スモールボート・セイリング(2) 〜 スモールボート・セイリング(その2)

ジャック・ロンドン著

 それから十七歳のときに、三本マストのスクーナーの熟練甲板員として契約し、太平洋を巡る七ヶ月の航海に出た。船乗り連中がすぐに、熟練甲板員として契約するとはいい神経してるなと言ったが、なに、私は実際に熟練した船乗りだったのだ。まさにそれにふさわしい(実地で覚えるという)学校を出ていたのだ。スクーナーに乗ってもロープの扱いで初めてというのは少なかったし、その名前や使い方もすぐに覚えた。簡単だった。私は何であれ、何も考えずに丸暗記するなんてことはしてこなかった。小さな船の船乗りとして、何事についても論理的に考え、その理由を知ろうとしてきた。コンパス(方位磁石)を見ながら舵を取る方法は知らなかったので覚えなければならなかったのは本当だが、さほど時間もかからなかった。「詰め開き」とか「クローズホールド」で操舵するとなれば、そこらの船員連中に引けはとらなかった。というのは、私はそれまでまさにその方法で帆走してきていたのだから。十五分とかからず、コンパスを見て進路を確保することにも慣れることができた。複雑な飾りひもとか組みひも、ロープマットの作り方など、いかにも船乗りらしい装飾的な技術を除けば、この七ヶ月の航海で新しく学ばなければならないようなことはほとんどなかった。あらゆる点で、小型船のセイリングという手段が本物の船乗りにとっての最上の学校だったということだ。

  さらに、生まれつきの船乗りで、海という学校の経験がある者は、生涯を通して海から離れることはできない。骨の髄まで潮っけが染みついているし、死ぬまで海が呼びかけてくるのだ。後年、生活費を稼ぐのは楽になったが、私は船首楼で監視するのはやめて、いつも現場に戻ってきた。私の場合、具体的にはサンフランシスコ湾ということだが、ここほど光り輝くように明るくて、しかも厳しくもあり、小さな船でのセイリングに最適な海面はないのだ。

サンフランシスコ湾では本当に強風が吹く。風が安定するのでクルージングに最適な冬の間は南東と南西の風が支配的で、ときどき途方もない北風が吹く。夏になると、平日の午後にはたいてい、大西洋岸のヨット乗りなら疾風と呼ぶような「海風」が確実に太平洋から吹きこんでくる。東海岸の連中はいつもわれわれ西海岸のヨットが展開する帆の小ささに驚いている。連中のなかにはホーン岬をまわったスクーナー乗りもいたのだが、彼らは自分達のとてつもなく高いマストと大きく展開した帆を誇らしく見上げ、こっちの小さくした帆を見くだし哀れむように眺めるのだ。あるとき、たまたま連中がサンフランシスコからメア・アイランドまでの、こっちのクラブのクルーズに参加したことがあった。午前中、連中は湾内を快走しつつ北上していった。午後になって強い西風がサン・パブロ湾の方へ吹きこんできて戻りが長い上りのレグになってくると、事態は多少違ってきた。我々が極上のセイリング向きと呼んでいる風に対して、連中は強風が吹いたと言いながらあたふたとし、行き足を止めて縮帆におおわらわだった。それを尻目に、すでに縮帆していたわれわれの小さい帆のヨットがツバメの飛行のように一艇ずつ連中のヨットを追い抜いていったものだ。その次に彼らが姿を現したときには、マストやブームは短く切り詰められ、帆も全体に小さくされていた。

アドレナリンがほとばしるといえば、大海原で困難に陥った大型船と陸に囲まれた内海で困難に陥った小型船とではまったく違う。が、言わせてもらえば、本当に刺激的でスリルがあるのは小型船の方だろう。小さな船の船乗りなら誰でも知っていることだが、大型船に比べて、何事も一瞬で起きるし、常に何かしらすべきことがあるのだ――それも重労働が。日本の近海で大型船に乗り組んでいて台風に巻きこまれたとき、私はワッチやデッキ作業で夜通し奮闘したのだが、それよりも小さな三十フィートのスループに乗っていて縮帆に二時間も悪戦苦闘したり、南東の風がうなりをあげて吹きすさび、風下側に海岸が迫っている場所で二個の錨を引き上げたりするほうがよほど疲れたりしたものだ。
● 用語解説
熟練甲板員: 原語は able seaman。航海士などの資格は持たないが、技術や経験を持つ甲板員
ワッチ: 夜間当直
詰め開き/クローズホールド: できるだけ風上に向かって帆走すること。風が最も強く感じられ、船の傾きも一番大きくなる
海の学校: 海の上で失敗などを繰り返しながら実地で学んでいくことの比喩的表現
メア・アイランド: サンフランシスコ北方のサン・パブロ湾にある現在は本土と陸続きになっている半島

スナーク号の航海 (88) - ジャック・ロンドン著

「用意はいいか」と、ぼくはマーティンに言った。
「いいぜ」と彼は答えた。

ぼくはぐいと引き抜いた。やった! 歯はゆるゆるで、すぐに抜けた。鉗子にはさんだまま高くかかげた。

「もどしてくれよ、頼むからもどして」と、マーチンが懇願した。「速すぎて撮り損なっちまった」

抜いた歯を元に戻してもう一度、引っこ抜く間、かわいそうな老中国人はじっと座っていた。マーティンがシャッターを押す。一件落着だ。自慢たらたらみたいだって? 鼻持ちならないって? 歯根が三つもある歯をはじめて抜いたんだぜ。このときのぼくほど誇らしい気持ちになった狩人はいないだろうな。なんと言われても、ぼくはやったんだ! できたんだよ! 自分の手で鉗子を使って抜歯したんだ。死人の頭蓋骨を使って練習で抜いたんじゃないんだよ。

次の患者はタヒチ人の船乗りだった。小柄な男で、昼も夜もたえず歯痛に悩まされ、もうぐったりしていた。ぼくはまず歯茎を切開した。切開の仕方は知らなかったが、見よう見まねってやつだ。ひっこ抜くのに時間もかかったし、力も必要だった。その男は立派だった。うめいたり、ぶつぶつ愚痴をこぼしたりしているので、卒倒するんじゃないかと思っていたのだが、口を大きく開いて協力してくれたので、なんとか抜歯することができた。

それからのぼくは、何でも来いって気分になっていた。ワーテルローで敗北する前のナポレオンの心境だ。そうして、そのときは来た。そいつは名前をトミといった。こいつは悪評ふんぷんで、図体のでかい野蛮人だった。しょっちゅう暴力沙汰を起こしていた。とくに女房を二人も殴り殺しているのだ。父親も母親も裸の食人種だ。そいつがぼくの前に座り、ぼくは鉗子をやつの口に入れたのだが、座ったままでも、ぼくの背丈くらいの高さがあった。大男で暴力好きで、ぶくぶく太っているので、ぼくは信用しなかった。チャーミアンがやつの片腕をとり、ウォレンがもう片方の腕をつかんだ。そこから綱引きが始まった。鉗子が歯に近づくと、口を閉じようとする。また両腕を持ち上げ、抜歯しようとしたぼくの手をつかんだ。ぼくは作業を続けようとし、やつはやめさせようとする。チャーミアンとウォレンは腕をつかんだままだ。全員がもみあった。


船底掃除のためわざと干潟に乗り上げたスナーク号

一対三のレスリングで、ぼくは痛んだ歯を鉗子ではさんでいた。それはたしかに反則ではあったんだが、そういうハンデがあったにもかからわず、やつはぼくらを振り切ってしまった。鉗子はつるりと外れて上顎の歯に当たり、神経をさかなでするようないやな音がした。口から鉗子がはずれると、やつは飛び上がり、血に飢えたような雄叫びをあげた。ぼくら三人は後ずさりした。なぐり殺されるんじゃないかと恐れた。だが、大声でうなっている血に飢えた野蛮人は、また椅子に座り直した。両手で頭をかかえ、うめき声をあげ続け、こっちの言い訳を聞こうともしなかった。痛くない抜歯の名人というのは、ぼく自身の単なる思いこみにすぎなくて、プライドはあっという間に消えてしまった。その歯が抜けるか自信がなくなってしまい、袖の下でも渡して話をつけようかとまで思ったほどだ。だが、そうするのは名人としてのプライドに反するので、ぼくは抜歯はせずに、彼をそのまま帰した。鉗子で歯をつかんだものの抜くのに失敗したのは、このときだけだ。それ以来、ぼくは抜歯に失敗したことはない。つい先日も、風上にある島まで自発的に三日間の航海をやって女性伝道師の歯を抜いてあげたくらいだ。スナーク号の航海が終了する頃までには、ぼくはブリッジをつけたり金歯をかぶせたりといったこともやっているのではないかと期待している。

スモールボート・セイリング 〜 スモールボート・セイリング(その1)

スモールボート・セイリング(1)
Small-Boart Sailing (1)

ジャック・ロンドン
明瀬 和弘 訳

船乗りは生まれるもので、作られるものではない。ここでいう「船乗り」とは、外航船の船首楼に陣どっている、そこそこ仕事はこなせるが使えない連中のことではなく、海の上で木や鉄、ロープや帆布からなる構造物を自分の意思に従わせる者たちのことだ。本船の船長や航海士はともかく、小型帆船の船乗りこそ本物の船乗りである。彼は風を利用して船をある場所から次の場所へと運航させる術を知っているし、また知っていなければならない。潮流や激流、渦、砂洲や航路標識、信号や灯火に関する知識は必須だし、観天望気にも熟達していなければならない。船は一隻ごとに構造や艤装も違うし、船が好きであると同時にその特質を把握していなければならない。数限りない状況で船をコントロールする方法を熟知し、行き足を止めないようにし、また風下に流されずに船の向きを変えさせることができなければならない。

現代の外国航路の船員はこうしたことを知る必要がないし、実際、知りもしない。命じられるまま、ロープを引いたり運んだりし、甲板を磨き、塗料を洗い流し、鉄錆を削り落としたりするだけだ。何も知らないし、注意も払わない。こういう船員を小舟に乗せても何の役にも立たない。水夫を暴れ馬に乗せた方がまだましだろう。

こうした奇妙な連中の一人と子供の頃に出会って驚いたことを私は決して忘れない。その人はイギリスの便宜置籍船の船員だった。私は当時十二歳で、デッキのある十四フィートのセンターボード式の小舟に乗っていた。帆走は独学で覚えた。この船員が不思議な土地や人々、暴力ざた、ぞっとするような嵐について話をするとき、私は自分が神の足元に座っているような気がしたものだ。そうしたある日、彼をセイリングに誘った。自分がど素人でへまをするのではないかとびくびくしながら、私はセールを揚げ、船を進めた。その人は一目で私より巧みに船や海の状態を見抜くだろうし、批判的な目でじっと自分のすることを眺めているのだと感じていた。しばらくして彼にティラーとシートをまかせた。私は中央のスウォートに座り、感心するあまり口を開けて本物の帆走がどんなものかを学ぶことになるのだろうと思っていた。私の口はそのまま開いたままだった。というのは、本物の船乗りが小さなヨットに乗ったらどうなるかを知ったからだ。彼は状況に合わせてシートを調節することもできなかったし、一度ならずジャイブに失敗し、突風で何度か船を転覆させそうになった。センターボードがどういう働きをするのか知らなかったし、追い風を受けて帆走するときには片側の舷に寄るのではなく船の中央に座らなければならないということも知らなかった。締めくくりは波止場に戻ってきたときだ。彼はヨットのスピードを落とさずそのまま激突させたので、船首は壊れ、マストステップは吹き飛んだ。それでも、彼は大海原を実際に航海している本物の船員なのだった。

私の得た教訓はこうだ――大きな船の船首楼で生涯を過ごすような船員でも、真のセイリングがどういうものか知らないことがある。私は十二のときから、海に魅了されてきた。十五の時には、牡蠣を密漁するスループの船主船長だった。十六の時には大型で平底のスクーナーに乗って、ギリシャ人たちと一緒にサクラメント川でサケ漁に従事したり、漁業監視船に水夫として乗り込んだりしていた。私が活動していた海域はサンフランシスコ湾とそこに注ぐ川に限られていたが、自分は腕のいい船乗りでもあった。その時点で、私はまだ外洋を航海したことはなかった。

● 用語解説
便宜置籍船: 税金対策などのため外国で船籍を登録した船舶
センターボード: 横流れ防止のため海中に突き出す板
スウォート: ボートを漕ぐために腰かけるところ
ティラー: 舵柄
シート: 帆の開き具合を調節するためのロープ
ジャイブ: 風下に向かっているときに風を受ける帆を出す舷を変えること
強風のときほどタイミングが難しい
スループ: 一本マストの前と後ろに帆を張るタイプのヨット。ヨットと聞いて思いつく一般的なイメージのヨット
スクーナー: 時代や国によって異なる場合があるが、一般に二、三本マストの縦帆を備えたヨットで、後側のマストが高い。