米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第55回)
三、赤道祭の起源
今日の艦船で行われる赤道祭(せきどうさい)なるものは──とはいうものの、汽船はもちろん、商売でやっている帆船でも現在ではほとんど見られないものとなっている。従って、まだこのクラシカルな迷信的儀式がまじめくさって行われるのは、軍艦か例の花魁(おいらん)船に限る──船長や士官を除く乗組員のうちで、最も多く赤道通過の経験を持っている者が海神ネプチューンに扮(ふん)し、多くの従者を引き連れ、鳴り物入りで、船長の手に刺股(さすまた)か南半球への航海を許す鍵を渡すことになっている。
しかし、この子供らしい芝居っけたくさんな儀式は、後世になっておとなしい船乗りによって発明されたので、赤道祭の起源なるものはまったく毛色の違った別種のカルチャーである。
「一般に赤道通過の際に挙行される実際の赤道祭を目撃した者は、けだし絶無(ぜつむ)ならん。ただ、ある者が近世において、往時に行われていた海上習慣の変形したものを見たのにすぎないだろう。」
と、ある本に書いてある。
十七世紀ごろ、ラス・オブ・フホンテノーと呼ばれる難所を通過するフランス船には、俗に「洗礼」と称する儀式があった。それは、船の士官の一人が、ガウンめいた長いローブを着て、頭には滑稽な帽子をかぶり、右手には木製の剣を下げ、左手にはインク壺を持ち、炭粉で顔を黒々と塗りたてて登場してくる。
この化物(ばけもの)めいた男が「難所通過」の未経験者を呼んで、その面前に膝まづかせ、持っていたインクで額に十字を描き、下げた木刀で肩を打つ。そばにいる介添人が一杯のバケツの水を頭からかぶせる。この間、終始無言であった男は、所持したブランデーの瓶一本をメインマストの根本にうやうやしく置いてくる。
これで儀式が終わり、ブランデーは古参船乗りの胃の腑(ふ)へ送られる。いや、まことにありがたい儀式である。
これとほとんど同様の観念に基づき、同様の習慣から来たもので、さらに一層猛烈な儀式は、オランダの船がバーリング岩の沖を通るときに行われたという。
それは、いわゆる「洗礼」される者を罪人のように縛って、これをメインのヤーダーム(帆桁の端)に吊るし、二、三度、引き上げ、引き下ろす。もしそれがオランダ国王または船長の名をもって四回に及ぶときは、その者の名誉はいとも尊(たっと)いものとなる。有難迷惑(ありがためいわく)である。かくして、海にひたされること数回に及び、最初の一回は銃を撃って敬意が示される。いよいよ有難迷惑である。
この「海水の洗礼」が嫌な者は、船員であれば十二ペンス、士官ならば二シリングを出すことになっている。この「贖罪金(しょくざいきん)」が酒肴料(しゅこうりょう)となるのは前のものと同様である。
このほか、オランダの船は「キール・ホーリング(船底くぐり)」といって、前記のようにヤーダームに吊り上げた「洗礼者」を、海に入れ、竜骨(キール)を超えて反対側の舷(たげん)のヤーダームに吊り上げる風習が行われていたという。
しかし、ぼくはときどき考える。そんな乱暴な目に逢いつつも、汚れざる海洋(うみ)の神秘を味わい、海を恐れ、海を尊(たっと)び、海を迷信的に見た昔の船乗りを不幸であると言おうか、幸福であると言おうか、と。
四、赤道の三海流
海洋(うみ)に生まれ、海洋(うみ)に生き、海洋(うみ)に死する船乗りに最も必要なものは、海洋(うみ)の知識である。心ひそかに泣きつつも、海の神秘と海の懐疑とを解かねばならぬ。
気圧を研究し、風を分解し、潮流ビンを捨てて海流を探るのもそのためである。
太平洋の赤道付近には、北赤道海流、南赤道海流の二つの環流(かんりゅう)と、反対海流(カウンターカレント)という海流と、都合三つの流れがある。
北赤道海流とは、地球の表面温度の関係から南洋諸島の北辺に生じ、西北に走ってフィリピン群島、台湾、日本東海岸を洗ってカリフォルニア州西海岸に回流してくる例の黒潮なるもので、これがカリフォルニア州西海岸で屈曲して再び発生地に帰着するものである。
南赤道海流もまた一つの順回流で、ただ向きが北赤道海流と違って左向きとなるだけである。すなわち、これは赤道の南辺に発生し、南極より北東に走って南米のパタゴニア沿岸で屈曲しきたる極海流を併せて東豪州海岸に向かうもので、その流れの幅も速力(一時間三海里以上)もはるかに北のものより優勢である。
反対海流(カウンターカレント)は例の北東と南東の二つの貿易風帯から生じる表層の「皮流(ひりゅう)」が西に流れてフィリピン群島に衝突し、そこで折り返して反対に東へ東へと流れるのを指すので、ちょうど両環流の中央を走り、その速力は一昼夜で七十海里に達する。
北赤道海流については、ここに面白い話がある。かつてサンフランシスコ航海のとき、本船から投げた潮流ビンが流れ流れて、一年あまりの後、台湾・花蓮(ホアリエン)港付近で一人の生徒の手に拾われ、学校へ送られたという数奇な事実のため、同海流の流向(りゅうこう)と流程(りゅうてい)とを推測することができたという。
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