現代語訳『海のロマンス』48:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第48回)


船長の失踪など、思わぬトラブルで長期滞在するはめになったサンディエゴから、いよいよ出帆するときがやってきます。
再び世界一周航海が再開されますが、今回は最後のサンディエゴ滞在記です。

世界一のテントシティー

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写真 上)世界一のテントシティー 
(写真 中)カリフォルニアの母と大成丸ボーイ 
(写真 下)ラモナの家とその「結婚の鐘」

同県の友、瀬黒(せぐろ)氏と、いわゆる世界一のテントシティー見物に出かける。

例の「ラモナ」という渡船でコロナドビーチに上陸すると、気のきいたきれいな電車が、サアお乗りなさいというように待ち構えている。

ここコロナドビーチはサンディエゴ人士の屋敷町であり、かつ唯一の行楽地であり、遊園地であり、娯楽場であるという。

シュロの木の並木道を快走した電車は、見上げるばかりの威容を誇る総ゴシックの巨大な建物の前で止まる。

これが音に聞いたコロナドホテルである。一度に八百人の旅客を収容し、一晩の宿泊料が三百ドルだと背黒さんが教えてくれる。

この大ホテルを起点として、三千戸のテントシティーが目もはるか、遠くかすむほど連綿と続いている光景は、なるほど「米国一」ぐらいの値打ちはありそうである。

一様にシュロの皮で屋根を葺(ふ)き、テントキャンバスで壁を囲ってある。この向島(むこうじま)の掛茶屋(かけじゃや)風の小さな家の市(まち)を貫いて、電車が往復し、腕や足をむきだしにした男女が平気で歩いている。

聞けば、この市(まち)では、軽犯罪程度の法令違反や秩序も保安もいっさい無礼講(ぶれいこう)だという。礼儀と虚飾とはいっさい御免だという。女は水着を、男はショートパンツを着ていれば、どんな風体で練り歩こうが風俗を乱すことにはならんそうである。享楽の都、自由の楽土、本来空(ほんらいくう)の浄土である。

例のテントシティーの一つをのぞいたら──無遠慮などという言葉はこの国では通用しない──豚小屋然たる四間四方の陋屋(ろうおく)の中に、二つのベッドと、三つの籐の安楽椅子と、一つの机がある中で、年若い男女がうれしげに抱擁しておったのには面食(めんく)らった。

再び──聞けば、この夏の別荘となっているテントシティーの生活費は、やりようによっては、かえってコロナドホテルに宿泊しているよりは高くつくので、多くは東部諸州(イースト)から来る金の捨て場に苦しむ輩(やから)だという。

人間が沐浴(もくよく)をする本能(インスティンクト)は、昔、野獣と伍(ご)して山野を飛びまわった奔放で粗野な習性の顕示であるという。そうすると、努めて夜会服を着たがったり、裸体美にあこがれたり、妙な絵画や彫刻を称賛したりする欧米人は、最もこの本能の発達した者、最も過去の追想に忠実なる者と言わなければならぬ。

今、自分の目の前で瞬時の享楽にふけっている二人も、またこんな風な連中である。

毒々しく虚飾的で、表面的、様式的で、華美好き、ぜいたく好き、きれい好きの米人等は、四六時中、とうていそんな重箱的な堅苦しい生活は送れないものとみえて、ここに来ては虚飾の仮面(めん)と様式的な衣服をサラリと脱いで、ホッと息を吐くものとみえる。

どんなによい衣服や、立派な冠を頂いても、人間は本来の原始的生活──そこには規則も礼儀も、社交も人前もない生活に帰りたいものであるということを忌憚(きたん)なく最も大胆に最も露骨に表示している例証の一つである。

そうすると、この市(まち)では、その外形的装飾から支配する心の虚飾もすっかり赤裸々となって、最も真面目に、最も自由に、最も虚心坦懐(きょしんたんかい)に、最も人間らしくなるところである。

……さては、このような結構なところかと、大いに心の中で尊敬している耳元で、ドガドガチャンチャンリリリと踊っている。踊る分にはいくら踊ってもさしつかえないが、見ている連中が例の表面的な装飾の競争を顕示し、内的仮面の小競(こぜ)り合いをしているような表情をしているのには嫌になった。

かくして、以上のような最初の真理にたどりついたぼくを、あざけり笑うように、第二の真理がまっしぐらに到達する。

「人間のあるところ、常に装飾と競争はまぬがれない。ここにおいてか知る、人間とは、すなわち、悟りの境地と堕落(だらく)との、自然のままと虚飾との、妥協と競争との過程にある動物なり」
と。

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