現代語訳『海のロマンス』50:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第50回)

二カ月近く滞在したサンディエゴを出帆。いよいよ最大の難関の一つ、南米ホーン岬へ向かう航海がはじまります。

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さらば麗しきポイント・ローマ

沿岸風より貿易風帯へ ── 上 再び「痛快味」を感ず

さっそく最初の夜、当直に立つ。サンディエゴを出帆した十月十七日の夜である。南カリフォルニアの沿岸風は、都合よくも北から吹いている。

一年余も航海しなかったような気がする。なんとなく新しい心持(こころもち)で、ハッチの周囲(まわり)に集まった当直員の胸には、不思議なほどこんがらがった思いがそれからそれへと走馬灯のように伝わる。

船長の不祥事、三等航海士の客死(かくし)など、考えてみても嫌になるほど、暗い、いたましい、情けない回想は、軽い華やかな明るいカリフォルニアの大気の下でただ享楽と若き生の躍動にのみ生きている美しい人と共に遊んだ追憶と、何の躊躇(ちゅうちょ)することもなく同居している。

今朝、桟橋でホラハン奥さんに泣かれたときは、さすがに悲しかった。ポイントローマの下で「金色のベスト」を来た同胞に別離(わか)れたときも、さすがに悲しかった。しかし、それからわずか十時間とたたぬ現在(いま)では、「胸中なんの不安もなし」である。何らのわだかまりも何らの未練も何らの心残りもない……といったら、さすがに跳ねっ返りのアメリカ女も「ずいぶんだわね」とか「薄情な方ね」とかなんとか驚くであろうが……

船乗りのせわしない稼業では仕方がない。五十余日の悲しい回想も、楽しい追憶も、一切のことすべてがぼんやりとして、夢を見ていたような気がする。

すべての過去を、すべて夢のごとく忘れ去ったとき、人々の心には、ただ心細い前途が残った。さびしく長く苦しきものと想像する、青い海の旅が残った。

「いよいよ今日から四カ月の重禁固かなあ……」と、娑婆(しゃば)に未練を残す者。

白帆(しらほ)の翼高く展(か)け
われ行かんかな広き海洋(うみ)

と、非人情、無刺激な大自然の懐(ふところ)にいだかれて、新しい世界に飛び出したことを喜ぶ者。

強い北の順風を受けて、船は景気よく南へ南へと走るせいか、さかんに縦振動(ピッチング)をやる。横振動(ローリング)をやる。波に持ち上げられること(ヒービング)もある。五十余日のサンディエゴ停泊にすっかり気を許して、やれやれ安心と、どっしり尻をおろした神経中枢が突然グラグラと不意打ちをくらう。不意打ちをくった神経中枢は、これはというタイミングで、すべての意識と慣習と性格と心頼みとに、狼狽(ろうばい)と同士討ちを持ちこんでくる。さかんに酔っぱらって、さかんに苦しい「痛快味(つうかいみ)」を感じる。

しっかと甲板を直角に踏みしめたつもりでいるのは、ただ本人だけである。両足を踏ん張る直線運動が上下に働いているうちに、メタセンター*1を中心として、船の動揺(ローリング)が孤形運動をなしつつあることを知らぬとは、ずいぶん甘い、虫のいい話である。

*1: メタセンターは船が傾く前の浮力の作用線と、傾いた後の浮力の作用線の交点。
つまり、傾きの中心で、船の安定性の目安になる。

力強くおろした踵(かかと)が、揺れる甲板にスポッと斜めに当たるとき、腰から腹へかけて胃の腑(ふ)のあたりにはびこる底力(そこじから)が意気地なくスーッスーッと頭のてっぺんから蒸発していく。腰がふらつき、目がくらみ、こめかみがズキンズキンと痛む。いよいよ本物になりそうである。

「船暈学(せんうんがく)」、つまり船酔いに造詣(ぞうけい)が深い長谷川如是閑(なせがわにょぜかん)先生は「胸がムカムカして気持ちの悪いのは、周囲の動揺が神経中枢の統一作用を攪乱(かくらん)して、それを不安定な平衡状態に置くからだ」と言われた。

ところが、ぼくの眩暈(めまい)ときては、ずいぶんずうずうしい横着な種類(たち)で、いかに胸がむかつこうが、いかに統一作用が攪乱(かくらん)されようが、ないしは周囲の景色がケンケンで踊りを踊ろうが、食卓のごちそうは一通りは必ず平らげる。食卓に向かうときに限って神経中枢は巧みに統一され、動揺せる不安定な物象を超絶した立命の地が平然と出現するように思える。

こういう神経中枢の狼狽(ろうばい)と、前夜の夜更かしによる睡眠不足とがもたらす不自然なる神経系統の緊張から、さすがに海洋(うみ)に慣れたるぼくといえども、今度という今度は「頭ズキズキ」「胸ムカムカ」となった。船乗りとして恥ずかしい次第である。

こういう気分に襲われたのを「大成丸語」では、「痛快を感じる」という。悲痛壮快なる情緒の攪乱(かくらん)が立て続けに頭痛として沸き起こるからだという。ところが、始末におえないのは、この「痛快味」がマストの上でタールや塗料を塗っているときに、ヤッコラサと奇襲してくることである。尾籠(びろう)な話だが、あるときはメイン・マストのバックステイに飯粒のまじったタールが塗りつけられてあったり、百尺(約三十メートトル)の空から麦飯やみそ汁の雨がときならず降ってきたりしたという笑い話が残っている。

下、軽い誇り(プライド)

練習船(ふね)は北を中心として、あるいは偏東(へんとう)し、あるいは偏西(へんさい)して、常に風向きの不安定な沿岸風の領域から、ようやく真摯(しんし)にして恒性(こうせい)を有する北東貿易風帯に入って、非常(ひど)く左右へ揺れながらも盛んに南へ南へと走る。北極星(ポールスター)の高度は緯度の低下と共にズンズンと少なくなり、一種の心細さののち、まだ見ぬ南の世界へ、十字星(ザザンクロス)の王土へ、想像に生きる髪の黒い、眼の大きな人の国へと近づくのが嬉しいようにも感じる。

本船は二、三日前から風力四ほどの貿易風を左舷後方(コーター)に受けて、一歩ずつ、一浬(かいり)ずつ赤道に近づいていく。

十月二十六日(土)の航海日誌(ログブック)には「午後五時四十分、本船右舷船首三点八浬(マイル)の距離に「右舷一杯開き」にて北西に向かう三本マストのバークを認める」とある。

この数行のラインをログブックに記(しる)した本人が、かくいうぼくであるのは、実に嬉しくもまた欣(よろこ)ばしく、軽い誇り(プライド)を抱(いだ)かせる。

四時から薄暮当直(イブニングワッチ)に立ったぼくは、さらに五時――六時の時間帯に重要な見張り(ルックアウト)の役を務めた。

太陽(ひ)はこの頃は五時半に没し去って、出没方位角(アンプリチュード)はほとんどゼロで、水平視差(ホリゾンタル・パララックス)は今やその最大値に達する。

巻雲がクリーム色の西空高く広がり、水平線は黄昏(トワイライト)の初期の色彩(いろ)で最も明らかに最もたるみなく一線を描いている。この明るい夕陽(ゆうひ)の放射弧(ほうしゃこ)は、強い屈折(レフラクション)によりて広がった雲の下縁(かえん)を、あるいはピンク色に、あるいは茜色(あかねいろ)に、あるいは紫蘇(しそ)色に、美しき色とりどりの染めている。

この美しい天然のパノラマを現半径五浬の円弧として眺めるべき中心の位置に、今ぼくは見張り(ルックアウト)として立っているのである。

見渡せば、この色の黒い小さな一人の男が、船の規則の命じるままに、浮世(うきよ)の約束の一部を遂行せんがために、しょんぼりと船首楼(せんしゅろう)にたたずんでいるのだが、それとはまったく没交渉(ぼつこうしょう)に、折衝(せっしょう)も反応もなく、美しい天然の絵は、ますますその絢爛(けんらん)の美を増している。意地悪く、また面当(つらあ)てに、「ブレース」と「修業日誌」の生活から超越できない人間をなぶるのかと気をまわしたくなるほどに、天然の絵はますますその絢爛(けんらん)の美を増してくる。

その昔、お釈迦様はカピラ城から亡命する時、家族一切の羈絆(きはん)を脱し、浮世(うきよ)一切の約束を破り、世界一切の不安定現象を超絶して、首尾よく涅槃(ねはん)の醇境(じゅんきょう)に到達したという。

しかし、それは四千年前の簡易生活のときだから、そんな生やさしいことで済む。現今(いま)では、そうは行かぬ。そんなに抜けやすい粗末な羈絆(きはん)でもなく、そんなに破りやすい迂闊(うかつ)な約束でもなく、そんなに超絶しやすい腑抜(ふぬ)けの象(かたち)でもない。

執拗(しつよう)な浮世(うきよ)の羈絆(きはん)や約束にたたられたが最後、クモに見込まれてクモの巣にからみとられたハエのごとく、騒(さわ)ごうが、もだえようが、悟(さと)ろうが、とうてい涅槃(ねはん)の彼岸(ひがん)には到達できそうもない。

遠い昔のことはいざ知らず、現に非人情を標榜(ひょうぼう)し、無刺激を希(こいねが)い、唯一無二(ゆいいいつむに)の別世界に生息していると思っているぼくが、わが感興のわくがままに、わが情操の歌うがままに、自分の目に映っている自然の映画(フィルム)を心のゆくまで眺めて鑑賞することすらできないという情けない境遇にあるのである。

四時から五時までは「見張り(ルックアウト)という浮世の約束に縛(しば)られ、船の規則に叱(しか)られている。

とうてい八時の「寝床(ボンク)の涅槃(ねはん)」に入るまでは、この約束と規則からは抜けられまいと懸念(けねん)したぼくは、船首から左へ左へと、紺青(こんじょう)の海とねずみ色の空とを画(かく)する、水平線の円弧の上を軽く滑らす。何のことはない。眉間(みけん)を中心として、その先端にマスも重みも何(なんに)もない無形の振子(ベンジュラム)をつけた単弦運動(シンプルハーモニックモーション)である。

左舷の方には異状はない。

さては今日もこんなものだろう……と何(なん)の気なしに今度は右舷の方へとすべらす。スラスラと滑っていった例の振子(ペンジュラム)が右舷船首三点のあたりに行ったとき、チラッとかすかに、極めてかすかに滑り去る視線を脅(おびや)かす者があった。極めて細かい逆まつげが角膜の前に挟まったような気がする。

覚(おぼ)えず、おやっと口走ったぼくは、ドンドンと勢いに乗じて惰力(だりょく)で滑り去る視線を、ヤッコラサと引き戻す。気をつけて丁寧(ていねい)に引き戻した視線によって、そこに蒼(あお)い海にボンヤリと霞(かす)んで、三本マストのバーク型の帆船が見いだされる。

幸いに、外(ほか)には誰も気づかないようである。船の上で、見張りに立つ間(ま)に、他船を見つけた者はまさに感謝状がもらえるほどの殊勲者である。

サンディエゴ出帆後の最初の「殊勲者」がすなわち自分であると気づいたとき、「軽い誇り」が心にわき、自(おの)ずからなる微笑(ほほえみ)が浮かんでくる。

「右舷三点に帆船が見えます……」

誇り(プライド)と欣喜(よろこび)に胸を躍らせ、心臓は肋骨(ろっこつ)を蹴(け)る。

士官は急いで双眼鏡(めがね)をとり、右舷の甲板は当番非番の学生で一杯になる。かかる船内の騒動を尻目(しりめ)にかけて、わざと知らぬ気に船首楼(フォクスル)を闊歩(かっぽ)するときの得意!!

 

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