スティーヴンソン

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スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (50)

元の社会へ(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});それからの二日間の航海についてはほとんど覚えていないし、ノートにも何も書いてない。快適な風景の中を川は安定して流れていた。青い服を...
スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (49)

彼がワイン片手に語る体験談は傾聴に値した。話がとてもうまくて、自分の失敗談も笑いにまじえて披露したし、大海原で危険に遭遇し、押し寄せる波の音をきいたときのように、いきなり深刻な顔になったりした。二人分の鉄道料金と宿泊費で三フラン支払わなけれ...
スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (48)

以前、セーヌ・エ・マルヌ県の宿に滞在していたとき、旅芸人の一行がその宿にやってきたことがあった。父親と母親、それに夫婦の娘二人と色の黒い若者で、娘の方はどちらも歌をうたったり芝居をしたりしたものの、これで舞台に立つとは厚かましいと思えるレベ...
スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (47)

ぼくはこの騒動にひどく驚かされた。というのも、こういうフランスの旅興行の連中とはよく出会っていて、いつも楽しかったからだ。旅芸人の存在は、人生についてしっかり考えようとする者にとっては、それが会社とか商業主義に対する反抗でしかなかったとして...
スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (46)

プレシーと人形芝居プレシーには夕方に着いた。このあたりの平原にはポプラが生い茂っていた。オアーズ川は夕日をあびて輝き、大きなカーブを描いて丘陵地帯のふもとを流れている。薄い霧がかかりはじめ、距離の検討がつきにくくなった。川沿いの牧草地のどこ...
スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (45)

しかし、クレーの教会には、愚かというよりもっと悪いものが掲示されていた。それまで耳にしたことはなかったのだが、リビング・ロザリオの会という団体があって、そこがやっていることだった。貼ってあるポスターによれば、この会は一八三二年一月十七日、グ...
スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (44)

昼食のために立ち寄ったクレーでは、水上に浮かんでいる洗濯台にカヌーを係留した。正午だったので、赤い手をした声の大きな洗濯女たちがいっぱい来ていて、彼女たちの遠慮のない冗談だけがこの地の記憶として残っている。読者が気になるのであれば、本を調べ...
スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (43)

オアーズ川を下る(続き) ── 教会の内でまずコンピエーニュからポン・サント・マクサンスまで下った。翌朝、六時ちょっと過ぎに宿の外に出てみた。空気は刺すように冷たく、霜もおりているようだった。広場では二十人ほどの女たちが朝市に出された品物に...
スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (42)

ぼくらが強い関心を持っていた一つは、食べることだった。ぼくは食事に重きをおきすぎたかもしれない。料理のことをあれこれ考えていると、口のなかによだれがたまってきたのを覚えている。そうして夜になるずっと前から、それを食べたくてたまらなくなり、そ...
スティーヴンソンの欧州カヌー紀行

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (41)

時間の移り変わりそれからの航海では、こうした霧は、ある意味で、晴れることはなかった。ぼくのノートにも霧が濃く立ちこめている。オアーズ川が田舎を流れる小さな川だったときは民家の近くを通っていたし、川沿いに住む土地の人々とおしゃべりすることもで...
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