ジョン・マクレガー著
現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第51回)。
第九章
濡れまくり、アドレナリン出まくりの体験を前日したばかりだったので、この日、はじめのうちは、どこか緊張していた。前方から急流らしい水音が聞こえてくると、また同じような手荒い試練を受けるはめになるのではないかと心配になったりもした。そんな川音が聞こえてくると、これまでは「よし急流下りが楽しめるぞ」と思ったものだったのに。しかし、それにもだんだん慣れてきて、朝から晩まで続く川下りを楽しむことはできた。
ロイド川は相変わらずの急流ではあったが、あれほどの難所はもうなかった。それほど多くないものの川にはボートも浮かんでいた。下見をしているとき、イカダも一つ見えた。イカダ師たちは「どうやってあの流れに乗せようか?」などと相談しあったりしてした。川沿いの集落の多くは高い崖の上にあった。そうじゃないときは上陸には向かない場所だったりした。それで、どこかカヌーを着けられる場所はないかと探しながら川を下ったのだが、適当なところがなかなか見つからない。蛇行した川の湾曲部にさしかかるたびに、そこを曲がると休めるのではないかと希望的観測を抱いたりしたものの、ずっと遠くまで高い崖が続いていたするのだった。はるかかなたに岬のようなところが見えてきた。あそこまで行ってみれば朝飯を食べるところくらいはあるに違いないと思ったが、いつもの朝食の時間はとっくにすぎていた。川岸は人家もまばらで、とにかく腹が減ってたまらない。絵のように美しい場所で、川に突き出るように水車小屋が建っていた。そこに上陸することにした。
上陸するとき、誰も見ている人がいなかった。これは、その後の交渉のためには失敗だった。というのは、カヌーで来たのを目撃した人がいると、不審者ではないという立派な身元証明になるからだ。とはいえ、ぼくはなんとか土手をはい上がり、庭を通り抜けた。母屋の扉が開いている。大きくて快適そうな建物の内側をのぞく。こん棒と間違われてもこまるので、パドルは外に置いて中に入った。強盗ではなく、こっちは食事をお願いする立場だ。
力強い指で奏(かな)でられるピアノの和音が聞こえた。それが聞こえてくる部屋の方に向かう。というのも、見知らぬ人の家を訪ねるとき、音楽が聞こえたので「ついふらふら」と説明すれば、まず邪険に追い出されたりはしない。今だと思った。丁重に頭を下げて説明した……つもりだったが、なにせ川から上がったばかりだ。薄汚れたフランネルの服を着た風変わりな恰好をしている上に、一万回は繰り返した言い訳もフランス語、ドイツ語、英語がごちゃまぜだったので、ますます怪しい闖入者(ちんにゅうしゃ)という印象を強めてしまった。
それでも、若い製粉業者の男性はピアノから立ち上がると、会釈してくれた。美人の妹は歌をやめて赤くなった。ぼくの方は「平静」をよそおって、パンとワインを分けてもらえませんでしょうかと聞いてみた。人に気づかれずどうやって川からやって来れたのかについては、無理とは思いつつも懸命に説明した。この二人が礼儀を失することはなかったが、間違いなく当惑していた。しかも、そこに別の若い女性が来たものだから、事態はさらに複雑になった。その女性は二人よりもっと驚いた風だったが、事情がわかると愛想よくもてなしてくれた。
すぐにテーブルに軽食が用意された。若い製粉業者は打ち解けるというよりは距離をおく感じで、大きなパイプに火をつけた。言葉は活発に飛びかったが、お互いに中身はあまりわからないまま、そのうちにベートーベンやゴス*1のコーラスや交響曲など、音楽の話題になったりした。例によって航海中に描きためたスケッチブックを見せると興味をもってくれて、和気あいあいといった雰囲気になった。そこに三人目となる乙女がやってきて、いわばオデュセウスが冒険譚を妻のペーネロペーに語ったように、ぼくも手に汗握る航海話について、この三人の女性相手に物語ることになった。製粉業者宅の集まりは大いに盛り上がり、ぼくが出発しようとすると、夕食を一緒にと引き留められた。使用人や農場の作男たちもやってきて、別のテーブルについた。絵に描いたような、忘れられない大陸の田舎ぐらしを体験させてもらった。
*1: ゴス - イギリスのセントポール大聖堂のオルガニストで作曲家のサー・ジョン・ゴス(1800年~1880年)。
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