米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第47回)
「ラモーナ」の話
練習船がサンディエゴの静かで美しく長大な湾に投錨した夜、ぼくはサンディエゴ市とコロナドビーチとの間を、粘液質の湾の水に赤や青や色とりどりの美しいイルミネーションの影を落としながら往来する「ラモーナ」というフェリーを見た。この「ラモーナ」という名前が不思議にぼくの好奇心をあおった。
二、三日後の上陸のときであった。市中を歩いていると、クラブや商会の名前に「ラモーナ」というのがたくさんある。一つの電車に「オールドタウン&ラモーナの家」行とあるのを見て、ぼくの好奇心は極度にあおられた。グランドホテル前のプラザの脇で、まさにその電車に乗った。
三十分ばかりの後、電車はなんだか古くさい家の前で停車(とま)る。壁は縦横に訪問者の記念の跡をとどめ、屋根には乱暴にもぺんぺん草がはびこっている。
これが「ラモーナ」の家である。ラモーナという英国系白人と黒人との間にできた娘がその恋人アレッサンドロという、卑下と屈辱と羊のような従順さとの間に生の意義を見いだす少数民族の男と自由結婚の式を挙げたところだという。昔は古いスペイン系の一教会だったという。中へ入ると、得体のしれない多くの男が出てきて、結婚のときの縁起帳はこれだとか、そのときの儀式はこうであったとか、スペイン人は甘き恋に酔える彼らに辛き冷笑を与えたとか、情けを知らぬ米国人は面白半分に彼らを迫害したとか、そのときついた結婚の鐘はこれだとか、ラモーナをうまいこと商売に利用している。
あわれなる女「ラモーナ」の話は、虚栄の女、驕(おご)れる女ラモーナに始まる。
その昔、ジュニベロ神父やスペインの探検家カブリヨによって啓発され開拓された南カリフォルニアの地に羽振りをきかしたスペイン人の勢力もようやく失墜しかかったとき……
ときのスペイン将軍モレノには、ゴンザガとラモーナという二人の娘があった。美しい娘であったラモーナは、妙齢のころから相思相愛の間柄であった一人の英人を嫌って、途中でスペインの若い士官のところへ嫁入ってしまう。
失望し自棄したその英人はやけ半分に、黒人奴隷の娘をめとって一人の娘をもうける。
これが女主人公ラモーナである。妻に死なれた男は、ラモーナを連れて古い恋人ラモーナのもとを訪れて昔の罪を責め、すっかり後悔し懺悔(ざんげ)の涙にくれた女の手に、同名の幼児ラモーナを渡して去る。この浮世の波風にもまれて、生まれながらに数奇の運命を持ったラモーナは、第一の養母ラモーナの死後、第二の養母ゴンザガの膝下に育てられることとなる。
かくして一方は黒人の母から純情で芸術的な「無知なる趣味の遺伝」を受けたラモーナは、他方、失恋に泣いた英人の父から、復讐的、呪詛(じゅそ)的、因果的の性質を授かっている。
生まれながらにしてこうした運命におかれた彼女が、他年、許嫁(いいなづけ)たるゴンザガの息子を嫌って卑(いや)しい黒人奴隷のアレッサンドロに身と心をささげたのは、実に興味深い因果律である。恨みを飲んで終生の希望と歓楽とを捨てた英人の呪詛(じゅそ)を、二十年後に、全能全知の厳粛なる神の手を借りて、当の敵の甥を同じ失望と自棄と悲嘆との濁流に巻きこませたことによって、復讐の効果(エフェクト)を生じさせている。
「十九歳の青春(はる)を迎えたラモーナは、世にも愛(め)でたき乙女であった。彼女の顔は常に晴れ晴れと輝き、彼女の静粛(しとや)かなる風姿(ふうし)とほがらかなる声音とは、見る人の、聞く人の心の中にのどかに溶け入らねばならぬようであった」と、『ラモーナの話』に記されている。
「この美しきラモーナを、彼女の許嫁(いいなずけ)フュリップは愛し、下男は尊び、下女は親しみ、草も木も石も、みな等しく愛を尊び親しむのとき、わが若きインディアンのアレッサンドロのみ何ぞ愛せざるべき、何ぞ尊ばざるべき、何ぞ親しまざるべき……」と、再び記されている。
ラモーナをして、ついにかの、豊かなる情操と音楽の天才とを有するアレッサンドロと恋に陥らしめたのには、内的と外的の二つの原因がある。
弥生の春に萌え出る若草のように青春(わか)き胸に、黒人にふさわしからぬアレッサンドロの高雅な性格と温かい情操とが恋しく映じたのはその一つである。人種的偏見から常にラモーナを邪険にした養母の冷酷は他の一つである。
かくて、この二個の情操の子らは、うるさい世間の絆(きずな)と情実と約束から逃れ出て、「屋根にぺんぺん草の教会」で結婚し、ついにインディアン保留地に去った。
ここまでは、単にあわれなる女主人公およびその恋人がスペインの一家庭に対する紛糾せる交渉にすぎない。
それ以降、アレッサンドロに対する米人の迫害のあらゆる種類、あらゆる手段を事実に即して特有な細かい艶麗な筆致でもれなく描写している。
アレッサンドロがちょっとした間違いから米人に殺されてラモーナが再び養家に帰るあたりは、いわゆる「白鬼(はくき)」の横暴を巧みに描いている。「ことわざに、いったん泥棒をやってしまえば、ずっと泥棒でいなかればならない、とあるように、アメリカの法律に照らして自分は潔白だと言い切れる者は誰もいない」という一節のごときは、痛快骨をえぐるの感がある。
「ラモーナの話」を書いたのは、ヘレン女史*1というアメリカ人で、この本で最もひどく痛罵(つうば)されているのはアメリカ人で、この書を最も多く読み最も深く同情するのもまたアメリカ人だという。
こうこなければ面白くない。ヤンキーの偉いところは実にここにあると、ぼくはつくづく感じた。
ちなみに、この話はすべて事実に基づく話で、いまではサンディエゴ市に欠くべからざる一名物となっている。
*1: ヘレン女史 - ヘレン・ハント・ジャクソン(1830年~1885年)はアメリカの女流作家。
練習帆船・大成丸のサンディエゴ寄港から30年ほど前の1884年、彼女は綿密に取材した事実にもとづく小説『ラモーナ』を発表し、当時のベストセラーとなった。
大陸横断鉄道の開通とほぼときを同じくしたため、日本のアニメでいう「聖地巡礼」のように、サンディエゴ周辺には全米から読者が殺到した。
黒人奴隷の数奇な運命をたどったストウ夫人の『アンクル・トムズ・キャビン』は、奴隷解放をめぐって大論争の対象となったが、その系譜につらなる作品。
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