米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第80回)
連邦下院を参観
そろって白シャツの制服姿をした六十人の学生が、議会のある通りに面した下院議員昇降口側の大玄関(ポルチコ)の前に並んで、すぐ目の前にそそりたつテーブルマウンテンから吹きおろしていくる涼しい風に汗ばんだ額をふいたのは、予定時刻の午後三時であった。
破れやすい、やわらかい芭蕉の葉をさらさらと青く光らせて通り過ぎた冷たい風は、ステッキを片手に王冠(ロイヤルクラウン)をいただいたビクトリア女王陛下の端然たる石膏像の顔を涼し気にあおぎ、元気よく、草いきれのする芝生の方へと遠ざかっていく。生存競争の響きであるアデレイ通りの雑踏も、夏の大気の緩衝作用(バッファリング・アクション)で調整されて、深く静かに澄んだ水底(みなそこ)で岸の喧噪(けんそう)を聞くような、または深い暗い灰色の秋霧の奥から調和を乱す機械の音が漏れてきてそれを聞いているとも思われるような、一種低重な落ち着いた気分に人の心を誘いこむ感じがする。
やがて、目もさめるような萌黄(もえぎ)色のびろうどの制服(ユニフォーム)──二重(ダブル)ボタンの燃えるような紅裏(あかうら)の燕尾服──を着たチーフ・メッセンジャーがこちらへと手招きをする。くびすを接して、人々の落とす靴裏の影(かげ)もあざやかに映るほどに見事に磨かれた白く長い花崗岩(グラナイト)の階段を上がる。とにかく新しいという印象を強く受ける。なにしろわずか十五、六年前に二百二十万円という巨額を投じて建造された、長さ六十尺、縦横二百六十四尺に百四十尺の円柱(ピラスター)が花崗岩(グラナイト)で、壁が赤レンガという総ルネッサンスの白い堂々たる建物であるから、植民地(コロニー)たる南アフリカで最もハンサムな建築だと市民が自慢するのも無理はない。
有名な絵で見て話に聞いた英国議事堂のどす黒い、角ばったゴシックが峻厳(しゅんげん)雄大(ゆうだい)な景観を標榜(ひょうぼう)するのであれば、これはまさに重厚にして端麗(たんれい)な感じを与えるものである。ローブをまとって微笑しているビクトリア女王の像がそれによく調和している。そして背景(バック)を包む黒く高いテーブルマウンテンの巨大な姿が後見役のごとくのさばっているので、さらに端麗(たんれい)かつ崇高(すうこう)なる情趣(じょうしゅ)を会得(えとく)することができる。
小さな入口の間を通り抜け、二つのプライベートルームの角をジグザグに左へ、また右へとまわると、突き当りが有名なクイーンビクトリア・ホールである。土曜日の観覧日でなければ見られないそうである。みんなおとなしく傍聴席の後ろへ通じる階段を上へ上へと登ってしまう。最後に登ろうとしたぼくは、右手の例のホールから萌黄(もえぎ)色の服を着た爺さんが忙しそうに出て来るのを見た。よい機会(しお)と、たちまち捕まえて議席表(リスト)をくださいと言う。親切そうに白いあごひげを上下に振った爺さんは、ついてこいとばかり、せかせかとホールに引き返す。かたじけないとばかり、大きなホールを見まわす。
きれいなカーペットを敷き詰めた広い部屋の正面に、唐草模様で装飾された額縁に抱かれて、女王の大きな額入りの写真──自身の手で南アフリカの議会に提供された──が物々しく安置されていて、そこを起点として、美しい緑大理石の円柱(カラム)と控え壁(ピラスター)が交互に二本ずつ等距離に並び立って、その間に各室へ通じるささやかな通路(ギャラリー)が確保されている。見るからに明るく神々(こうごう)しい爽快(そうかい)な室(ホール)である。
衛視や給仕が右往左往する長い廊下を見渡して、靴音軽く薄暗い踊り場(ランディング)をまっすぐに進むと、左の角に制服(ユニフォーム)を着て、いかめしく古風な長剣を腰にガチャつかせた、一人の衛視(サージェント・アト・アームス)が警護役として控えている。この人が一般人の傍聴席たるバック・ロウという二階の正面に通じる入口を教えてくれた。ぼくは衛視の不思議な服装(みなり)に少なからず脅かされたが、長さ七十五フィート、幅四十五フィートの議場を帯のようにめぐっている幅六尺の長押(なげし)を、はてしなき無数の小正方形に切り刻んでいる、その黒樫(くろかし)の幾何学的模様からかもしだされる全体に黒ずんだ沈鬱な感じに二度(ふたたび)驚かされる。あれが第三期ゴシック様式の装飾だよと、友の一人がささやく。
大きさがロンドンの議事堂にそっくりで、四角の模様から発する色彩や印象まで似通っている以上は、他にまだいくらも真似たところがあるだろうと議場の中央に視線を注ぐと、ピカッと電光のように光り、黒いホールの大気を押し分けて金色の道を作りながら、ぼくの目玉に飛びこんできたものがある。参考書類の積んである大椅子の前端にうやうやしく飾られている金ぴかに燦燦(さんさん)と輝く大きな職杖(メイス)である。
この金目のかかった飾り物と、なんで作ったか得体の知れない髪ぼうぼうのかつらと式服とに身を固めた二人の書記官を前に、ビリケンの玉座(ぎょくざ)のような厨子(ずし)にもたれかかって、一人の男が仮髪(ペリウィッグ)をかぶり法服を着て大国主命(おおくにのぬしのみこと)然とおとなしく納まりかえっている。この骨もとろけるような暑い二月のさなかに、外見(みかけ)だけはすこぶるのんきそうに、汗と苦難とを必死に防ぎながら、にわかのような前代未聞の酔狂ないでたちをしている男を斜めに見下ろしたとき、思わず自分は吹きだしたくなった。変な傍聴人が来たわいと思ったか、メガネを白く光らせてこっちを見つめていた大国主命に議長(ミスター・スピーカー)と呼びかけて、二人の議員が国民党(ナショナリスト)の席から立ち上がる。さては、このへんてこな男がかの威厳(いげん)赫赫(かくかく)たる議長殿であるとわかったとき、慣習にのみ拘泥(こうでい)する礼式(エチケット)はただ単におかしみを要求するものみであるとの結論を得た。今日の日程は南アフリカ連邦の教育費目(ひもく)ということだが、なかでも連邦の大学の経費はすこぶる重大なる議事とかで、議員も乗り気になって百五十の議席にはほとんど空席が見えない。なるほどこれでは立法府(ハウス・オブ・アッセンブリ)なる名に背(そむ)かないと、ハウス・オブ・アンコモンス(非庶民院)とかハウス・オブ・アンコモンセンス(非良識の府)などとヤジられているロンドンの議会に比して幸多き植民地議会を心ひそかに祝福した。
楽しませていただいています。
https://kaiyoboken.com/serial-story/tallship-voyage-080/ から後はいつになるのでしょうか?
北條様 お問い合わせ、ありがとうございます。
中断している『海のロマンス』は11月14日(土)から再開の予定です。
夏目漱石と同時代の作者なので、現代からみると漢語が多くてかなり難解なため「口語訳/現代語訳」として連載していたのですが、
それでもややむずかしいという声があり、表現について見直しと検討を行っておりました。
休載時にきちんと告知しておくべきでした。申し訳ございません。
今後ともよろしくお願いいたします。
海洋冒険文庫
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