スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (26)

 

夕方、ぼくらは手紙を出すために、またカヌーに乗った。すずしくて快適だった。サーカスの見世物になっている動物を見るように、ぼくらについてくる何人かの腕白小僧をのぞいて、この細長い村に人影は見えなかった。大気はすみきっていて、村のどこからでも、山々や木々の梢が見えた。教会の鐘がまた別の儀式のために鳴っていた。

ふいに、さっきの三人の娘たちが四人目の妹と一緒に街道沿いの店の前に立っているのが目に入ってきた。ぼくらはついさきほどまで彼女たちと意気投合していたのは確かだ。とはいえ、こういう場合、オリニーではどうするのがエチケットなのだろう? 田舎道だったら、もちろん声をかけるわけだが、ここでは人目もあるし噂もたちやすいだろう。会釈するくらいならかまわないだろうか? シガレット号の相棒にどうするか聞いた。

「ま、あれ見ろよ」と彼はいった。

ぼくは見た。四人の娘は同じ場所にいたが、四人ともぼくらに背中を向けて体を硬くし、話しかけてくれるなというのがありありだった。慎み深く、娘たちはそろってまわれ右をしたのだ。ぼくらの姿が見えている間、彼女たちはずっとそうしていたが、くすくす笑っているのも聞こえたし、初対面の四人目の娘は肩ごしにこっちを見ながら、口を開けて笑っていた。こうしたことはすべて慎み深いといえるのだろうか、それともこの地方独特の挑発なのだろうか?

宿屋に戻る途中、白亜の崖や頂上に生えている樹木の上、金色に輝く夕方の空に何かが浮かんでいるのが見えた。凧にしては高すぎるし、非常に大きくて、安定しすぎてもいる。暗くなっていたが、星であるはずはなかった。というのも、星がインクほどにも黒く、クルミほどにもでこぼこしていたとしても、こんな状況で日光をあびれば、ぼくらには光の点のように輝いて見えるはずだ。村のあちこちで人々が空を見上げていたし、子供たちは通りを駆けていたが、その通りは山の上へと一直線に続いていた。そこにも駆けている人影がぱらぱらと見えた。正体は気球だった。後で知ったのだが、夕方の五時半にサンカンタンを出発したものらしかった。大人のほとんどは冷静にそれを受けとめていた。だが、ぼくらはイギリス人だし、すぐに必死で丘を駆け上った。ぼくら自身も旅行者の端くれなので、同じ旅行者たちが空から舞い降りてくるところを見たかった。

しかし、丘の頂上に近づく頃には、見るべきものは終わっていた。金色の空は色あせかけていたし、気球の姿は消えていた。どこへ? ぼくは自問した。はるかかなたの天まで昇っていってしまっただろうか? それとも、坂道が続いている青みがかった起伏のある景色のどこかに着陸しているのだろうか? 上空は寒いらしいし、気球を操縦していた人たちは今頃はどこかの農場の暖炉で体を温めているのかもしれない。秋の日はつるべ落しで、すぐに暗くなった。道路沿いの木々や、牧草地を通って戻っている見物人たちの姿が、地平線に沈みかけた赤い夕陽をバックに黒い影となっていた。登ってきた坂の方が明るいので、ぼくらはそのまま引き返して丘を降りた。木の生い茂る渓谷のはるか上空にメロン色の満月があり、背後の白亜の崖は燃えさかる窯の炎のように赤くなっていた。

川沿いにあるオリニー・サント・ブノワットの村に灯りがともり、夕食のサラダが作られていた。

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