スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (35)

オアーズ川の黄金の谷をめぐる

ラフェールをすぎると、川は開けた牧草地を縫って流れていた。緑豊かな、畜産の盛んなところで、黄金の谷と呼ばれている。川幅が広く流れは急だが、安定した絶え間ない流れが緑の沃野を作りあげている。牛や馬や小さくユーモラスなロバたちが一緒になって草を食べていたり、群れで川岸までやってきて水を飲んだりしている。こういう家畜がいると風景が違って見える。とくに驚いたりするとそうだが、それぞれがバラバラに駆け出したり右往左往したりするのだ。柵などないまったくない大平原を放浪する民族と共にさまよっている家畜の群れといった感じだろうか。両岸から遠くはなれて丘陵が見え、川はクーシーやサンゴバンの木々が生い茂る堤と接して流れていたりした。

ラフェールでは砲撃訓練が行われていたが、まもなく上空でも雲のせめぎあいがはじまった。巨大な二つの雲塊がぶつかり、ぼくらの頭上で一斉砲火しあう。一方、見渡す限りの地平線に日射しが差しこみ、澄み切った空気を通して、くっきりと丘陵が見えている。銃声や砲声がひびくたびに、黄金の谷の家畜の群れ全体が驚いていた。牛や馬は頭を上げて右往左往し、方向が決まると一目散に走り出すのだが、まず馬が突っ走り、それをロバが追い、その後に牛が続いた。草原でのこの集団の蹄の音は、川の上にいるぼくらのところまで聞こえてきた。騎馬隊が突進するときのような音だ。そんなこんなで、耳に聞こえる限りでは、ぼくらを楽しませるために戦闘訓練が行われているようだった。

しばらくすると銃声や砲声も聞こえなくなった。陽光をあびた雨上がりの草原がきらきら輝き、大気にはまた木々や草の息吹が感じられるようになり、川はその間も変わらず快調に流れてぼくらを運んでくれるのだった。ショニーの近くは工場地帯になっていた。そこから先は川の土手が急に高くなって、周囲の牧歌的風景は消え、土壁のような土手と柳の木しか見えなくなった。ときどき村を通過したり、フェリーとすれ違ったりした。また土手で遊んでいる子供がいて、ぼくらが川の湾曲部を曲がってしまうまでじっと見つめていたりした。しばらくはあの子供の夢に、カヌーを漕いでいるぼくらの姿が出てきたりするのではなかろうか。

晴れ間と雨降りが朝と夜のように交互に繰り返され、そうした変化のため時間は実際より長く感じられた。雨がひどくなるとジャージの下の体まで濡れてくるのがわかったが、そうした冷たさがいつまでも続くので、ぼくはがまんできなくなった。ノアイヨンに着いたら絶対にマッキントッシュの雨具を買うぞと心に決めた。濡れること自体はどうということもないのが、冷たいしずくで体のあちこちがひやっとするたびに、ぼくは狂ったようにパドルで水をかいた。シガレット号の相棒はぼくのこうした反応をとてもおもしろがっていた。土手や柳以外に見物するものができたというわけだ。

川は直線のところでは泥棒が一目散に逃げるようにまっすぐ走り、湾曲部では渦を巻いて流れた。柳の枝は風にそよぎ、その根元の土は朝から晩までずっと流れている川に削られ、崩れていく。オアーズ川は何世紀もの間、こうやって黄金の谷を形成してきたのだが、考えを変えたとでもいうように、流れる方向を変化させたりもしているのだった。余計なことを考えずただ重力に従っているだけとはいえ、川というものは、なんと多くの役割を果たしていることだろう!

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