スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (29)

狩猟のことから、話はパリと地方の一般的な比較になった。プロレタリアを自称する亭主はパリをたたえてテーブルをたたいた。「パリって何だ? パリはフランスの精髄だ。パリジャンなんてものはいない。それは諸君であり、俺であり、パリ市民すべてなんだ。パリでは成功するチャンスは八十パーセントもある」 そして彼は労働者が犬小屋ほどしかない部屋で世界中に行き渡る物を作っている様子をいきいきと描写し「てなわけだ。すばらしいじゃないか」と叫んだ。

悲しそうな顔をした北部出身者がそれに異議をとなえ、農民の生活を賛美した。パリは男にとっても女にとってもよくない。「そもそも中央集権だし」と、彼はいいかけた。

が、宿の主人はすぐに反撃した。彼にとってはすべてが論理的で、すべてがすばらしいという。「まったく壮観だぜ! いろんなものがあるじゃないか!」 そしてテーブルをドンとたたき、皿がテーブルの上で舞った。

ぼくは二人をなだめようと、フランスにおける言論の自由はすばらしいと口にした。これはとんでもない失敗だった。皆、すぐにだまりこんだのだ。彼らは意味ありげに頭を揺らした。この主題が場違いなことは明らかだったが、悲しそうな顔をした北部出身者は自分の思想信条で迫害されたのだと、彼らはぼくに理解させた。「ちょっと聞いてみなよ」と、彼らはいった。「聞けばわかる」

「そうなんだ」と、彼はぼくがまだ何もいわないのに静かに答えた。「あんた方が考えているほど、フランスに言論の自由はないんじゃないかと思うよ」 そうして下を向き、その話はそれで終わりにしようと思っているらしかった。

ぼくらの好奇心はむしろ強くかきたてられた。このリンパ体質の外交販売員はどういう風に、あるいはなぜ、いつ迫害されたというのだろうか? ぼくらはすぐに、それは何か宗教的な理由のためだろうと推測し、主にポー*1の怪奇物語だとか、トリストラム・シャンディー*2に出てきた説教だとか、酔っ払った状態で記憶を探った。

翌朝、さらにこの問題を掘り下げる機会があった。というのも、ぼくらは出発する際にぼくらに共感する人々に見送られるのは苦手だったので早起きしたのだが、彼はぼくらよりもっと早く起きていたのだ。思想信条に殉教した者としての人格を保つためだとぼくは勝手に思ったのだが、彼は朝食に白ワインと生のタマネギを食していた。ぼくらは長いこと話をした。彼はその話題を避けようとしたものの、ぼくらは知りたかったことを知ることができた。しかし、このとき非常に興味深い状況が生じた。ぼくら二人のスコットランド人とこの一人のフランス人で半時間ほども話をしたのだが、それぞれが国籍によって異なる思いこみで議論していたのだった。話の最後になって、ぼくらは彼の異端信仰が宗教的なものではなく政治的なものだったことに気づき、彼がぼくらの思いこみが誤っているのではないかと疑うようになったのも議論の最後になってからだった。彼が政治的信念を話す言葉づかいや心構えは、ぼくらには宗教的な信念のように思えたし、逆に彼にとってもぼくらの言葉づかいは同様だった。

こうした誤解は、スコットランドとフランスという二つの国の特徴をよく示している。かつてナンティ・エワートが「ひどい宗教だ」と述べたように、政治がフランスの宗教なのだった。一方、スコットランドのぼくらは、賛美歌や誰もちゃんと翻訳できないヘブライ語のささいな相違点をめぐって言い争っていた。そして、こうした誤解は、異なる人種間だけでなく男女間においても、多くのはっきりと明確にならないことがある典型ということになるだろう。

迫害されたというぼくらの友人についていえば、彼はコミュニストか、それとはかなり異なるがパリ・コミューンの支持者といった程度にすぎなかった。そして、その結果として一つ以上の職を失っている。結婚もうまくいかなかったようだ。が、これについては、彼が仕事について情緒的な言い方をしたので、ぼくが勘違いしたのかもしれない。彼は穏健で親切な人物だったし、ぼくは彼がもっとよい職を得て、自分にふさわしい伴侶を得ていればよいがと願っている。

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脚注
*1: エドガー・アラン・ポー(1809年~1849年)は、一九世紀アメリカの短編作家。『アッシャー家の崩壊』のような恐怖小説やゴシック小説、『モルグ街の殺人』のような初の推理小説といわれる作品があり、ジューヌ・ヴェルヌに影響を与えた『アーサー・ゴードン・ピムの物語』のようなSF小説の祖とされる作品もある。
異端審問については『落とし穴と振り子』という短編で取り上げている。


*2: トリストラム・シャンディーは、一九世紀英国の作家ローレンス・スターン(1713年~1768年)の未完の小説。ヨークシャーの地主である紳士トリストラム・シャンディーの自伝という体裁をとりながら、二〇世紀の「意識の流れ」の先取りともいえる荒唐無稽な断片が連続し、これを日本で最初に紹介したとされる夏目漱石によれば


(スターンが作家として後世に知られているのは)怪癖放縦にして病的神経質なる「トリストラム、シャンデー」にあり、「シャンデー」ほど人を馬鹿にしたる小説なく、「シャンデー」ほど道化たるはなく、「シャンデー」ほど人を泣かしめ人を笑はしめんとするはなし


 となる。
『我が輩は猫である』はこれに影響されているという人もいる。
(主牟田夏雄訳の三巻本が岩波文庫から出ています)

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