ロバート・ルイス・スティーヴンソン著
明瀬和弘訳
原著の序は本文の末尾に掲載します。
アントワープからボームまで
アントワープ*1のドックではちょっとした騒ぎになった。港湾作業の監督一人と荷役人たちは二隻のカヌーをかつぎ上げると船着き場に向かって駆け出し、おおぜいの子供たちが歓声をあげながらそれを追った。まずシガレット号が水しぶきをあげて水面に突進し、アレトゥサ号がすぐにそれに続いた。ちょうど外輪式蒸気船がやってきたところで、船上の男たちは大声で警告し、監督や荷役人たちも波止場からどなっていた。とはいえ、ぼくらのカヌーはひとかきふたかきしただけで、軽々とスケルト川*2の中央部まで進んだ。行き交う蒸気船や港湾作業の人々、陸の喧騒はすぐにはるか後方に遠ざかった。
太陽はきらきらと輝き、上げ潮が時速四マイルでいきおいよく流れていた。風は安定していたが、ときおり突風が吹いた。ぼくはこれまでカヌーで帆走したことはなかった。正直、この大河のど真ん中で初めて経験するという不安はあった。この小さな帆に風を受けたらどうなるのだろう、と。最初の本を出版したり結婚に踏み切ったりするのと同じで、未知の世界に乗り出していくようなものだろう。とはいえ、ぼく自身の不安はそう長くは続かなかった。五分もすると、ぼくは帆を操るロープをカヌーに結びつけていた。
これには自分でも少なからず驚いた。むろんヨットで他の仲間と一緒にいるときには、帆を操るロープはいつも固定していたが、こんな小さく転覆しやすいカヌーで、しかも、ときおり強風が吹くような状況で、同じやり方をする自分が意外だった。それまでの自分の人生観がひっくり返るような感じでもあった。ロープを固定しておけば、たばこだって楽に吸えるが、ひっくり返るかもしれないという明らかな危険があるときに、のんびりパイプを吹かそうという気になったことは、これまで一度だってない。実際にやってみるまで自分でもよくわからないというのは、よくあることだ。だが、自分で思っている以上に自分が勇敢でしっかりしているとわかって自信が持てたという話は、あまり人の口からは聞こえてこない。似たようなことは誰でも経験しているだろうが、妙な自信を持ってしまうと、この先で自分に裏切られるかもしれないという不安があるので、そういうことをあまり人に吹聴しないのではないか。もっと若いころに人生に自信を持たせてくれる人がいてくれたら、危険は遠くにあるときにこそ大きく見えるが、人間の精神の善なるものはそう簡単には屈服しないし、いざという時に自分を見捨てることは稀か決してないと教えてくれる人がいてくれたらと、心から思う。そうであったら、ぼくはどれほど救われていたことだろう。とはいえ文学では誰もセンチメンタルになるし、こんな勇気を鼓舞するようなことを書いてくれることはないだろう。
脚注
*1: アントワープ - ベルギー北部の都市(オランダ語ではアントウェルペン)。
*2: スケルト川 - 源流はフランス北部。ベルギーのフランドル地方を流れて北海にそそぐ国際河川。スヘルデ川、エスコー川(フランス語)とも呼ばれる。