ヨーロッパをカヌーで旅する 54:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第54回)

今回の航海の最南端ルツェルンを経てヴァンルツフートで、今回の旅の折り返し点を通過したことになります。
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アーレ川はやがてライン川と合流した。土地の言葉ではリーナス川と呼ぶが、またこの大河にカヌーを浮かべることになった。川沿いに森のはずれという意味のヴァルツフートの町があり、高い土手の上から身を乗り出して歓迎しているように見えた。

少し低いところに道があり、崖の裾に小さな家々が一列に並んでいる。このあたりのライン川は流れが速く、水深もあって、強い渦ができていたりした。カヌーに気がついた年配の漁師が大声で話しかけてきた。自分が何者であるかを語りだす。某名家の世話係をしているが、そうなった経緯だとか、イタリアには七回も行ったことがあるとか、疑似餌のフライで魚が釣れるとか、自分は七十歳だが、ぜひとも自分の家に立ち寄ってくれ、といったようなことだ。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 53:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第53回)
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とはいえ、ここで合流したアーレ川は、カヌーにとってそれほど危険というわけではなかった。川が大きくなってくるにつれて激流も穏やかになるし、あちらこちらで暴れまわった後、少し落ち着いて安定し、堂々とした河になりつつあった。だが、このあたりでは、カヌーでの川下りの旅につきものの流木が多く、あちこちに引っかかっている。川底につかえた状態で先端が浮いたり沈んだりしていて、川の水もひどく濁っているため、流れてきた倒木の危険性は高い。油断せずしっかり見張っていなければならない。

前にも説明したが、身振りに加えて英語を大声で叫ぶというマクレガー流の「川の言語」は、このように川幅が広いところでは厳しい試練を受けことになる。たとえば、百ヤード(約九十メートル)ほども離れた川岸にいる人と、次のようなやり取りをするのに、ジェスチャーと彼らにとっては外国語の英語だけでどうやってうまく意思を伝達できるだろうか?

「あの岩のところまで行って中洲の左側を通った方がいいですか、それともこの辺で上陸し、カヌーを引きずって迂回(うかい)してから、また水路に戻った方がよいですか?」といったようなことだ。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 52:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第52回)
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この家のおばあさんという人が出てきた。おっとりとしているが上品で威厳があり、物静かだった。その人が、この闖入者(ちんにゅうしゃ)の受け入れを認めてくれた。年季の入ったオーク材の家具は女性に磨き上げられ光っている。趣味がいい。男連中が熱心に集めたものらしい。太陽がかがやき、水車はまわり、川は流れ続けている。誰もがぼくには親切にしてくれた。「あなたがイギリス人だから」ということだった。

ローマ市民を意味する「キーウィス・ローマーナス」*1というラテン語は、恐怖を与えるときより親切にしてもらうときの方が、ずっとよく威力を発揮する。「互いにかつてのローマ帝国の市民同士」という同胞意識から歓待され、正式に招待してもらったのだが、一向に食事が出る気配はなかった。娘たちがぼくを引き留めるために荷物を冗談半分で隠したりもしたが、ぼくとしては食事ができないのであれば出発せざるをえない。

というわけで、水車小屋に集まっていた全員がカヌーを置いていた場所に移動した。カヌーがあまりにも小さくて、それなのに一人前に小さな旗がひるがえってもるので、若い娘たちは手をたたいて歓声や驚きの声を上げ、漕ぎだすと、さようならと手を振ってくれた。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 47:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第47回)
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ロイス川は険しい岩山を流れ落ちているため激流で滝も多い。ルツェルン湖に達するまでの高低差は六千フィート(約二千メートル)もある。それでも、この湖自体がまだ海抜千四百フィート(約四百二十六メートル)の高地にあるのだ。

湖の端に向かうゆるやかな流れは、橋の下へと向かっていた。そこからまた川として流れていくのだが、最初のうちは穏やかなので、この先がごうごうと音を立てる激流になっているとはとても思えない。数マイル進んで森に入ると、まったく一人きりになった。地図を見ると、ロイス川はアーレ川に合流するようだ。とはいえ、どっちがどっちなのか、ぼくにはまったく判断がつかない。詳しい人なら「ロイス川の方が急流だ」と言うかもしれないが、数年前、ある男がボートでアーレ川に乗り入れたところ、警察に捕まって処罰されたことがある。何の罪かというと、自分の命を危険にさらしたことらしい。真偽は不明だが、それほどの急流ということだ。話がとんでもなく誇張されているとしても、こうした話から推測すると、スリルのある川として、すべてが満足のいくもののように思えたので、ぼくはそのままカヌーを乗り入れることにした。イギリス人の友人たちが橋の上に集まり、笑顔を浮かべている。ぼくは黄色のパドルを振って挨拶を返した。それから、パドルを漕いで街に入る。いい雰囲気の街並みを通り抜けると、またもや爽快な川下りが始まった。

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