米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第44回)
「湖畔」行き
十月八日朝九時、サンディエゴの第七街(セブンス・ストリート)から「湖畔(レイクサイド)」に向け出発した特別列車には、百三十の詰襟(つめえり)に三つボタンの練習生と、百人近い背広の紳士とが睦(むつ)まじく乗りこんだ。
サンディエゴ市およびその付近の日本人会の主催のもとに、練習生の招待会がレークサイドであるからである。
一から十まですべて気の利いた便利の良い汽車は、見渡す限りただ荒涼(こうりょう)たる南カリフォルニアの草原(くさむら)を音もなくユラユラと走りぬける。ところどころに、シュロの樹やビンロウ樹の森に囲まれて、メキシコ人の集落(ハムレット)や、アメリカ・インディアンの茅屋(ハット)やキャンプが見える。理知とか情操とは縁が薄そうな、シンプルに思える彼らの内的生活を思うとき、センチメンタルな旅の哀愁にかられ、遠隔の地を訪れている自分らの胸も一杯になる。なんだか寂しいような思いを抱いて、自分たちの生活に対してあまり何らの自覚も不平も煩悶(はんもん)も持っていないような人々を目の当たりに見るとき、胸の痛みで熱き涙をそそぎそうにもなる。
「湖畔(レイクサイド)」へは十一時ごろ着いた。肌が荒れるような乾いた風が吹いてきて、せっかく期待した遊山(ピクニック)の楽しみであったが、このがっかりするような風景美の印象のため、だいぶその感興をそがれる。
ごちそうはサンドイッチとレーズンとアメリカ梨とレモネード。
ここでちょっと断っておく。
風光明媚(ふうこうめいび)、山紫水明(さんしすいめい)の故国でこの記事を読む人は、「湖畔(レイクサイド)」などといえば、さぞかし蒼(あお)い山と、緑の樹木(き)とで周囲(まわり)をめぐらした碧(あお)い山峡の湖水を思い浮かべるであろう。実際、ぼくらもこの土地へ来るまでは、「……見渡す限り、さざ波一つなき、静かに澄める黎明(あかつき)の湖心(こしん)から、白くなよやかなる手はっと顕(あらわ)れ出(い)でしよ。その白き手の、そのなよやかなる片手のさきに見よ、研ぎすませる宝剣のささげられたる……」とホーマーの歌った神秘的なジェネバの湖か、またはスコットの「湖上の美人」に現はれるスコットランドの渓谷にある情緒的な湖水……とまではゆかなくとも、少しは見る人の心を豊かにし、落ち着いた気分につれてゆくようなものであろうと思った。
ところが、そんなたあいもない想像は、汚い灰色の水が混然と濁って、岸辺には葦(あし)や茅(かや)が生(お)いながらに朽ち崩れて汚い土となっている小さな湖を見たとき、ヘナヘナと夢のごとくくずれてしまった。
観月橋(かんげつきょう)や上野の高台などをとりさった不忍池(しのばずのいけ)を、バタくさいアメリカの天地に移したといえば、たいがい見当がつくであろう。しかし妙なもので、在留日本人はこのうら哀(さび)しい景色をみて森(もり)あり水あり羊あり人あり、この辺において稀(まれ)に見る景勝地であるとほめている。
世の中には色覚の異常というものがある。またこのごろ評判なパリのキュービズムの画家のように、形象の知覚作用に故障のある者もある。しかし、アメリカ在留日本人は決して色覚や形象の認識に障害があるわけではないようである。
さては在留日本人は気の毒にも理知を眠らせ意識にむちうって、紫山緑水(しざんりょくすい)の故郷の山々の追憶に泣きながらも、わざとこんなみすぼらしい景色に甘んじているのだとわかった。……と急に気の毒になる。なんとか慰めてやりたいもの……と人群(ひとむれ)の方に歩いていくと、多くの練習生に囲まれて大気焔(だいきえん)をあげている一人の背広が見える。
「湖畔(シーサイド)ホテル」の内庭である。びろうどのように青いきれいな芝草の上に、どっかと腰をおろした男は、皮肉や風刺やらでちゃらんぽらんなことを言って、皆を笑わしている。
「……まず二人の男をやって、ワシントンの国立銀行の金庫を盗ませる。五、六人の同志をひそかにパナマに送って運河の堰門(ロック)を爆破させる……。サンフランシスコの水道は三人の工兵でめちゃめちゃにする。ハハハ……だいぶ面白くなってくる。むろん、その間には例の牛島*1に命じてジャガイモの販売を止めて、西部一帯のヤンキーを芋責めにしてしまう。そうして……エヘン……南カリフォルニアは不肖(ふしょう)拙者(せっしゃ)一人で引き受ける。
*1: 牛島 - 牛島謹爾(うしじまきんじ、1864年~1926年)は、アメリカで「馬鈴薯(ばれいしょ)王」と呼ばれた実業家。
二十代前半で渡米し、カリフォルニアにおけるジャガイモ栽培で成功した。最盛期には六万エーカーの畑で、カリフォルニア州のジャガイモの収穫量の五割、米国全体の一割を占めたとされる。
日本と米国が戦争したらという空想の話らしい。なるほど面白く、よくしゃべる男だ。ついでにこの話を翻訳して、例のリー将軍に読ませたらさぞ驚くだろう……。
「……タフト*2も頭かきおるわい……」などと、さかんに中国なまりの珍熟語を連発する。
*2: タフト - ウィリアム・タフト(1857年~1930年)。
大成丸がサンディエゴに寄港したとき在任していた第二十七代アメリカ合衆国大統領。
大統領退任後、最高裁判所長官に就任し、行政府と司法府両方の頂点を極めたという異色の経歴を持つ。
なんでもサンディエゴで理髪店(とこや)をしている広島県の者で、大のエキセントリックだという。あまりに面白い飄逸(ひょういつ)な話しぶりに感心して、何という男かと友達に聞いてみると「シャム公使」*3という仇名(あだな)で通っているという。
*3: シャムは、現在のタイ王国の旧称。
なんでも中学生の昔、神戸で、時のシャム駐在全権公使某閣下の、桐の紋づくしの大礼服と黄金(こがね)作りの短剣という格好に魅せられてから、わが行く道は威風堂々としたシャム公使と勝手に決めてしまった。ところが英雄時を得ずで、寝言にまであこがれた「シャム公使」にはまんまと落第して、アメリカくんだりまで来て理髪屋(とこや)となっている今日でも、さあと言えば例の「シャム公使」が出るので、とうとうこのありがたい仇名(あだな)を頂戴するようになったという。
「公使」のホラと気焔(きえん)はいつまでたってもつきそうもない。しかし時間には制限がある。いざとばかり帰途につく。
汽車の窓をすかして、ヤギ遊ぶアメリカの牧原に広がる夏の夕景色を眺める。昼間の熾烈(しれつ)な太陽の放射光熱はまったく落ち着いた豊かにしっとりした大気の中に吸いこまれて、目もくらむくらいに刺激的であった昼間の色も線も形もみなある潤沢をおびて、見る人の心にうら哀しい情緒を与える。
無心の羊が、無感興の現地の人の口笛の合間に鳴いていたりするが、憐れっぽい夕暮れの自然の中に遠ざかっていく様子は、実に日本では見られない風景であろう。
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