米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第113回)
(これまでのあらすじ)太平洋を横断して合衆国のサンディエゴに寄港した練習船・大成丸は、乗務員の死亡や船長の行方不明などのトラブルを乗り越えて南太平洋へと航海を続け、南米大陸・最南端のホーン岬をまわります。
その後は当初の目的地であるイギリスのロンドンに向かうはずでした。
ところが、サンディエゴでの滞在が予想外の長期となったことで日程と予算に狂いが生じます。ロンドン行きを断念し、とりあえず南大西洋をそのまま横断して南アフリカのケープタウンに寄港。
そこで物資を補給したのち、逆戻りする形で南大西洋をセントヘレナ島(ナポレオンが流罪となり死亡した孤島)まで北上します。
セントヘレナ島を出発した大成丸は、ロンドンに代えて南米ブラジルのリオデジャネイロを目指すことになります。
南太平洋の鱶(フカ/サメ)釣り
物にふれてはことごとくに感傷しやすい青年の胸には、まだうら若い傷が昨日のごとくわだかまる。
彼らの胸には、無限の容量と美しき色彩とに満ちている想像の世界がある。その想像の世界の源泉だったロンドン行きは、わずかに七千円の航海費用不足という表面的な理由のために、由々(ゆゆ)しくも中止の宣言を受けるにいたった。
かくて、彼らの築いた想像の世界は夢のごとくに破れた。ハニーサックルの薫香(くんこう)が野にあまねくただよっている英国(イングランド)の花にあふれた五月も、四本マストたるバーク型帆船の上品な風姿(すがた)をひたすはずだったテムズ川の流れも、驚いた目をいやが上に見開いて、それが人知れず蔵している神秘にふれようと望んだ灰色の大都(たいと)も――すべてのものが皆――夢のごとくに。
かくて、目的港はロンドンからリオに移された。
今日は日曜であるが、入港が間近いので船内いたるところで塗装(ペインティング)のお化粧に忙しい。少しばかり申し訳くらいに吹いておった風も、午後には音もなく消え去って、重く静かな海面(うみづら)に響く文鳥(ぶんちょう)の軽いささやきも今日はことに平和に聞こえる。
そろそろ来そうなもんだ、と思う。
風が死んでバタリバタリと帆があくびをするようになると、ぼくはいつも心ひそかにいよいよ鱶(フカ)日和(びより)だと思う。いつぞや北太平洋で釣り損なった海洋(うみ)の怪物(モンスター)は大きかったと思う。北太平洋の敵(かたき)を南大西洋で伐(う)つのも一興だと思う。海洋(うみ)という広い大自然の懐(ふところ)だけに、江戸の敵(かたき)を長崎で――などとケチくさいことを言わんでもよいとさらに思う。
かくて用意も成算もことごとく心づもりができてしまう。段取りが見事にできあがったこの際、ただほしいのは、ソラ来たと注進する者の到来である。
しばらくすると、室(へや)におった非直の者が皆、一斉に上甲板へ飛び上がっていく。いよいよ来たらしい。三間(さんげん)*にあまる傑物(えらぶつ)だと言う者があるかと思えば、水夫長(ボースン)の餌に食いついた二匹が二匹とも釣り落としたとい言う。帰る者に集まる者、がっかりする者に勇む者。後甲板は今や飛語流説(ひごりゅうせつ)百出の姿で非常な人気である。
* 三間(さんげん): 一間(いっけん)は約一・八メートル。畳の長辺とほぼ同じ。
海では深さを尋(ひろ)で表すことが多いが、一間=一尋=六尺になる。
一尺(約30センチメートル)は一フィートとほぼ同じ。
長さ(度量衡)は身体のサイズを基準にしていることが多いので、洋の東西を問わず、古くからの長さの単位は似通っている。
しかし、ぼくが人波を分けてようやく船尾楼の手すり(プープレール)に達するまでには、三間にあまる傑物(えらぶつ)であったことは確かで、二匹が二匹とも釣り落としたことも確かであるのがわかった。
はじめの奴は苦痛のあまりまだ水面を離れぬうちに、見るもおそろしいその鋸歯状(きょしじょう)の背びれを逆立たせながら、猛烈なる掉尾(とうび)の一蹴(いっしゅう)をその長大なる尾に集めたと思ったら、さすがに太い釣り糸をやすやすと断ち切って悠然と底深く消え去ったという。
次の奴は釣り糸を介して送りこんだハリヤードで顎の辺をくくったものの、いざ引き上げようとした刹那(せつな)、われとわが顎(あご)を裂いて血潮に波を染めながらみごとに逃げ去ったという。
うまうまと二匹まで逃げられてはとても今日は望みがあるまいときびすを返したぼくは、たちまち後方からの血に渇(う)えた『勝者の喝采(かっさい)』の声をとらえた。
こりずまにまたまた第三の奴が食いついたと見える。
ここで思い出すのは、英国人は大西洋のことを『鯡(ニシン)の池(ヘリング・ポンド)』としゃれて、広大な大洋(たいよう)を物の数とせぬ豪快な心意気を示したそうであるが、ぼくならばむしろ『鱶(フカ)の池(シャーク・ポンド)』と言って、わが鼻息をしていっそう効果(エフェクト)あるものとせしめたであろう。
水を離れてはさすがの海洋(うみ)の怪物(かいぶつ)殿もから意気地(いくじ)がなかった。最後の奮闘も、ぐるぐる身体を回転させる躍動も、その甲斐がなかった。疫病神のように怖がられた彼は、最後にクルクルと丈夫なターポリン布に包まれ、歓呼(かんこ)のうちにメインデッキへ運び去られた。誰やらがキャプスタン(巻取り装置)の操作棒(バー)で偉大なる半月形の口をねじ開けたとき、薄く鋭利な白い歯列(はなみ)がなんとも不気味で人目を奪った。
かくて一時間ばかりの後にはさしもの怪物も骨は削られ肉は刻まれて、たちまち出来上がった鱶(ふか)の味噌あえという珍料理はただいたずらに水夫連中の腹を肥やしてケリはついたが、飽くまで執念深い彼は、その死後に小判鮫(こばんざめ)という謎の魚を残して、『死せる鱶(ふか)生ける船乗りを悩ました』。
はじめ釣り上げられた鱶(ふか)の背に一つ、腹に一つ寄生しておった謎の魚を見つけたとき、これは珍物と丁寧(ていねい)にだましつすかしつようやくのことに剥(は)ぎ取って、水を張ったバケツに入れて、これでまず安心と気を許したのに、いざ肝心のアルコール漬けという間際(まぎわ)に、謎の先生、またまたバケツの底にへばりついてテコでもレバーでも動かぬときた。皆、困惑し、手を替え品を替えて、この厄介な謎の魚をアルコールの中に成仏せしめるまでに、練習船では少なからず頭を悩まされた。