スナーク号の航海 (18) - ジャック・ロンドン著

第4章

到着

「でも」と、ぼくらの友人が異議を唱えた。「航海士を乗せないで、よく航海に出られるな? 君は航海術を知らないんだろ?」

ぼくは、自分が航海術を知らないこと、人生で一度も六分儀をのぞいたことがないこと、天文暦で緯度経度を割り出せるか自信がないことを告白しなければならなかった。連中がロスコウはどうなんだと聞いたとき、ぼくは頭を振った。ロスコウはそのことに腹を立てていた。彼は今度の航海用に持ちこんだ海図に目をやり、対数表の使い方を知っていて、六分儀も何度か見たことがあり、その用途も船乗りの必需品であることも知っているというのを根拠に航海術を知っているという結論を出していた。だが、そうじゃないと、ぼくは今でも言いたい。ロスコウは若いころに東海岸のメイン州からパマナのイスマス経由で西海岸のカリフォルニア州までやってきたのだが、それが陸が見えないほど離れた唯一の機会だった。航海術を教える学校に通ったことはないし、そういう試験に合格してもいない。まして、大海原を実際に航海したこともなければ、他の航海士から技術を学んだこともないのだ。彼はサンフランシスコ湾のヨット乗りなのだった。湾内ではどこにいても数マイル先に常に陸が見えていて、航海術が必要になることはないのだ。

というわけで、スナーク号は航海士を乗せずに長い航海に出たのだった。ぼくらは四月二十三日にゴールデンゲート・ブリッジをくぐり、カモメのように空を飛んでいけば二千百海里先にあるはずのハワイ諸島を目指した。結果よければすべてよし、というわけで、ぼくらは無事に到着した。懸念されたようなたいした問題もなく着いてしまった。つまり、大問題になるようなトラブルらしいトラブルはなかったということだ。初めから順に言うと、ロスコウは航海術では苦戦した。理論は大丈夫なのだが、それを実地に当てはめるのは初めてだったのだ。スナーク号の航跡が迷走しているのが、それを証明している。スナーク号の航跡はすっきりしていたとは言えない。海図上ではギクシャクした動きになっていた。軽風の日に、海図の上ではまるで強風で爆走したみたいに大きく移動していたり、快調に帆走した日にほとんど位置が変わっていなかったりした。とはいえ、時速六ノットで連続して二十四時間航海すれば、百四十四海里進んだことになるのは自明だった。海にも曳航測定儀にも問題はなかった。スピードについては目で見ればわかる。というわけで、大丈夫じゃなかったのは、海図上でスナーク号の位置を決めかねた人間の方だった。こういうことが毎日起きていたわけではないが、実際にあったことだ。そして、理論を初めて実地に応用しようとするときには、よくある話というわけだ。

航海術を知っているという意識は、人の心に微妙な影響を与えるらしい。たいていの航海士は航海術について語るとき、深い敬意が払うものだ。素人にとって、航海術は奥深く恐れ多い神秘に思えるが、そうした意識は、航海術に対する航海士の敬虔な態度や仕草に影響を受けてもいるだろう。率直で無邪気で謙虚な、太陽のように隠しごとをしなかった若者が、航海術を学ぶと、何か知的な偉業をなしとげたみたいに、すぐにもったいぶり尊大になってしまった。ぼくら素人には、なにか聖なる儀式をつかさどる聖職者のような印象を与えた。アマチュアのヨット乗りの航海士は、息を殺し、ぼくらにありがたく聖なるクロノメーターを見るよう促すようになった。というようなわけなので、友人たちは航海士を乗せないぼくらの航海に懸念を感じたのだった。

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船上でのチャーミアン

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