現代語訳『海のロマンス』27:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第27回)

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けたたましい警鐘

三日間にわたる真無風(デッドカーム)と、二日間続いた時化(しけ)とで、十分に海の持つ両局面を体験した練習帆船・大成丸は、二十八日の午後からまたまた北西のカリフォルニアの沿岸からの順風をうけて、一時間に九海里半という快速力で、怒れる牡牛のように疾駆(しっく)した。

二十八、二十九と三百三十海里を二日で走破し、カリフォルニアのケープホーンとして有名な、コンセプション岬は二十九日の真夜中に走りすぎた。空に雲はなく、水平線の波は低いが、三十日の朝は少し朦朧(もうろう)とした天候(ミスチー)であった。イルカの眠り静かなるサンタバーバラ海峡に、絵のように横たわるサンタロサの青い島影が見えないかと、右舷船首(ポートバウ)は時ならぬ賑わしさを呈する。

「島がッ!」という、鋭い声が、ついに六時に見張り(ルックアウト)の口からほとばしり出た。心をこめた人の思いはさすがさすが。そこにあるのかと思って眺めれば見えるような気がするし、なに、まだ島なんか見えるものかと否定すれば、眼もまた否定することになる。とはいえ、かすかに薄く、夢のように島らしい幻影(まぼろし)がほのかに見える。やがて、七時、八時となれば、レースのカーテンをすかして人を見るような影像(かげ)が、ようやく眼前に迫ってきて、「島よ」という思いがひしひしと人々の胸に通う。遠望することが役目の見張り(ルックアウト)の頬には、少し得意そうな表情が浮かんでいる。

二重底(ダブルボトム)を持ち、水密隔壁(バルクヘッド)を備え、高い復元性(スタビリティ)を有する練習船は、このごろ盛んに物騒になった海のお化けの氷山を除いては、公海(オープンシー)においては、おそれるものはない。衝突は岸の近くで起きることで、男らしい生業こそ船乗りだと、とっくに承知している。

ただし、ここに船火事という赤いテンペスト(嵐)のあることを、ときどき承認しなければならないのは、すこぶる苦しいムードである。中国神話の火の神である祝融(しゅくゆう)が火を使って煮炊きすることを教えて以来、プロメテウスが天界の火を盗んで人間に教えて以来、東西古今を通じて火宅の災変(さいへん)は、人間くさい、娑婆くさい陸上(おか)のことと限られていたが、油断は大敵である。高級なヴェールやオペラバッグなどが盛んに幅を利かす二十世紀の世の中である。祝融(しゅくゆう)氏といえども、また海上に出店をこしらえざるをえないのでないか。従って本船でも毎週一回ずつ火災訓練が行われる。

軽佻(けいちょう)にして茶目っけのある、若々しく元気な夏の朝の大気をふるわせて、乱調子なけたたましい警鐘(アラーム)が、できるだけあわてろ、ふためけ、とばかりに鋭く響く。練習とは知っているものの、心臓のやつが火事だ火事だとそそのかすように鼓動する。足は自然に急げ急げとばかりに宙におどる。始末に負えない。それとばかりにハチの巣をつついたように、十六の船室(キャビン)から練習生がブンブンと飛び出す。長バシゴをかつぎ、かけ声も勇ましく、それぞれ決められた部署(パート)へ定(き)められた品物をとってかけつける。手斧を持ち長靴をはいて火災場に駆けつける者、水に漬けたモップを降りまわす者、火災用ポンプや甲板洗い用のポンプ、一号および二号の大型ポンプを操作しようとする者、ホースを引っ張ってくる者、バタバタとしているものの統率をとって直ちに想定された火災現場に数本の筒先を向けてしまう。

たくましい百二十五名の身体から送り出される精気(エネルギー)の放散、飛び交う号令、力こぶの発現。

眼に入るすべては興奮していて、男性的葛藤の表現でないものはない一大修羅場の空気が伝わってくる。そこに、「待て──」という凛とした声が響いた。すべての極限まで発せられていた活力はすぐに消え、静寂が支配する。「火災は前部洋灯(ランプ)部屋ぁ──」という甲高(かんだか)い一等航海士の声が響いて、再び元の騒々しさが戻ってくる。かくして「打ち方はじめ」の号令で、すさまじい水柱がほとばしり出る。

今日はいよいよロマ岬を望むという頃、この訓練は何の予告もなく行われた。訓練後、船長は全員を前部船橋の下に集めて、重々しい声の調子で講評をされた。十点法で採点すると、火災用ポンプが五点、一号ポンプは故障で問題外、二号ポンプは九点という成績であった。

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現代語訳『海のロマンス』12:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第12回)


……波は……さざなみに至るまで、ありとあらゆる波はことごとく巨霊のカンナに削りとられて……いま沈みゆく、モヤのかかった赤い大陽は………………

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デッド・カーム(真の無風状態)

総帆を展開

帆船にとって風は生命(いのち)である。総量である。しかし、単に風といっても、微風(ライト)から台風(ハリケーン)まで風力の階段がある。北風、東風、西風等の方位の配列がある。熱帯風、貿易風、季節風等の風帯がある。

本船は十六日午前六時、館山の錨地を出て、九時まで機走を続けて完全な外海に出たとき、総員にて上はローヤルから下はコースまでの総横帆(そうおうはん)*1と、舳(みよし)はジブから、艫(とも)はスパンカーまでの総縦帆(そうじゅうはん)*2と合計三十余枚のセイルを展じた。ちょうどそのとき吹いてきた力強い西方の海軟風(シーブリーズ)をはらんでフワリと前方に張り出した放物線体の帆縁(セイル)の曲線美は、日ごろ見慣れている乗組員の目にも優美に映るとみえ、ここかしこに集まり、空を仰いで賛美する者が多い。実際、今まさに開こうとする蓮の花のような線曲率(カーバチュア)はどんな名工の塑像にも、どんな念入りの肉体美にも発見することのできない柔らかいデリケートな感じを与える。

昼の休みに冷たい甲板(でっき)に汗ばんだ体を投げて、高くマストの上に掲げられた風見の、色彩あざやかな吹き流しを見ていると、馬尾雲(ばびうん)と呼ばれる白い薄い柔らかい夏雲が軽く東へ東へと飛んでいる。船体は五百俵の米と二百樽の味噌や醤油の類と、氷室(アイスチャンバー)に納めた二百貫余の生肉とを満載しているため、赤い水平線を示す塗り色が波に埋まっているくらい喫水が深いので、縦揺れ(ピッチング)も横揺れ(ローリング)も少なく、船は一箇所に静止しているように思われる。かくして練習船はこの西風の好伴侶に送られてカリフォルニアの沿岸に達し、それから沿岸風を利用してサンディエゴに向かう予定である。

東西南北の四風をつかさどる風神のうちで、西風神(ゼフィラス)は最も穏やかな性質だという。この風の吹くところ、冷たい氷雪もとけ、野には薄くしい花が咲き、岡には黄金の果実が熟し、悠々としてくつろいだ雰囲気に満ちると言い伝えられている。われら海の子にとってはまたとない守り神である。

十八日に出帆して以来、青い海に咲く白い波の花と、夕方の空の濃い紫色の雲とをながめてすでに三日が過ぎた。その間も西風は絶えることなく吹き続け、強い黒潮の圧流とを受けて、日々二百海里余*3を走破し、二十日正午に位置は北緯三十六度十分、東経百四十八度四十七分、十九日正午からの航程は実に三百十九海里と、本船の帆走航程の記録(レコード)となるくらいだった。こうして、今や銚子から東に五百海里の沖にある練習船に、さらにこの後も西風神(ゼフィラス)の風が吹いてくれますように。


脚注
*1: 横帆 - 江戸時代の千石船のように、上辺(と下辺)に帆を張る棒(帆桁)がつき、マストと垂直方向に展開されるものを横帆という。
一般的な形状は、等脚台形に近い。
ロイヤル(セイル)もコース(セイル)も横帆で、一番下に張る大きな帆を特にコースセイルと呼ぶ。
メインマストのコースセイルが一番面積が広いため、これをメインセイルと呼ぶこともある。


*2: 縦帆 - 現代のヨットの帆のように、前縁を固定しマストと同じ垂直方向に展開する帆を縦帆という。
追い風を受けたときの推進力は劣るが、風上に向かうときや方向転換するときの効率がよい。
形状は三角形が多いが、ガフリグのように台形もある。
ジブもスパンカーも縦帆だが、ジブはマストの前側に展開し、スパンカーは船尾に展開する。


練習船大成丸は四本マストのバーク型と呼ばれるタイプ(写真)。
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前から三本のマストには、上から下へ五、六枚程度の横帆を展開し、
また、それぞれのマストから、ヨットのジブ(前帆)のように、斜めにロープを渡して三角形の縦を展開するようになっている。


ひとくちに帆船といっても多岐にわたり、マストの数や形状、建造年代によって呼び名もさまざまで、それぞれによって帆の名称も異なったりするが、総帆を展開した帆船は、おそらく人類が発明した「最も美しい乗り物」の一つ。


*3: 海里 - 長さの単位のマイルには、陸上のマイル(哩、約1609m)と海上のマイル(海里、浬、約1852m)がある。
原文では哩と浬が混在し、そのどちらにもマイルとルビがつけてある。
緯度経度や海上での距離の計算では主に60進法を使うので、明確に陸上と分かる場合を除き、ほぼ60の倍数となる海里を指すと判断してあります。

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現代語訳『海のロマンス』11:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第11回)


さらば富士山*1

連日の出港延期に、いささか退屈していた乗組員も、いよいよ十八日未明、さすがに懐かしい本土の最後の一角を離れて、左に洲崎(すのさき)、右に大島を望むにいたって、大いに士気を奮い起こした。午前九時、野島の鼻*2を左舷後方六マイルに遠望しつつ、総帆(そうはん)を展開したころの「燃え方」といったら、たいしたものであった。

このとき、わが左舷の後甲板員(こうかんぱんいん)の一人はコールタールを塗ってかたく密封したサイダービンを持ってきた。これは本船が航海中、毎日正午における船の位置を記した紙片を封入したビンを流して、大洋の潮流を測定する、いわゆる「潮流ビン」を模倣したもので、後甲板員(こうかんぱんいん)が徒然なるままに好奇心と面白半分とで製作したのだ。

その中には、次のような文句を書いた無変質紙が入っているはずである。

このビンを拾ってくださった方に、そのご親切に便乗し、お願いがあります。
私どもはこの近海の潮流の速度と方向とを知り、あわせてこのビンがどのような数奇な漂泊をした後に、あなたに拾われたのかを知りたいと思っています。
もし可能であれば、拾った場所と日時を、表記の練習船の寄港地まで、ご一報ください。

部員の一人はビンを投げ込むとき、何かつぶやいていた。いぶかしく思った仲間にたずねられたのだが、そのときの返事がふるっていた。「なに、実はちょっと、いいか潮流ビンよ、できれば、白砂青松の土地で見目麗(みめうるわ)しい乙女の手に拾われてくれ、と言ったまでさ」

心ある人に見せたいのは、このあたりの海から見た富士山である。紺碧の波が連なる水平線のかなたに、夢よりも淡く立っている姿、藍色に光る海の色に照り映えるその桃色の雪の肌、おとなしい内湾曲した弧線(カーブ)が白い空からボンヤリ浮かび出ている様子は、ラファエロの描く精女(ニンフ)の姿にもたとえられようか。乾ききった赤茶色の禿山(はげやま)を始終(しじゅう)見慣れた外国人が遠く船の上から見たとき、感嘆の声を放つのも無理はないと思う。いかにも彼らが「日本のパルナッソス山*3」と褒めるはずである。

白い白浜の灯台も青い野島の鼻もともに青い海の波のかなたに沈み去ったとき、日本に向かっての最後の名残は、この山によって惜しまれるのだ。しかし、それも一瞬の間で、やがて天城(あまぎ)の方から流れ漂っていった意地悪い灰色の雲に包まれた。さらば、わが富士山よ。さらば、わが故国よ、永久(とこしえ)に幸多かれ、わが美しき郷土よ!!


脚注
*1: 富士山 - 原文では、富士山の旧称の芙蓉峰(ふようほう)が用いられている。
*2: 鼻 - 海では、岬など海に突き出た部分を指す。鼻の語源とされる端(はし、はな)から。
「~鼻」という地名は西日本に多いとされる。
*3: パルナッソス山 -ギリシャ神話に登場する標高2457mの山。 ギリシャのあるバルカン半島を東西に分ける脊梁山脈のピンドス山脈の一部。

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現代語訳『海のロマンス』10:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第10回)


美しきサンゴの墓

出帆はいよいよ十三日午前八時と決まった。碇泊時に帆を固縛しておくロープ(ハーバーガスケット)は航海用のもの(シーガスケット)に交換し、索具関係のチェインなど要所々々には擦(す)れどめのマットを縛(しば)りつけた。これで万事オーケイだ。

山紫水明(さんしすいめい)のここ鏡ヶ浦に別れを告げるのも、わずか数時間後である。富士山の白い冠が遠く水平線のかなたに消えてゆくときの気持ちを今から予想してみる。鷹島(たかのしま)や沖島(おきのしま)のそそぐ視線を少し右に転じると、広大な太平洋の群青色がすぐそこの湾口にまで迫っていて、「来たれ、汝(なんじ)、海の児(こ)よ、われ抱擁(ほうよう)せん」というように光っている。

というわけで出帆の準備は整ったのだが、あるやむをえない事情のために、さらに数日出帆を延期しなければならないことになったのは、はなはだ残念なことだった。

草は緑にかぐわしく、花は紫に匂うワラキア*1の谷間に、髪うるわしい乙女がいる。天鵞絨(びろうど)のような斜面(スロープ)の上に涼しげな月の光がすべるように流れこんでいる夜半、青い海、白い雲を望んで、一人静かに歌っているのが聞こえてくる。

もとより吾(われ)は海を好めば
     涯(はて)しも知らぬ大洋(おおうみ)のさなかに
人知れぬ神秘ひめつつ
     やすらかで静かな海底の
美しきサンゴの墓に
     葬られ去る船人(ふなびと)多しと思う

これは十三歳の一少女の飾り気のない心からの海に対する賛美の声である。船人に対する同情の叫びである。海は生きた教場である。風雨は親切な先生である。台風や怒涛(どとう)はまたと得がたい鍛錬の好機である。だから、十三日未明の出帆予定だった練習船がその後もなお数日引き続いて南総(なんそう)の鏡ヶ浦(かがみがうら)に過ごしたことを、連日のシケや逆風となる暴風を忌避したからだと誤解されては、舵をとる身にとって、子々孫々までの名折れであり、せっかく賛美し同情してくれたやさしい少女の心に対してもすまないことになる。

延期の理由は別に存在している。それは、あるやむを得ない事情のために、最初の訪問港だったメキシコのマンザニロを南カリフォルニアのサンディエゴに変更したからだ。しかし、事情は事情としても、勇んだ心の船人にとって耐えがたいのは、この前代未聞の大帆走航海を前にして何もすることがなく船にいなければならないことである。

風は資本であり、帆は身上であるといっても、この頃の逆風の強風にはほとほと閉口せざるをえない。ビュービューと南西の烈風が一陣二陣と、突如として上空から吹き落ろしてくると、巨大な海の神のネプチューンの手につかみあげられたかのように海は逆立(さかだ)ち、空を圧してく大波が白いたてがみをふり乱しながら押し寄せてくる様子は、神馬ペガサスが常軌を逸しているようである。マストにおびえる風の悲鳴と、白い波頭をもたげてさわぐ三角波の響きに包まれている練習船は、夕方の穏やかな風に漂う笹舟にたとえるのも愚かである。

晴雨計(バロメーター)は、世をのろい大自然に軽んずる者への見せしめを見よやとばかり、ズンズンと下降する。

先日、品川を出帆する二日前に、水天宮様(すいてんぐうさま)ではなくて、いささかお門違いの観音様の浅草寺に「船路やすかれ」とお参りしたことがあった。そのときデルファイの神託ならぬ、ガラガラともったいぶってくじ箱を振って、それとばかりに出された御籤(みくじ)には、かたじけなくも、若聞金鶏声般得順風(夜明けに鶏の鳴き声を聞けば順風にめぐまれるだろう)とあった。

館山(たてやま)に入港して船首を太平洋に向けて以来、少しも祈願の念を中断しなかったのを哀れとおぼしめし、願わくば、金鶏の声を聞かしたまえと祈るのであった。耳をすまし目を見開いて何も聞きのがしたりしないぞと、瞬時ものがさず気にかけていたのは大慈大悲(だいじだいひ)の観音様のお声であった。しかし、よくよく前世に菩薩の扶托(ふたく)が薄かったとみえ、聞こえるものはただマストにうなる風の声である。船の舷をたたく波の音のみである。

「ちょうど盂蘭盆(うらぼん)のことだからひょっとしたら金鶏の奴め、仏様のお供をして陸地(おか)に呼ばれて、盆踊りでも見て悦に入っているだろう」と誰やらが言った。

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脚注
1: ワラキア - 現在のルーマニアの黒海に面した地方にあったワラキア公国を指すと思われるが不詳。吸血鬼ドラキュラのモデルになったとされるヴラド・ウェペシュ公(現在は建国の父として再評価されている)は、このワラキア公国の領主だった。 

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