が風上の方に向いてくれればよいのだが、そうはならなかった。話を面白くするための下心丸見えの筋書きと思うかもしれないが、実際にそうだったのだから仕方がない。どうやってもうまくいかなかった。信じたくはないのだが、これが現実だ。頭で考えたことを言っているのではなくて、実際に見たことを言っているのだ。

というわけで、心やさしき読者よ、小さな船に乗り、大海原の波の谷間で翻弄され続け、トライスルを船尾に上げても船が風に立ってくれない場合、君ならどうする? シーアンカーを取り出せって? いまやったところだ。特許を受けた沈まないと保証つきのものを特注して用意していたのだ。シーアンカーとは、巨大な帆布製の円錐形の袋で、その口を広げるために鋼鉄の輪がついている。ぼくらはロープの一端をシーアンカーに結び、もう一方をスナーク号の船首に結びつけた。そうしておいてからシーアンカーを海に投下した。すると、すぐに沈んでしまった。引き綱をつけていたので、それを引いて回収し、浮き代わりに大きな木片をつけてから、もう一度放りこんだ。こんどは浮いた。船首に結んだロープがぴんと張った。ミズンマストのトライスルには船首を風上に向けようとする性質があるが、それなのに、スナーク号はシーアンカーを引きづって進もうとした。波の谷間でシーアンカーが船尾にまわってしまい、それを引きずる形になって具合が悪い。ぼくらはトライスルを下し、もっと大きなミズンセールを上げてから、平らになるようぴんと張った。するとスナーク号は波の谷間で挙動不審になり、やたらシーアンカーを船尾の方向に引きずりまわしてしまう。ぼくの言うことを信じてないな。自分でも信じられないのだから仕方がないが、ぼくは見たままを話しているだけなのだ。

さて、ここで問題だ。ヒーブツーしたがらない帆船の話を誰か聞いたことがあるかい? シーアンカーを使っても駄目だった船の話さ。ぼくの短い経験でも、そういう話は聞いたことがない。ぼくは甲板に立ち、信じられない、とんでもない船、つまり、どうしてもヒーブツーしてくれないスナーク号をぼうぜんとして眺めているだけだった。嵐の夜で、とぎれとぎれに月光が差しこんでくる。空気は湿っていて、風上の方には雨を伴う突風の兆しがあった。大海原の波の谷間で冷たく無慈悲な月光を浴びて、スナーク号はやたら横揺れしている。ぼくらはシーアンカーを取りこみ、ミズンセールも下し、縮帆したステイスルを上げてから、スナーク号を風下に向けて帆走させた。そうしておいて下に降りた。暖かい食事が待っているというわけではなかった。キャビンの床は水びたしだし、コックと給仕は自分の寝床で死んだようになっていた。ぼくらはいつでも起きだせるように服を着たまま寝床に倒れこみ、船底にたまったビルジ水が調理室の床から膝の高さにまで達してピチャピチャいう音を聞いていた。

[訳注]

荒天時の帆船の対処法の基本は、
1.縮帆する
2.船首を風・波の来る方向に向ける(「風に立てる」と表現される)
の2点になる。

メインセールは数段階に帆の面積を減らせるようになっている。
ヨットでは一般に一段階目の縮帆(リーフ)をワンポン(ワンポイント)リーフ、さらに小さくする二段階目をツーポン(ツーポイント)リーフ(原文ではダブルリーフ)、、、と呼ぶ。

ステイスルは文字通りはステイ(支索)につける小さ目の帆のことだが、小型のヨットでは必ずしもステイに取りつけるとは限らない。メインセールの縮帆では追いつかないほどの強風では、メインセールを下し、ストームトライスルを上げる。

ジブセール(前帆)は何枚か用意しておいて、風の強さに応じて小さいものに取り替えることが多いが、以前にはジブも縮帆できるようになっているものがあった(現代は巻き取り式のファーラージブが普及している)。荒天用の特に小さく頑丈なものをストームジブという。

帆をすべて下してミズンセールだけ上げるというのは、現代でも釣り船や小型漁船が船を風に立てるのに使っているスパンカーと同じ原理だ。

船は構造や設計上、船首や船尾からの波には強いが、横から波を受けると、すぐに横倒しになってしまう。そのため、荒天では風や波に対して船腹を向けないようにするのがポイントになる。

シーアンカーは、頑丈な布製のパラシュートのようなもので、これを海中に投下すると、それが抵抗になって船首を風上の方向に引き戻してくれる。現代のヨットの航海記でも、シーアンカーの代わりにロープにタイヤをつけて流したりする様子がよく出てくる。ヒーブツーでダメなくらい風が強くなってしまうと、セールをすべて下し、シーアンカーを投入することになるが、これが抵抗になって船首が風上方向に向きやすくなる。これをライアハルとかライイングハルという。

シーアンカーは現代の釣り船でもおなじみで、潮に流されるのを遅くしたり船の向きを調整したりするために使用されたりもする。

本文にもあるように、ヒーブツーは陸から遠く離れた大海原での荒天対策の代表的な方法だが、船型によって反応が違ってくるので、特に帆が何種類もあり組み合わせも複雑な帆船では、その船に適した方法を見つけるには試行錯誤が必要になる。

ヒーブツーできないときは、ライアハル、それでもだめなときは、最後の手段として、本文にあるように風を受けて風下に向かって走るしかない。

速度調節や安定確保のため、船尾から長いロープを流したり、ドローグと呼ばれる抵抗物を流して引きづって走ることもある

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