ヨーロッパをカヌーで旅する 18:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第18回)



それとは別にウルリックというウェイターがいた。腹をすかせた歌い手たちが殺到するのを見込んで、その日だけ「特別に」雇われていた。彼は人見知りで、村の宿屋で働いた経験があるだけの若者だ。「ドナウエッシンゲンのポスト」といえば、職場としてはおしゃれで品格のあるところだとされている。彼はフランス語も勉強していて、ちょっと涙もろいので、ぼくは素っ気ないほど実用的な本を彼にやった。すると、ぼくがカヌーを漕いで川を下るときに自分をカヌーに乗せて家まで運んでいってくれないかと頼んできた! こういう単純で率直な依頼を受けたりしたら、こっちも本当に楽しくなってくる。ぼくらがずっと浅いところばかりを航行するのだとしたら、こんな連れがいても楽しいだろう。

ドナウ川の実際の水源については、ナイル川の水源の場合と同じく諸説ある。

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現代語訳『海のロマンス』7:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第7回)

練習生の船内生活

練習船では毎日午前八時と午後の日没時に、船尾の国旗とメインマストの羅針船旗(コンパスフラッグ)*1との昇降式を行う。このときほど船上や船内すべてで荘厳な沈黙の雰囲気が満ちるときはないだろう。当直士官の用意という号令で、一人の甲板当番の学生が船尾に、他はメインマストの下に立つ。

やがて静かな反響を海に残してラッパが鳴り響くと、上甲板に立っているすべての乗組員は船尾に向かって挙手注目の礼*2を行い、下甲板にいる者は、そのときにいた場所で静止し、丁重に見上げて敬意を示す。

モーゼの十戒は世に有名だが、現代のセイラーは、これに加えて、さらに守るべき一戒となる規律がある。それは、毎週土曜日の朝に行われる祈祷(きとう)で、石磨きの祈祷(ストーン・プレーヤー)と呼ばれている。

ゴミのない細かい砂をデッキにまき、大きな重い粗(あら)い砥石(といし)を持った髭面の男たちが、船を横切って一列にずらりと並ぶ。バケツで水を運び、箒(ブルーム)でそれっとばかりにデッキを潤す。エンヤエンヤの掛け声も勇ましく、粗い砥石を滑らせていく。チークの細板はたちまちのうちに磨かれて、木目は大理石のように光りだし、まだ失われていない芳醇な残り香は南欧の夏山をしのばせるほどだ*3。

「失礼な言い方になるかもしれないが、心地よい暁(あかつき)の夢見心地のうちにホリーストーンの音が上甲板から聞こえるときは、かすかなかすかな春雨が芝の野原にささやくのを聴くようで、実にうっとりしてしまうね……」とは、非直の学生の述懐である。

例の軽快なラッパの余韻がまだその辺の船室のカーテンあたりに残っている間にも、百三十人もの練習生たちは上甲板に飛び出し、節をつけた掛け声とともに、海面に浮かべている端艇の綱を引っ張る。しかし、前日に雨でも降って、この綱が固くなっているときなどは、なかなか引き上げることができない。

かつてこういう話を聞いたことがある。混沌たる太古の時代に、かの有名な金毛の羊を探すために造られた世界最初の巨船アルゴー*4が進水したとき、あまりに重くて海底の砂にめりこんでしまい、どうしても進水できなかったという。このとき、かの有名な楽聖オルペウス*5が巨船の船首に立ち、琴の音も清くハープをかき鳴らしたところが、その妙なる音に魅せられて首尾よく砂から滑り出たという。

わがオルペウスならぬ無名の一号角手が奏でる進行曲のラッパの音に、端艇が感動して耳を傾けたか否かは疑問だが、乗組員の心は一時に若やいで、綱を握る手にはおのずと力がこもり、やすやすと物の見事に引き上げられることは確かな事実である。

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脚注
*1: コンパスフラッグとは、上下を水平に二分割し、上半分が黄色、下半分が青色の旗で、これと数字旗を組み合わせて掲揚することで船の針路を示した。現在の国際信号旗では使用されていない。

*2: 挙手注目の礼とは、右手を肘で折って指先を帽子のツバあたりに持っていく、軍隊や警察などで一般的な、いわゆる敬礼のこと。

*3: 甲板でのチーク磨きは、帆船で最もよく語られる作業の一つ。
通常は海水を流して、ヤシの実を半分に切ったものでこすって汚れを落とす(タンツーと呼ばれることが多い)。汚れがひどかったり、チークが削れて凹凸が出てくると、砥石状の石で平滑にする。

*4: ギリシャ神話に出てくる船大工のアルゴスが建造した巨大な船。彼の名前にちなんでアルゴー船と呼ばれた。ヘラクレスをはじめとするギリシャ神話の英雄たちがこの船に乗りこみ、黄金の毛を持つという羊の毛皮を求めて冒険の旅に出た。

*5: オルぺウスはギリシャ神話に出てくる吟遊詩人。ヘラクレスらと共に前述のアルゴー船に同乗していた
(『海のロマンス』では「オルフヰース」と表記されている)。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 17:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第17回)


黒い森と呼ばれる山岳地帯の嵐をやり過ごし、ドナウ川の源流に近いドナウエッシンゲンに着いたところで、いよいよ源流地帯からの川下りというわけですが、街は大きな合唱大会の準備で大賑わいなのでした。


窓という窓に飾りをつけたり装飾品が置かれたりしていたので、ぼくも自分用に一つ作った。カヌーのバウ(船首)に小さな青い絹の英国旗を揚げ、帆には花や葉を飾りつけた(自分でいうのも何だが、なかなかの出来映えだ)。祝意を示すぼくの飾りはすぐにドイツ人たちの目にとまった。彼らは歓声をあげ、その喜びを歌で表現し、アドリブで替え歌を作ってイギリスをたたえた。カヌーの周囲で歌ったり、笑ったり、叫んだり、若さあふれる大声で陽気に万歳と唱えたりもしている。ドイツ人は沈着冷静だなんて、もう二度と言ってくれるな。

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現代語訳『海のロマンス』6:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著


夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第6回)


品川を出港した大成丸は横浜で歓迎式典に臨んだ後、東京湾を出たところで六分儀の調整を実施し、房総半島の沖合に錨泊した。


砂とりと水遊び

ボンボヤージの歓声を受け、華やかで華麗に横浜を出た本船が、ここ南総の一角にある鏡ヶ浦に寄港したのは、ただ砂とりという唯一の作業が残っているからだ。

一年二ヶ月の間、訪問する港への出入時はいうまでもなく、その他に毎週土曜日に大掃除を行うのだが、その際の甲板磨き(ホーリーストーン、ホーリーストーニング)に用いる砂は内容積が十一トンもある砂庫(しゃこ)を満杯にしていてもなお足りないほどだ*1。無骨で太く日焼けした腕を持つわれわれは、六丁のオールも曲がれとばかりに、深緑色の清波(せいは)の中に突っこみ、北条六軒町の松原を目がけて懸命に漕いだ。

松青く砂白き浜辺にボートを係留し、シャツ一枚の身軽な格好で、さながら幼児の浜遊びよろしく喜々として砂を浜に積みこむ。積みこみ終われば船に帰って砂庫(しゃこ)に運び入れた。汗をふく暇もなく、ボートを洗う。船乗りの生活は忙しくも面白い。

「本日午後五時より、三十分間、総員泳ぎかた、許す」という告示が一等航海士から下った。これが一年二ヶ月の間の泳ぎじまいだとばかりに、どの船室も大喜びだった!

五時の総員整列の合図で、百二十五人のヘラクレスの申し子たる偉丈夫が、ふんどし一つの裸でズラリと並ぶ。やがて、打ち方はじめの号音で、次々にイナゴのように海に飛びこんだ。貨物の積み込み口から跳びこむものもいれば、海面から十メートルほどの高さがある波よけのブルワークから、龍門入りよ、地蔵入りよと、飛びこみの秘術をつくし、また観海流(かんかいりゅう)だ、水府流(すいふりゅう)だと、抜き手の巧みさを競う。

イナゴのごとく飛べば、スイカのごとくに潜る。泳ぎも速いし、水にもぐるのも巧みで、人間の大きさをした鯉が踊っているようで、足の伸び縮みの自在さ、海にいるとは思えないしなやかさで、走っているようだなどと褒めてやるべき熟練者もいる。やがて五時半となり、打ち方やめの号音と共に、一同再び整列し、一等航海士とドクターの点検をうけた。

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訳注
*1: 帆船の甲板は定期的に海水をまいて掃除するが、その際に甲板に砂をまき、椰子の実を半分に切ったものでごしごし磨く。
これをタンツーと呼ぶが、それに使う砂を海岸で確保するため、ボートで房総半島の砂浜に上陸したもの。
作者はこの砂をホーリーストーンと呼んでいるが、一般には、汚れがひどいときに使う砥石状の石をホーリーストーンと呼ぶことが多い。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 16: マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第16回)


黒い森を進んだマクレガーは、いよいよドナウ川源流のドナウエッシンゲンに到着します。


やっと雨があがって、夏の太陽が顔をだした。路上の水たまりに陽光がきらきら反射している。濡れたカヌーをスポンジでふき、歩いていくうちに、びしょぬれだった体も暖かくなってきた。馬も元気をとり戻し、興奮して実際に駆けだした。道は下り坂になり、太陽は明るく輝いている。森のなかで雷雨に襲われて滅入っていた気分も、ほんの十分ほどですっかり明るくなった。

どんなに厳格な禁酒主義者でも(禁酒といっても、ぼく自身は節度のある飲み方を心がけているだけだが)、こんなときはドイツの蒸留酒であるキルシュヴァッサーを軽く一杯引っかけても許せる気になるのではあるまいか。というわけで、「禁酒している者」はぼくの他にはいなかったので、ぼくは御者とその使用人にたしなむ程度に酒をふるまい、馬には飼料のブランマッシュを与えてブラシをかけた。これで、ぼくらはお互いに満足し、また元気に歩を進めた。

薄暗くなる前に、ドナウエッシンゲンに入った。小さな橋を渡っているとき、ドナウ川については、この水源からそのままカヌーで下ることができるとわかった。というのも、源流域の流れの中央では水深が三インチ(7.5センチ)以上あったからだ。五分もすると、カヌーを荷馬車から下ろす前から周囲には人だかりができた3。

まず、ぶらぶらしている暇な連中がやってきた。それから、もう少し人見知りする町の人たち。さらに、素性のわからない大勢の野次馬たち。この連中がどういう人たちなのか、最初はよくわからなかったが、この町で翌日にこの地方を対象とする合唱の大会が開催されるのだという説明を聞いてやっと合点がいった。六百人もの人々がやっていてきているのだが、全員がそれなりの身なりと立場の男性で国の広範囲から集まっている。この合唱大会のために、町はお祭り状態だった。宿はどこも満室だった。が、橋の近くにある「ポスト」という宿の人のいいご亭主が立派な部屋を提供してくれた。カヌーの方は、馬車置き場の天上から吊り下げさせてもらった。合唱団のテノールやバスの連中が食事中にしゃべる声はすさまじい音量だった。ぼくのロブ・ロイ・カヌーについて、いろんなことが何度も繰り返し話題になっていた。ぼくらの御者氏は別の部屋に聞き手を集め、カヌー旅の何たるかを講義したほどだ。

翌日、この町を見物して歩いたが、それだけの価値はあった。どこもきれいに飾りたてられていたのだ。家という家はきちんと片付けられ、どの通りにもゴミ一つなかった。質素な窓からは木の枝や花飾り、肩掛けやキルトの布や毛布が吊るされているのが見えたが、裕福な家々には、いろんな旗や飾りリボン、アーチに紋章、花輪などが飾られていた。おのぼりさんのような大勢の人々が通りをぞろぞろ歩き、太鼓やトロンボーンの楽隊と押し合いへし合いしながら、でこぼこの舗道をてんでんばらばらな様子で行進している。ときどき、四頭立ての馬車がガタガタ音を立てて遠くの合唱団の人々を運んでくるたびに大歓声が巻き起こった。合唱団の人々は、座席の代わりに並べた袋と袋のすき間に四本の松の木を柱として立てて草花でおおった屋根をつけた長い四輪馬車に乗っているのだが、座席には座らず立ち上がっていて、大きな声で叫び、歌い、掲げた旗を振っている。何百人もの見物人たちは一本調子の大声で「ドイツ万歳」と叫んだりしている。

原注
3: でこぼこした山道を進む長旅で、カヌーをバネのない荷車に固定するため、ぼくはさまざまな方法を試みたが、最善の方法は、長い荷車の上に二本のロープを張り、その上にカヌーを載せることだと確信するにいたった。ロープが緩衝材の役割を果たし、振動をやわらげてくれるのだ。カヌーが前後に動かないように、船首につけた牽引用のロープは前後方向にしっかり固縛しておく。ワラ束を下に敷いても、砂利道や車輪の跡の轍(わだち)が残ったでこぼこ道を数マイルも進むうちに外れてしまう。

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現代語訳『海のロマンス』 5: 練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著


夏目漱石に激賞された商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第5回)。


練習帆船・大成丸は品川埠頭で抜錨し、東京湾を南下して横浜に到着し、歓迎の式典を迎える。


夜光虫の燐光は青い瑠璃(るり)色となって砕け流れて、夏の夜の海は涼しくも美しい。

午前中に甲板を洗い、オーニングを張り、万国旗を飾って、ほっとした気持ちで林逓信大臣の一行を待っていると、午後一時頃に来船された。

「……長い航海をすると、朝に夕べに、目に見、耳に聞くものがしごく平凡単調なものですから、船乗りの心はおのずとすさんでくるということですが、諸君は上の者も下の者も互いに尊敬し、同胞(どうほう)互いに助けあって、楽しく有益にこの壮大な使命を果たされるよう望みます……」

大臣の訓示は、今や微に入り細にわたって教えさとすような調子で、さながら自分の子が鹿島から洋行するのを見送る老父のような熱情を示している。林大臣、小松次官、湯河船舶局局長、石原商船学校長などの一行は二時には練習船を離れ、やがて「総員上へ! 出港用意!」という命令が下った。

二時半頃、ミズンマストに高々とJNGHの船名旗を鮮やかにひるがえした大成丸は、松本教頭や古谷大佐、高柳幹事の諸氏が分乗する四隻の小型船に伴走されて静かに港口に出た。防波堤にひたひたと寄せては返している大海原からの青い波は、この練習船に乗っている未来のマゼランやキャプテン・クックを歓迎しているようだった。

船路安かれと祈る見送りの人々と、今日を限りと名残おしげに顧みる船上の乗員との間には、言葉では言い表せない共通したデリケートな情緒が通いあい、人々が無理して浮かべている笑顔は、悲しくもまた苦しい心の努力を示していた。

三声(さんせい)の長笛で別れを告げ、針路を南微東*1に館山に向かった練習船は、午後四時ごろ浦賀沖に達した。右まわりに大きな円を描きながら、船首を羅針盤(コンパス)*2の三十二方位に合わせ、次々に船首が各方位を向いた時間とそのときの太陽の方位角とを測定し、それぞれ三十二点で生じる羅針盤上の自差(ディビエーション)を調べた*3

一般に、船には標準となる羅針盤(スタンダード・コンパス)をはじめとして、次位の羅針盤、航法用の羅針盤など大小およそ約十五、六の方位磁石が用意されているが、そのうち、その構造がすぐれていて器差(きさ)*4や自差(じさ)などが最小のものをスタンダード・コンパスと呼び、船の針路や星や太陽、月の方位観測などにはこれを使い、他の羅針盤はこれと比較してその自差の量を減少させるものである。本船には後部ブリッジ*5に標準の羅針盤が設置され、前部ブリッジに次位の羅針盤が備えつけられている。今日やった自差補正は、主として標準羅針盤の三十二方位に生じる自差の量を確かめ、それと同時に次位の羅針盤の自差の量を標準のものと比較研究したのである。

船はぐるっと大きな円を描いて一回転し、元の針路に復帰し、迫りきたる黄昏(たそがれ)をついて鏡ケ浦に向かおうとしたが、そのとき、紀洋丸と思われる一隻の船が前方からやってきて「我は汝を見るを喜ぶ」の万国信号に続いて、TDLの信号を掲揚した。すなわち「安全なる航海を祈る」というのだ*6。本船からはただちにXORの信号旗を掲揚して海上の友の好意を謝した。そのとき後甲板にいた信号手が、その船のはるか後方で別の汽船一隻がTDL旗を掲揚しているのを認め、ただちに信号を送ってその船名旗を見れば第二遼陽丸だということがわかった。こうして波静かにしてイルカが眠っている水道の夕暮れを直進し、南路で館山に向かった練習船からは、七時に太房(だいぶさ)岬をまわって北条(ほうじょう)の灯火が見えた。


脚注
*1: 南微東(なんびとう) - 東西南北の全方位(360度)を32等分したとき、「真南からやや東」を指す。やや(微)は11.15度で、真南と南南東の間。


*2: 羅針盤 - 羅針儀、方位磁石、コンパスともいう。原文では「羅針器」という言葉が使われているが、一般的な表現に直した。


*3: 自差(じさ) - 方位磁石は船の金属等の影響を受けて誤差が生じる。自差は、船ごとに、また方位磁石の設置場所ごとに微妙に異なるため、本文にあるように、山の頂上など陸地で見分けやすい二つの物標の見通し線や太陽の位置から割り出した確実な方位を基準にして、船を実際に旋回させながら各方位で誤差を測定する。


 現代のヨットでも、正確なナビゲーションのため、コンパス(方位磁石)やオートパイロット(自動操舵機)について、下図にあるような自差表を作成して用いる。

deviation_01

上図は『アナポリス式シーマンシップ』(鯨書房)より


*4: 器差 (きさ)- 測定器固有の誤差。


*5: ブリッジ - 船の高い位置にあり、船舶で操船の指揮をする場所。船橋(軍艦では艦橋)ともいう。


*6: 安全なる航海を祈る - 船舶では、アルファベットや数字にそれぞれ固有のデザインの旗を割り当て、それを組み合わせて信号として用いる。


現在の国際信号旗は、1969年刊行の国際信号書(国際海事機関)による。


この世界一周航海が行われた1912年~1913年当時とは異なり、「安航を祈る」はUとWの旗を使う。


U旗U_flag-code    W旗W_flag-code


それぞれ単独では、U(あなたは危険に向かっている)、
W(医療援助がほしい)だが、
2文字を組み合わせることで「安航を祈る」になる。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 15:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第15回)

 

ライン川源流域の川がカヌーには適していないと知ったマクレガーは、山間部にあるティティゼー湖にカヌーを浮かべることにした。その湖にはイエス・キリストを処刑したピラトの亡霊が潜んでいるという言い伝えが残っていて、生きて戻れないぞと地元民に脅されるが、それを尻目に湖へと漕ぎ出す。


もちろん、そのおかげで決心がついた。さわやかな朝で、霧がかかってはいたが、ぼくは小石まじりの岸辺からカヌーを漕ぎ出した。ざっと数えて少なくとも八人の地元民がかたずを飲んで見守っていた。数マイルを漕いだが、とても快適だった。カヌーは水面からの高さがないので、遠く離れるにつれてカヌーそのものは見えなくなる。「水面に浮いた状態で座った人間が、顔のあたりでパドルを振りまわしているように見えた」だろう。

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