ジョン・マクレガー著
現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第4回)
第2章
満潮を利用し、喜び勇んで出発した。ウェストミンスター橋をカヌーでくぐり抜け、あっという間にブラックフライヤーズ橋も通過した。よどみではカヌーに乗って波とたわむれた。実際のテムズ川は豆のスープのような色をしているが、このときは朝日をあびて、どこもかしこも金色に光っていた。
グリニッジ付近では、いい風が吹いた。さっそく新品の真っ白な帆に風を受けた。心が浮き立つような波きり音をたて、軽やかに帆走する。蒸気船や外航船、ごつくて小さいタグボートやずんぐりむっくりの大きな荷船で、テムズ川は活気にあふれていた。行きかう船の乗員たちと何度も会話をかわす。こうやって出発したからには、これからは来る日も来る日も、川で暮らしている人々と、英語やフランス語、オランダ語、ドイツ語や他のいろんな方言で話をすることになるだろう。
ユーモアという点では、荷船の連中は気さくで冗談好きだが、言葉づかいは乱暴だ。たいていは「よお、そこのお二人さん!」とか「ちっちゃい舟だな?」とか「保険に入ってるかい、大将?」という台詞(せりふ)ではじまるのだが、ぼくは誰にでも笑顔を見せてうなづくようにしていた。川や湖で出会った人たちは皆、親切だった。
パーフリート周辺はとてもきれいだったので、よく見ようと一、二回タッキング*1で方向転換し、そこにあるすてきなホテルに泊まろうと決めた。出発するならここからがおすすめだ。
カヌーに乗ったまま、うっとりしていると、一匹のアブが手にとまった。みるみるうちに腕が腫れあがってしまった。夜には腕に湿布をし、翌日は包帯で腕を吊って教会に行ったほどだったが、これは村の日曜学校でちょっとした話題になった。川や沼地ではカエルがよく鳴いているので、人なつっこい動物ではなく、餌になるようなハチやアブやブヨがたくさんいるだろうと予測はしていたものの、カヌーの航海で実際に虫に悩まされたのは、これがはじめてだった。
パーフリートの静かな小さい教会に入ると、一人の高齢の紳士が扉のところで倒れて死んでいた。何か悪いことの前兆だろうか。
パーフリートでは、コーンウォール感化院の船が係留されていた。岸辺を散歩している少年たちもいる。そろいの服を着て、礼儀正しかった。この興味深い船の船長が親切にもぼくを船に迎え入れてくれて、夕方の礼拝はいつまでも忘れられないものとなった。
古いフリゲート艦の主甲板には百人ほどの少年たちが列を作って座っていた。開いた窓の下には夕日に赤く染まった川面が見え、夕方の心地よい冷たい風が吹いている。少年たちはオルガンの伴奏で賛美歌をうたった。気持ちのこもった、いい感じの音楽だった。船長がこの雰囲気にぴったりの一節を朗読し、祈りが捧げられた。かつて路上生活をしていた、このかわいそうな少年たちのために力を貸して祈ろう。社会が意図的ではないにしても彼らを放置してきたことに比べれば、彼らが社会に対して抱いている感情はすばらしいとしかいいようがない。
翌朝、干し草保存用の屋根裏部屋からカヌーを下ろした。カヌーはそこで安全に保管されていた。これから先、ぼくのカヌーはいろんな奇妙な場所で保管されることになるだろう!
グレーブスエンドで必需品を積み込み、カヌーを川面に浮かべた。潮に乗り、タバコを一服する。ようやく出発したんだなという実感がわいてくる。ここから不思議な魅力的でもある自由と目新しい体験が始まったが、これは航海の最後までとぎれることなく続いた。
リュックサックを背負ってはじめてどこか遠くへと足を向けるときや、一人でヨットに乗って長距離航海に出かけるときに、こういう感覚を感じることがある。
だが、徒歩の旅では海や川に出くわすと、そこで行きどまりだ。ヨットで航海したとしても、浅瀬や岸辺には近づけない。そこでカヌーの出番になる。カヌーは漕いでよし、帆走してよし、陸にあげて運搬してもよしというわけで、陸からでも海からでもローマに行けるし、本人が希望すれば香港にまでだって行けてしまうのだ。
脚注
*1:タッキング - ヨットで帆に風を受ける向きを右舷から左舷へ/左舷から右舷へ変える方法の一つ。船首を風上に向け、風軸(風の吹いてくる方向)をこえることをタッキング(略してタック)、船首を風下に向けて帆走しながら方向を変えることをジャイビング(略してジャイブ)という。
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