ヨーロッパをカヌーで旅する 83: マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第83回)
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こうした丘の一つに、マダム・クリコの館があるのに気づいた。この名前は多くのシャンパンのボトルやそれ以外のボトルのコルクにも刻印されている。エペルネの近くのアイのブドウ園はこのワインの名産地だ。ワインは瓶詰にされた後、ボトルの首を下に向けて沈殿物をコルク周辺に集める。それから熟練した職人がコルクを交換する際に、瓶内の圧力で少量のワインもろとも沈殿物を吹き飛ばす。ボトルは「洞窟」や巨大な貯蔵室に保管されるが、そうした場所は温度変化がほとんどない。そのために瓶(びん)が破裂することもある。ボトルの四分の一がそうやって爆発したこともあったそうだ。この有名なマダム・クリコでは、一八四三年の暑かった夏、四十万本のボトルが失われたという。その後、大切な貯蔵庫の冷却用に十分な量の氷がパリから調達できるようになると、そういうことはなくなった。フランスでは毎年約五千万本の「本物」のシャンパンが製造されているという。世界中で「フランス製シャンパン」と称するものが年間に何百万本飲まれているのか、確実なところは誰にもわからない。イタリアのワインの産地として有名なベローナでも、ここのシャンパン・ボトルは尊重されている。

マルヌ川は大きくて深い。おまけに、数マイルごとにカヌーにとって障害物となるものが設置されている。そのたびにカヌーを陸に引き上げて反対側でまた下ろすというのはかなり面倒だ。そのうちの一つでは、乗ったまま乗りこえようとしたのだが、カヌーの船尾が鉄の棒に激突し損傷した。ぶつかったのは船尾材から四本目の板までだったが、その夜に屋根のない台車に載せて運んだため、すき間がフレーム全体に広がってしまった。とはいえ、このカヌーの船大工は自分だ。釘やネジ類も持っていたので、また水が漏らないようなんとか修理した。夜になって月の光で照らされるころまでにはドルマンに到着した。例によって見物人が押し寄せてきて夜遅くまで見学していた。

カヌーについては、その土地で異なる呼び方をされたことも興味深い。まあ、こんな感じだ。ボート、スキフ、ボト、バルカ、カヌー。クリミア戦争に従軍している兵士たちはカイクと呼んだし、シャルプ、ナヴィール、シップ(低地ドイツ語)、ヨット(急ぎで乗るための馬に曳かれたボート、ヤーヘンからヤット、デンマーク語でヨット)などなど。蒸気船と呼ぶ人もいた。というのは、フランス中央部では実際の蒸気船を見たことがない人がいるのだ。普通の人々の間では「小舟」が一般的で、教育を受けた人の間ではゴンドラかペリソラだったが、ペリソラというのは「棺(ひつぎ)」とか「突然の死」という意味だ。カヌーの漕ぎ手はパガヤーだ。東のトルコやエジプトではシャクトーラと呼ばれ、シェイタン(霊魂)と呼ばれることもあった。

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