ヨーロッパをカヌーで旅する 75:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第75回)
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ナイフをまた失くした。くやしい。今日は一日、憂鬱な気分だった。イギリスを出発するとき、カヌーには三本のナイフを積んでいた。そのうちの一本は連絡の手伝いを頼んだ人にお礼として提供した。一本はうっかり落としてしまった。何度か跳ねたりしたのだが、つかむことができず、川に落ちてしまった。カヌーではナイフにはちゃんとラニヤード、つまりヒモをつけておけというのが教訓だ。

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現代語訳『海のロマンス』60:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第60回)
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氷山の見張り

誰やらが二、三日前に、いよいよケープホーンだとささやいた。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 74:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第74回)
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カヌーで川下りしながら、川沿いの景色にも慣れ、流れにも気をつかうべき難所がなくなってくると、気持ちはどうしてもそこにいる動物や鳥たちに向かうことになる。五分も眺めていれば、きっと楽しいものと出会えるはずだ。

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現代語訳『海のロマンス』59:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第59回)
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クリスマス・イブ

練習船(ふね)の中で、このクリスマス・イブを最もまじめに、最も楽しみにし、最も期待して迎える者はただ一人の英語教官、ミスター・フィリップである。サルーンにあるその部屋を訪問する。明るい花型の洋灯(ランプ)の下でタイプライターを打っている。机の上には、例の城(キャッスル)とタータンチェックの格子縞と紋章とが美しく描(か)いてあるスコットランドの絵葉書がある。

努めて愛想よく、努めて晴れやかに話すが、人情も風俗もまったく異なった外国の練習船(ふね)で、共に祝い楽しむ友もなく、一人寂しく、一年一度のこの日を送るという、さびしい情(おもい)が心の奥深く潜んでいる。

舌のまわる範囲で、どうやらこうやら慰めたつもりで食堂に帰ると、例のカリフォルニアの母、ミセス・ホラハンの贈り物であるジャムケーキの缶を開けて、みんなで楽しんでいる。一緒に出ているごちそうはカステラと紅茶。

いざ、祝(しゅく)さんかな、ホラハンのクリスマス、いざや歌わんかな、フィリップのクリスマス。

一、紅茶のカップ
あわれ紅茶のカップ
白きカップのめぐるとき
注げよ、いざや
海が荒れようとも風が強かろうとも
腹一杯に飲めや、君

二、甘きジャムケーキ、
あわれ甘きジャムケーキ
君がさかんにぱくつくとき
歌え祝せ
ミセス・ホラハンのプレゼント
眼中にケープホーンなく
勝手次第に高く笑へ。

海上のクリスマスだけに、ブドウの杯(ちょこ)は紅茶のカップで妥協し、王侯はケープホーンに変えてある。女好きの天才、アービングが聞いたら、さぞかし名こそなけれ師匠をしのぐ弟子たる若き詩人が大成丸にいるわいと、驚くことであろう。

餅つき

十二月二十七日。一枚の板を境界(さかい)に上甲板では餅をつき、教室では無線電信学の講義をやる。近頃珍しい、よい天気である。

当直員の中から、一分隊一人ずつの割合で「餅つき係」なるものが選出される。アンテナマストの根本で作った臼(うす)の中へ、コックがポッポと湯気のたつ餅米を放りこんでいく。それっと赤黒い太い二本の手が杵(きね)をつかんだまま、空を切って上下に動く。

「おい、こらっ、右足を出して餅をつくやつがあるものか、それにまたなんだ!? オーイオーイと決闘でもするようなドラ声を出して……」と、仁王様のようないい体格をした男が、こね方の一人に叱られている。

「ハ……ッ、やられたな、しかし進藤、きさまの手つきはなかなかうまいぞ。その水をつけた手でチョイチョイと餅の顔をなでるところは、まるで賃餅(ちんもち)屋の小倅(こせがれ)だね……」

「ハハ……」と笑いながら、太い毛むくじゃらな手がしきりと餅をこねている。

半固体形の餅を介して柔らかく杵(きね)が臼(うす)に当たる音は、帆に船に海に雲に反響して、天下泰平(てんかたいへい)、五穀豊穣(ごこくほうじょう)と、太平のときを謳歌しているように聞こえる。すこぶるおめでたい。すこぶる快活な勇ましい気持ちになる。

「……他の導体の電位をことごとく零とするとき、すなわち一つの導体が他のものと完全なる絶縁状態にあるとき、電池の蓄電容量はその絶対値にある……」とかなんとか、無線電信局長の講義している声が、明かり取りのスカイライトから上甲板に漏れてくる。

局長はまたスカイライトから漏れて入る上甲板の餅の音を聞きながら、「一つの世界が他の者と完全なる絶縁状態にあるとき、静電容量はその絶対値にある……」などと、腹の中で一般原則に帰納しているのだろうか?

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ヨーロッパをカヌーで旅する 73:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第73回)
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第十三章

川は葉の茂った枝々がアーチ状に伸びた下を流れていた。水深があり、穏やかだった。長く伸びた草にロープを結んでカヌーをつなぎとめ、こわばった両手両足を思いっきり伸ばして体を休めた。ワインやパンはまだ残っている。ハチや蝶が飛んでいた。カブトムシやネズミもいた。ほんの半時間ほど休憩しただけだが、空中や水辺でさまざまな生き物を見ることができた。

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現代語訳『海のロマンス』58:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第58回)
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太陽直下だが涼しい

十一月十五日。南緯(なんい)十六度二十八分。西経(せいけい)百三十度三十九分。赤緯(せきい)南十七度二十分*1。

*1: 赤緯は、天体の位置を地球から見て示した天空の座標。
地球の自転軸(地軸)の延長上に天の北極と南極、地球の赤道上に天の赤道があると想定し、天体の位置を緯度・経度(赤緯・赤経)で示す。
天体が特定の日時にどの位置にあったかがわかれば、逆に、測定者の地球上の位置も算出できる。

昨日と今日の本船の位置と赤緯とはほとんど同じで、太陽は日々ちょうど天頂に来る。東から吹いてくる海軟風(シーブリーズ)を受けて甲板に立つと、丸い麦わら帽子が小さい円となって影を作り、五尺二寸(ごしゃくにすん、約155センチ)の正射影はただひとつ零(ゼロ)である。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 72:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第72回)
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ここでまた洗濯女たちのことに話を戻したい。というのは、イギリスの川には、こういった岸辺に設置された浮桟橋の洗濯場などはないのだが、ヨーロッパ大陸の河をカヌーで下っていると頻繁に出くわす。

ヨーロッパの東の方にある国々ではよく知られているが、噂というものはこういうところから広がっていくのだ。季節がもう少し寒くなると、それが床屋に移動し、そこでさかんに政治談議がかわされたりする。というわけで、川の近くでは洗濯用の浮桟橋が女性たちの社交の場になっている。

川を下っていて集落が近くなると、その集落がどんなところか気になるが、川辺に設置された洗濯用の浮桟橋の規模や装飾で大体の見当がつく。一か所に五十人もの女たちがずらっと並んで洗い物をしているところも珍しくない。洗濯場で洗い物をしている女たちを見れば、その土地の女性たちの様子がわかる。彼女たちは洗い物をしながらおしゃべりに興じ、話をしながらも手を休めず洗い物をたたいたりこすったりしている。周囲に気を配っている者もいて、カヌーで通りかかったりすれば見のがされることはまずない。

集落が小さくて専用の浮桟橋がないようなところでは、女たちは岸辺にしゃがんで作業をしている。カヌーの方でも、かなり遠くから彼女たちを見つけることができる。川が曲がっていて先の様子が見えなくても、バシャッ、バシャッという単調な音が聞こえてくると、きまって二、三人の女たちが洗濯をしていたりした。地味な格好をした中年の婦人たちだ。顔は日に焼け、帽子をかぶり、「下着」をしぼったり、たたいたり、ごしごし洗ったりしている。生地がいたむのではと気になるほど、激しくやっている。まあ、それ自体はフランスの繊維業界にとって歓迎すべきことなのかもしれない。ぼくのシャツは丈夫な毛織物なので、こんな風に乱暴に扱われても大丈夫だとは思う。

そういう洗濯をしている婦人たちを見かけると、ぼくはいつも声をかけるようにしている。帽子をとり、陸上で出会ったときの挨拶と同じ要領で左足を引く。とはいえ、カッパを着ていたりするので、せっかくの優美な姿勢をきどっても相手に見えることはないのだが。川を旅していて、こういう洗い場になっている浮桟橋を見かけたら、ちょっと立ち寄って五分でも話をしてみるといい。何か貴重な情報が得られたりする──かもしれない。そうしなさいよという助言ではないが、大勢の人と一か所で出会うということ自体、いろんな人がいるなあと人間観察ができたりして面白いのだ。新しい景色を見たり、外国語の元気なおしゃべりを聞いたり、やさしい言葉をかけてもらったりする。苦労しながらカヌーを漕いでいる者にとって、そういう歯に衣を着せない母親みたいな婦人たちと知りあって話をするのは、しんどい思いをしているときのいい気分転換にもなる。

人に喜んでもららうというのは、旅行する者にとって最上の楽しみの一つである。それに、こういう川下りで、まったく一人ぼっちの旅だとしても、誰かを楽しませたり相手から楽しませてもらったりしている間はさびしさを感じることもない。同国人同士二人で外国を旅をしても一週間は仲良くやっていけるだろう。が、それで人生について多くを学ぶということにはなりにくい。一人ぼっちで異邦人に取り囲まれ、人見知りして相手を避けるわけにはいかず、といって母国や自分の自慢話をするわけにもいかない。何も見落とさないよう目を見開き、耳をすまし、とつとつとではあっても自分の言葉で語れば、団体で旅をするときとは相手の対応が違ってくるのがわかるだろう。「すべてのイギリス人が島である」*1という警句にも例外があると感じるはずだ。

*1: ドイツの作家ノヴァーリスの言葉。正確には、「イングランドだけでなく、すべてのイギリス人が島である。」

気分転換を兼ねて、どこかで朝食を食べよう思った。で、水車小屋に続くと思われる長い水路に漕ぎ入れてみた。水路はカヌーを浮かべたまま、干し草畑の間を曲がりくねりながら音もなく流れていく。いつしか本流から遠く離れ、灌漑用の小川のようになった。水深も一インチほどしかない。このまま行き止まりかと思った。が、そこからまた流れは力強さをとり戻し、草地の間を早いペースで流れていく。ときどき出会う田舎の人に会釈したりしていると、川沿いの土手を十二歳くらいのかわいい男の子が小走りでついてくる。ぼくは声をかけた。「君って信用できる?」 相手は顔を赤らめて「うん」と答えた。「じゃあ、ここに一フランあるんだけど、これでパンとワインを買ってきてくれないかな。あの水車小屋のところでまた会おうよ」

水車小屋で作業している人たちはすぐにカヌーを見つけて係留させてくれた。予想した通りだ。カヌーを降りて木陰で休んでいると、ぞくぞくと人が集まってくる。うれしそうに大きな声を出して、珍しい闖入者(ちんにゅうしゃ)を一目見ようと押しよせてくる。例の男の子は、ワインの大ビンと大量のパンを運んできてくれた。四人分はありそうだ。朝からずっとカヌーを漕いでいて腹ペコだったので、夢中で食べた。大勢の人が集まっていたが、誰も話しかけて邪魔をする者はいなかった。やがて一人の女性が自分の家に来ないかと誘ってくれた。その家ではおいしそうな料理がテーブルに並べられた。その部屋もすぐに人で一杯になった。一度に五十人ほどが入れ替わり立ち替わり見物にくるのだ。皆、ニコニコしていて、礼儀は守っている。

とはいえ、その場所はとにかく暑かったし、なにかとせわしなかった。どこか他のところ、誰もついて来られないような中洲にでも移動し、一人でのんびり食事を楽しみたいと思った。群衆をかきわけて進むのは、軍隊の演習でも基本中の基本だ。それで、カヌーで草地を通り抜ける際の見張り役の「警官」として、一番やんちゃそうな四人の少年を指名した。ところが、彼らはこの任務に大張り切りで強権を発揮したりしたものだから、小さい子供が二人もカヌーの上に押し倒されたりした。そんなこんなで、ぼくはなんとかカヌーに乗りこみ、その場所を離れた。紡績工場の女工さんたちが大声でカヌーに声援を送ってくれる。工場長とおぼしきおっさんが仕事に戻れと必死に怒鳴っているが、作業する手を休められるのだから誰も耳を貸さない。

この原稿を書いていると、その様子を思い出して笑いがとまらなかった。で、読み返してみると、暗い十二月の夜みたいにしんみりすることもあった。ヨーロッパの恵まれているとはいえない子供たち。笑ったり、叫んだり、歌ったり、怒ったり。いろんな国のペテン師やいたずらっ子、いろいろ楽しませてくれた人々。ぼくは君たち──かわいくて、ちょっとおバカなフランスのことを、少しはずかしく感じつつも誇らしく思っている。

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現代語訳『海のロマンス』57:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第57回)
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下、島々のロマンス (南海の楽園タヒチ、ロビンソン・クルーソーの島、バウンティ号の反乱)

南緯十五度、西経百五十度の位置付近に、サモア諸島とツアモツ諸島の中間に、ソシエテ諸島なるものがある。この諸島の首府とも称すべき、人も景観も美しい島をタヒチという。第六次の世界周航に練習船が寄港したところで、人は情操に富み、自然は紫山緑水(しざんりょくすい)の景勝に飾られているという。

このタヒチの港の創造については興味深い物語がある。タヒチは他のソシエテ諸島と共に、現在はフランス領である。しかも、住民は皆「昔のパリっ子」の末裔(まつえい)であるという。「物語」はそれに関することである。

世紀(とき)はいつだか知らぬ。船の名も知らぬ。ましてや船人(ふなびと)の名前はわからぬ。ただ一隻のフランスの練習船がこの「南洋の楽園(パラダイス)」にやってきたのは確かである。そうして、艦長はじめ士官、乗組員のすべてが、この紫山緑水(しざんりょくすい)の美しい島と、色こそ黒いが見目(みめ)麗(うるわ)しき乙女の情緒と、ヤシ、バナナ、パイナップルなど豊富な果物とにあこがれて、栄光(さかえ)ある三色旗の名誉も、自治新興の大共和国の権威も、どこ吹く風と逃亡しさったのもまた確かである。

かくして「南洋の楽園」に自由の民、享楽の人の王国は建設されたという。

南緯三十四度、西経八十三度、南米チリのバルパライツの正西三百マイルの沖に、ファン・フェルデナンデスという島がある。一五七四年にスペイン人ファン・フェルナンデスによって発見されたものである。この島こそは、かのおなじみの『ロビンソン・クルーソー漂流記』*1の舞台である。

*1: ダニエル・デフォーの作品。
原題は 『船が難破して自分以外の乗組員全員が死亡したものの、アメリカのオロノコ川という大河の河口にある無人島の浜辺に漂着し、たった一人で28年間も暮らし、最後には不思議にも海賊に救助された、ヨーク出身の船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と奇妙な驚くべき冒険』


小説では、舞台となった島を太平洋の孤島から南米大陸の大西洋に面した、実在のオリノコ川の河口付近に移して描かれている。大陸の内陸部にはオロノコ川という名称に似た川も実際に存在する。

西暦一七〇八年に英国ブリストルの商人たちが、二隻の半探検・半営利の帆船を送り出した。この船が船員の反乱と難破との辛苦(しんく)の後、この島に漂着したとき、アレハンドロ・セルカークなる者を救助した。これがかの「ロビンソン」本人であると信じられている。

このセルカークなる者は、スペイン政府の命令で、この島にブタとヤギとを移植すべき使命を持って渡航した群(グループ)の一人であるが、仲間はみな死に絶え、セルカークのみ七年間生き残ったのであるが、このセルカークの実話と近海の海賊の話とが例の「漂流記」を生み出したという。本船の今回の世界周航の第一予定寄港地には、この島も含まれておった*2

*2: ロビンソン・クルーソーのモデルとされるセルカークについては、現在では、セルカークは帆船の航海長で、船長との不和が原因で島に置き去りにされたとされ、期間は4年4カ月だったという。

「島々のロマンス」の中で、最も哀れに、最も情趣深く、最も面白いのは「ピトケアンの反乱物語」である。

一七八七年、英政府は、西インド諸島から採集したパンノキをピトケアン島(南緯二七度、西経一三〇度)に移植すべき使命*3を軍艦バウンティ号に下した。このバウンティ号がツアモツ諸島付近にさしかかったとき、当時の船乗りの間に珍しくなかった反乱が、例によって日常茶飯事のごとく勃発(ぼっぱつ)した。意気地なくも生け捕りとなって一隻の小舟で大海に押し出された艦長と一等航海士、三等航海士と地理学者などの専門家たちは漂流し、流れ流れて、ついに六百海里隔たったシモア島に着いた。

*3: この点は著者の事実誤認があるようだ。
アメリカ独立戦争のためプランテーション経営が行われていた西インド諸島の食料不足を憂慮した英国政府が「南太平洋のパンノキを西インド諸島に運ぶ」よう命じたもので、その使命遂行中に反乱が起きた。

一方、首尾よく反乱に成功した二等航海士以下の謀反者たちは、その後、タヒチ島に寄港したが、またまた乗組員の中に反乱を起こす者があって、二等航海士の上陸中、錨鎖(びょうさ)を切って逃げ出し、ついに「物語の島」ピトケアンへ来て永住したという。

この波の上を漂流する奇しき物語、波乱万丈のその数奇な運命については、かの詩豪バイロンによって『バウンティ号の反乱』という題の物語詩*4になっているほど評判なものである。

*4: 一連の物語は、『島』というタイトルの長編物語詩にまとめられている。

その詩の中には、ピトケアンの島の風俗、バウンティ号の候補生と原住民の娘との恋物語など、面白くうたわれている。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 71:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第71回)
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川は数マイルにわたり、いつもと違う様相を呈していた。両岸の土手は低く、そこから草の絨毯(じゅうたん)でおおわれた緩やかな斜面が続いている。どちらの側の眺めも、広々としてしている。両岸を緑で縁どられた、透き通った川面をカヌーは滑るように進んでいく。前方には、広大な平原が果てしなく続いている。そこを過ぎると、川は再びはしゃぐように飛び跳ねたり、大きく落下したりしていた。たいていの場合、それは人工物が設置されているためで、そのたびにカヌーを降りて障害物を乗りこえたり、船体を手で押さえつけて下をくぐらせたりと、なにかと手間がかかった。苔(こけ)や地衣(ちい)類がびっしり生えた岩は滑りやすく、そういう場所で力のいる作業をするのはけっこう重労働だ。

パドルについていえば、毎日ずっと、来る日も来る日もパドルを漕いでいたので、もう体の一部のようになっている。ほとんど無意識に動かしていた。カヌーを始めたばかりの頃は、大切な物を落としたり失くしてしまっては大変なので、ヒモやロープをつけたりしていた。波に負けてパドルが手から離れたり、不注意で川に落としたりしたときに備えて、どうすればよいか考えて練習していた。とはいえ、実際の川下りとなると、そういう事前に考えたことは、なかなかその通りにはいかないものだ。カヌーから飛び降りる際にヒモがからんだり、逆にヒモがついているのを失念して岸に放り投げようとしたこともあった。というわけで、パドルのヒモは長めにするか、あるいは、まったくなくてもよかった。一度に二十もの作業を、しかもすべて最優先でやらなければならないというような、もう頭がこんがらがって訳が分からないというようなときでも、実際にパドルを落としたことはない。カヌーが転覆しそうになったときも、なんとかカヌーから抜け出して事なきを得た6

原注6: これまで十回ほどの航海を行ったが、結果はまったく同じだ。予備のパドルを用意するよう助言を受けることも多かったが、ぶっちゃけ、そんなのまったく不要と言っていいかもしれない。竹製のマストについては、元をただせばボートフックとか棒としても使えると思っていた。先端に継ぎ手を取り付け、魚をかけるギャフも用意していた。ボートフックとしては、イギリスのグレーブゼンドで一度使ったことがあるだけだ。すぐに無意味だとわかった。カヌーを岸のそばまで寄せたいときには、水深があればパドルで漕げばいいだけで、ボートフックなど使わない。逆に岸の近くが浅ければ、カヌーの底がつかえてしまうので、ボートフックがあっても使えない。しかも、ボートフックに握り替える際にパドルを落とすことだってありうる。

パドルで漕ぐのは、歩くときに足を動かすのと同じように、ほぼ無意識にできるようになった。川でも普通の難所であれば、入念に下調べしなくても直感的にわかるようになった。ためらうとか、何をどうしようとか、あれこれ考えなくても、自然に対処できるようになった──ような気がする。こういう一種の上の空という状態は、急流を流れ下る際に、ずっと高いところの地面やもっと上空の雲をじっと見つめていても、安定した適切なカヌー操作の支障にはならないという神がかり的な境地に至るまでになった。

夢見心地でそういうことをあれこれ考えていたものだから、ふと気がつくと、川の周囲の景色が最高なのに、それに背を向けて見過ごしていたとわかって後悔した。それで、その場で二、三回ぐるっとまわりながら、沈む夕日に照らされて輝いている峰々をうっとりと眺めた。そうした光景に心を奪われながら、そうやってぼんやりとした気持ちのまま、また川をゆっくりと下っていく。カヌーというものは、カヌー自体が常に最善のコースを選んでくれるので、乗っている人間の方は特別な操船などしなくても問題ないという、なんとも非論理的でおバカな妄想にふけったまま、数多くの岩が点在している早瀬までやってきた。水流はそのまま岩を乗りこえて流れているし、ぼくはまだ魔法にかかっていて、どのコースを通るのが安全かといったコース選択など何もせず、カヌーが流れていくままにまかせておいた。と、この能天気な男に対して川が反撃した。はっと気がつくと、カヌーは水面下にある巨大な岩めがけてまっすぐ進んでいた。水流は巨大な岩盤上を流れているが、水深は数センチしかない。次の瞬間、カヌーの底が岩に当たった。カヌーは急停止し、その場で旋回する。流れに対して横向きになる。ゆっくり転覆しかける。カヌーの傾きがきつくなったところでやっと、ぼくの緊張感を欠いた筋肉も目ざめた。というのは、この愚かでものぐさな態度の結果として沈は避けられないと感じられたからだ。

さらにまずかったのは、ぼくはそのときちゃんと座っていなかった。カヌーに寝そべるようにして、片足はバッグのベルトにからんだままだった。次の瞬間(こういうとき、ほんの一瞬が数分にも思える)、この小さく哀れなカヌーは横倒しになった。脳裏にはいろいろな思いが激流のように浮かんでは消えた。ぼくはなんとか脱出しようともがく。と、カヌーが岩から離れた。カヌーの船長たるぼくは、自分の頭と腕だけを水につっこんだ状態で──なんとも情けない状態だ。まあ、これはこれで笑い話にはなるだろうが──、なんとか立て直してちゃんとカヌーに座ったときには、頭からずぶぬれになっていて、服の袖から水がしたたり落ちた。それでどうにか酔いからさめたみたいに、目がさめた。その瀬を過ぎると、また感傷的になり夢想にふけっても大丈夫になった。つまり、川はまた元のように普通の流れに戻った。

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現代語訳『海のロマンス』56:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第56回)

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島物語   上、サンゴ礁の島々

練習船の朝は、衣服を洗う手に調子を合わせる節(ふし)が面白い洗濯屋の鼻歌に明けて、今日もまた快適な航海日和(こうかいびより)である。

イエーエー、ホーッと、のんきそうにブレース*1を引く当直員の歌に、暁(あかつき)の夢を破られて、上甲板に出ると、寝ぼけ眼(まなこ)をしかと見開けといわんばかりにサンゴの島(環礁、アトール)が間近に浮かんでいる。甲板(デッキ)は写真にとったり、スケッチをしたりする早起きの非番直員で一杯だ。

*1: ブレースは帆桁(ほげた)に付けたロープ。これを引いて帆の向きを調整する。

七十八の島からなるツアモツ諸島の一部、アクチアン群島の一つたるミント島*2である。

*2: 地名については当時と現在では異なる場合が多い。
ツアモツ諸島も、現在では実際の発音に忠実に「トゥアモトゥ」と表記されたりするため、アクチアン群島、ミント島が具体的にどの島を指すのかは不明。

Karta FP Tuamotus isl
(Source: Wikimedia Commons)

傘のように広がったヤシの木がサンゴ礁の中ほどにあって、その濃緑の葉かげは静かなる礁湖(ラグーン)にかかり、白い砂は堡礁(バリアリーフ)の波うち際を帯のように包んで、右の端にはしぶきがものすごく上がっている。

このミント島なるものはアクチアン群島中の最大のものであるという。午前七時半、ぼくが六分儀で観測したところによると、左舷正横(ポート・ビーム)二・五海里のところに角距離(アングラーディスタンス)二十九度四十分に見えたから、低くはあるがかなり長い島である*3

*3: 六分儀は、太陽や星の水平線からの高さを測定するための道具で、そのときの時間と高度で緯度経度が計算できるのだが、その応用で、これを横にして島の端から端までの角度を測ることにより、その島までの距離と組み合わせて島の長さを知ることもできる。
六分儀は実際に近年まで土木測量の分野でも活用されていた。

海図(チャート)で見ると、いわゆる「海抜が低い」小さな島々が、視線をはぐらかすように点々と散らばっているところは、諸葛孔明(しょかつこうめい)が魚腹浦(ぎょふくほ)に敷いたと伝えられる八陣の布石そっくりである*4

*4: 三国志の有名な石兵八陣の逸話。
数の上で劣勢な軍が少ない兵をあちこちに分散させて大兵力に見せるという作戦。
逃げる劉備(りょうび)を助けるために諸葛孔明が考案し、追尾してきた陸遜(りくそん)をこの作戦で撃退したとされる。

もしも、この海上の「八陣」に流れこんで首尾よく環礁にぶつかろうものなら、それこそ「大正の陸孫(りくそん)」である。うまうまとサンゴ礁で難破して「魚腹(ぎょふく)」に葬(ほうむ)られるばかりである。

いくら海洋(うみ)が好きでも、ネプチューンと仲良しでも、まだまだ魚腹に葬(ほうむ)られるほど粗末な体は持っていないつもりである。そこで用心した。一週間ばかり前から内心では大いに用心していた。船長と専任教官は南太平洋の地理と、サンゴ礁の成因性質についての知識を与え、一等航海士はサンゴ礁に対する見張り(ルックアウト)の注意と見つけ方とを教えた。

かくして見張り(ルックアウト)は昨日の午後から「二重見張り(ダブル・ルックアウト)」となり、一人は前のマストの上に立つことになった。そうして、いい風であるにもかかわらず、今日の午前九時には総帆(そうほん)をたたんで機走に移り、この危険ではあるが興味をそそる環礁(アトール)を研究・観察するため、わずか三、四マイルの距離を空けて通過することにした。やがて、ベッドフホードとかテナルンガという同工異曲の島が同じ色と同じ形をして灰色に曇った空の下に現れてくる。

サンゴ礁には通常バリアリーフ(堡礁、ほしょう)とフリンジングリーフ(裾礁、きょしょう)との二種類がある。前者はまた、さらに環形礁(かんけいしょう)と線形礁(せんけいしょう)との二つに分ける。

この環形礁(かんけいしょう)の中央の円形の湾がすなわち、よく地理書に書かれている礁湖(ラグーン)で、波静かにして底深く、よく大船・巨船の仮錨地となりうるといわれているものである。

この環形礁で最も有名なものは、このツアモツ諸島、近くにあるソシエテ諸島、小笠原郡島とポリネシアの一部とである。

そうして線形礁で世界最大と称せられる著名のものは、東豪州クイーンズランド沖に東南から西北に走っている千マイルの長さがあるグレートバリアリーフである。

このサンゴ礁の間を縫って進むときは、気温と海温の変化に注意し、晴雨計の昇降に留意し、風向風力、鳥群、魚族の異変等すべて、島に近づきつつある予報をとらえるのも必要であるが、最も努力し心を配って効果のあるものは、とにかく集中力を切らさず見張る(シャープ・ルックアウト)ことである。

忠実にして機知と決断力に富み、優秀なる観察力と周到なる心配りと適格な判断力を有する見張りが、百尺(約三十三メートル)の高いところで、鋭い両眼をまんべんなく水平線の上を走らせていることを自覚するとき、安心と信頼とは人々の心に行き渡る。

というわけで、見張りに立つものは常に海水の変化に注意し、水平線の空の色、雲の形に目を配り、波の砕け(サーフ)や海水(みず)の白い飛沫を見逃すまいと心がけなければならない。

ことに海の色の変化は有力なサンゴ礁発見の手がかりとなるもので、太陽(ひ)を背中にして航海するときは、水面下四、五尋(ひろ)*5までのサンゴ礁は、そのすぐ上の水に淡い褐色か緑色か暗緑色かの色の変化を生じさせるので、たやすく危険を予知しうるとのことである。

*5: 尋(ひろ)は長さの単位。一尋は大人が両手を広げたときの長さ(約1.8m)。四、五尋は7~8メートル程度。

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