米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第109回)
三、ぼくの所有者
黙って聞いていると、ずいぶん腹の立つことがある。
やれ誰さんのカメレオンはハエの取り方が下手だとか、甲所有のは意地が悪いとか、乙のは敏捷(びんしょう)だとか、さかんに自分勝手なごたくを並べている。理不尽(りふじん)に山から海へと誘拐(かどわか)してきて、断りもなく自分で勝手に決めた所有権を無辜(むこ)のぼくらの上に拡張してすましている。図々しいにもほどがある。
しかし、なんと言っても相手は「狂にして、かつ暴」なるものであるから、この際、生きんがために涙をのんで奴隷的(どれいてき)な地位に服従することとした。
そこで、ぼくの所有者は誰だろうかと詮索(せんさく)したら、生意気にも太刀雄(たちお)という変名を持った男である。
昔から変名を持った者にろくな者はない。
あちこちと逃げまわった末に、「ヤアヤア不倶戴天(ふぐたいてん)の父(おや)の仇(あだ)、尋常に勝負せよ」と名乗られるような者でなければ、東海道を股にかけ雲や霞(かすみ)に打ちまたがってその跡(あと)も白浪(しらなみ)と消え失せるような、すねに傷を持っている者に限られるようである。
この男、由来、いかなる星の下に生まれたか、意地が悪くて、強情で、わがままで、しかも忘れっぽいという悪い性質ばかり集めている。
しかし、同じ忘れっぽいのでも、この男のはずいぶんたちが悪く、自分に都合の悪い時に限るようである。
同じく横柄(おうへい)な所有権を振りまわしながらも、他の青公(あおこう)や白君(しろくん)などの所有者はセッセとハエをとらえてきては努めて好かれようとしているのに比べて、この男はいつも都合よく忘れているのか、かつて一度もハエをくれたことがない。しかも、よく図書室に来ては、くだらないことを言っては独りよがりをしている。
学者の蓋然(がいぜん)性の説とかに従うと、このカメレオンがハエを捕らうる可能性(プロバビィリティ)は、カメレオンが十分の成算と覚悟とをもって長い粘着性の舌を吐き出した度数の1/2とのことであるから、今諸君のご覧になる通り、あのカメレオンは今しょっちゅうハエを取り逃がしているが、いつかはこれを捕捉(ほそく)するような手柄(てがら)をあげて、この法則の真なることを立証しよう……
などと演説することもある。
取り逃がそうが、どうしようが、入らざるお世話である。もっとも、その折りは自分でも落胆(がっかり)するほど、取り損なったのは事実であるが。
で、あまり平常(ふだん)のそっけない処置がしゃくにさわったから、一日(あるひ)船尾の四等運転士とやらが「あんまりサルーンにハエが多いので、はえ取り虫を二、三日貸してもらいます」と交渉して、士官のサルーンに持って行った折、ちょっと悪戯(いたずら)して北車(フクシア)の樹(き)から脱走してやった。
これにはさすがの太刀雄(たちお)先生も仰天して、さっそく懐中電灯を携帯した捜索隊を編制し、机や棚の下など一生懸命にもぐって歩いたのは笑止(しょうし)であった。
今日は土曜日の午後で、恒例の船内点検があるので、船長などの目障(おめざわ)りにならぬようにと、ぼくらは図書室から食堂へ移された。移されたのはまあ仕方がないと観念しても、生来、冷酷と健忘性(けんぼうせい)との分子に富んだ連中は、例のごとく再び連れ戻すことを忘れたので、ぼくらは以後、この食堂をわが党の天地とすべく余儀(よぎ)なくされた。
上へ上へと幹を攀(よ)じ登り、枝を渡って、まさに樹葉(じゅよう)の茂みに入ろうとして、ぼくの本能的機能が緑色の皮下色素の満潮という段取りに及んだ時、ぼくらの前の机で無遠慮にアーアと大きなあくびをした奴があった。
日曜の午前である。
この男は今まで「修業日誌)とかいうものを書いておったのである。ところが、見渡すと、この男ばかりでなく、堂内にいる大半の学生は、人生の花と歌わるる青春の燃ゆるがごとき精気をことごとくこの一時に集中させる勢いで、セッセとペンを動かしている。