現代語訳『海のロマンス』86:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第86回)

三、温和な気候

さすがに鳥の悲しさである。客観的に考えることのできない春のヒバリは、自分ほど上手に歌いうる者はなかろうと信ずるゆえに、身も世もなく空で短い春の日を惜しんで鳴き続ける。自分ほどに空高く舞い上がりうる者はあるまいと信ずるゆえに、薄き翼の焦(こ)げるのも忘れて、春の太陽(ひ)近く飛ぶ。ケープタウンの住民が、ケープタウンの気候は温和(モデレート)だと自賛するのも、このヒバリに似たところがある。彼らは言う。

「およそ世界広しといえども、ケープタウンおよびその周囲のごとく、一年を通じて気候より来たる生活状態の障害を度外視(どがいし)することのできる土地はあるまいと」

うぬぼれるのは各人勝手である。ただ人間は現に自分がうぬぼれつつもなお、わが信ずるところが単なるうぬぼれにすぎないと他人から笑われたくないという矛盾した思いを抱えているため、ただちにこの問題を他人の判断に訴え、なるだけ色よい賛成の返事を得てようやく安堵しようと努める。勝手なものである。ここにおいてか、お世辞(せじ)迷惑なるものが起こり、巧言令色(こうげんれいしょく)なるものが生じる。

「ケープタウンの気候(ようき)はどうお考えになりますか」と聞かれたとき、汽車にロハ(無料)で乗せてもらったり食事に招(よ)ばれたりしている身には、「はい。しごく結構で快適な気候(ようき)です」と、相手に調子をあわせるより他は答えようもない。ところが、上着一枚下は滝のような汗をかいており、ワイシャツもカラーも汗が染み出して目も当てられないしだいである。

ある本に、こういうことが書いてある。

「模糊(もこ)たる水平線のかなたにテーブル・マウンテンの青い姿を見いだした人々の胸には、炎暑地(ヒート・アショア)として名高いケープタウンがすぐに想起された。あそこはどんなに暑いだろうと期待する人々も五、六マイルの近距離に近づいてなお依然(いぜん)として涼しくて爽(さわ)やかであるのを知ると、おやっとばかり驚いた。

しかし、この驚きと喜びは単に一時的なものであった。船がビクトリア・ベイスンの桟橋に着いたとき、燃えるような南半球の太陽の直射が激しく青い蒼穹(そら)から降ってきて、たちまちのうちに、人々に熱せられた釜の中にいるような苦しみを与えた。乗組員が三ヶ月も海の上に浮かんで得られる黒さを、わずか十五分間ほどの間に桟橋で焼きつけられたのである。

この急激なる温度の変化は、太陽の直射をさえぎる層雲が、海岸線から五、六海里ほど離れた海上から内側のケープタウンの空に発生すること希(まれ)なることに基づくのである。」

ケープタウンの住人の言葉に信用を置くべきか、この本の言うところに従うべきかは疑問であるが、二週間の停泊中、これぞという爽快感を味わわず、なるほどヒート・アショアだなと感じたのは確かである。

四、フラワーデー

水曜日と土曜日とは花を買う日(フラワーデー)と決められていて、植民地の雑(ざっ)ぱくな空気も少なからず融和(ゆうわ)され美化されて、道路から受ける直線的な印象も、そのために一種の余裕のある丸みを帯び、閉塞(へいそく)しかかった市民の情緒をほぐれさせるように見える。

例のアスファルトの歩道と、木口(きぐち)を並べて車道との境を画する縁石(カーブ・ストーン)に寄せかけて、ヒース(エリカ)、ベリーダイサ、カイゼル・クラウン、エヴァーラスティング・フラワー(永遠に続く花、いわゆるドライフラワー)など、紅紫(こうし)とりどりの花が朝の沈んだ空気の中に、気高い花の香りを放ちながら、もったいなくも粗末なカゴの中に同居している。中には「ベテルヘムの星」とか「テーブル・マウンテンの誇り」とか、あるいは「化粧(よそお)える淑女(レディー)」とか、なかなか上品な気どった名前をいただいているものもある。

こう書いてくると、想像力の強い読者は美しい花にふさわしい田舎娘のしとやかさを連想するだろうが、ここのは少し毛色が違って、花売り娘でなくて花売り男である。それもただの男ではなく、目と歯に鮮やかな白い色を見せた顔の黒い、アフリカの人口のほぼ半分を占めるバントウー族である。しかし、商売が商売であるからあまり無鉄砲に野郎状態を表した者はなく、破れたりといえども多くは中折れ帽か鳥打ち帽(ハンチング)をかぶり、牛皮の靴をはいている。時によると、頭からスポリと白い布(きれ)の袋をかぶったズールー娘の黒い手に、赤いフューシアの花が売られているのを見ることもある。無心の花が亡国*の少女の手に抱かれて、白人の客間を飾るべく塵(ちり)の多い街頭に売られているところは、なかなか豊かな気分に富んだ図である。

花で思いついたが、一九一〇年に南アフリカ連邦から輸出した「押し花」**の総価格は、七万五千円***という侮りがたい巨額に及んだそうである。

* 亡国: ズールー王国はアフリカ大陸のインド洋岸(東部)にあった君主国。
一八七九年、イギリスとのズールー戦争に敗(やぶ)れて南アフリカ連邦に組み込まれた。
** 押し花: 現在も輸出されているドライフラワーなど、何らかの保存加工を施した花卉(かき)類を指す(と思われる)。
*** 一九一〇年当時の七万五千円を日本の消費者物価指数(CPI)の推移に基づいて現在の価額に換算すると約2億6千万円になる。

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