現代語訳『海のロマンス』53 :練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第53回)
eyecatch_01

アホウドリを釣る

一、彼らはおそれ、彼らはおどろき、
  彼らはうらみ、彼らはののしった。
  生暖かい鳥の首をキューキューと、
  こともなげに俺が絞めたとき。

二、何という無残なしうち?!
  おそろしい悪魔の心!!
  手前が鳥を殺した故に、
  海が時化(しけ)たらどうするつもりだ?

三、見ろやい、祟(たた)りがもう現れた、この外道(げどう)め、
  無辜(むこ)の鳥を殺した報いは、
  マストにうなる強い風となったわ。
  と、震えながら彼らは吠えた*1

*1: イギリスの作家、コウルリッジの幻想的で怪奇な長編物語詩『老水夫行』に、アホウドリを殺したために船が呪われて……という、ほぼ同じような一節がある。

バタバタと甲板を駆ける靴の音がしたと思ったら、「釣った、アホウドリを釣った」という、浮世離れしたユーモアに富んだ声が、人々の心のどこやらに必ずひそんでいる、子供のごとき好奇的欲求をけしかけるように、けたたましく甲板に響く。

続きを読む

現代語訳『海のロマンス』52:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第52回)

eyecatch_01

二、副直勤務

夜明けの当直の副直(サブワッチ)に立つ。十一月五日。

暗い海から涼しい風が吹き上がって、睡眠(ねむ)りたりない顔にいくぶんの爽快味を与える。うす暗い羅針盤(スタンダード・コンパス)のランプで、針路が南南西になっているのが照らし出される。

例の季節風(モンスーン)のため、したたか悩まされた練習船はついに十一月三日の午後四時に総帆(そうはん)をたたんで機走に移った。北緯八度四十分、西経百二十四度。

暑さはいくぶん減ったようだが、赤道無風帯(ドルドラム)に特有の威嚇的な空と、悪性な海の揺れ方はまだ直りそうもない。

続きを読む

現代語訳『海のロマンス』51:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第51回)

eyecatch_01

無風帯(ドルドラム)

一、風神の横神破り──南西の季節風(モンスーン)

十一月二日、北緯八度五十二分、西経百二十四度二十一分。

昨日からなんど風向(かぜ)が変わって、何度「帆の開き(タック)」が変わったかわからぬ。しかも、風力(かぜ)といえば、子供の髪をそよがすほどの力もない。いよいよ船はソロリソロリと例の赤道無風帯(ドルドラム)へと忍びこむらしい。

暑い。苦しい。じっとしておっても身体の肉が溶けて流れ出すかと思うほどに、気味悪い脂汗(あぶらあせ)が毛穴をつんざいてスラスラとあふれ出る。

続きを読む

現代語訳『海のロマンス』50:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第50回)

二カ月近く滞在したサンディエゴを出帆。いよいよ最大の難関の一つ、南米ホーン岬へ向かう航海がはじまります。

figure-p210_pointroma
さらば麗しきポイント・ローマ

沿岸風より貿易風帯へ ── 上 再び「痛快味」を感ず

さっそく最初の夜、当直に立つ。サンディエゴを出帆した十月十七日の夜である。南カリフォルニアの沿岸風は、都合よくも北から吹いている。

一年余も航海しなかったような気がする。なんとなく新しい心持(こころもち)で、ハッチの周囲(まわり)に集まった当直員の胸には、不思議なほどこんがらがった思いがそれからそれへと走馬灯のように伝わる。

船長の不祥事、三等航海士の客死(かくし)など、考えてみても嫌になるほど、暗い、いたましい、情けない回想は、軽い華やかな明るいカリフォルニアの大気の下でただ享楽と若き生の躍動にのみ生きている美しい人と共に遊んだ追憶と、何の躊躇(ちゅうちょ)することもなく同居している。

今朝、桟橋でホラハン奥さんに泣かれたときは、さすがに悲しかった。ポイントローマの下で「金色のベスト」を来た同胞に別離(わか)れたときも、さすがに悲しかった。しかし、それからわずか十時間とたたぬ現在(いま)では、「胸中なんの不安もなし」である。何らのわだかまりも何らの未練も何らの心残りもない……といったら、さすがに跳ねっ返りのアメリカ女も「ずいぶんだわね」とか「薄情な方ね」とかなんとか驚くであろうが……

船乗りのせわしない稼業では仕方がない。五十余日の悲しい回想も、楽しい追憶も、一切のことすべてがぼんやりとして、夢を見ていたような気がする。

すべての過去を、すべて夢のごとく忘れ去ったとき、人々の心には、ただ心細い前途が残った。さびしく長く苦しきものと想像する、青い海の旅が残った。

「いよいよ今日から四カ月の重禁固かなあ……」と、娑婆(しゃば)に未練を残す者。

白帆(しらほ)の翼高く展(か)け
われ行かんかな広き海洋(うみ)

と、非人情、無刺激な大自然の懐(ふところ)にいだかれて、新しい世界に飛び出したことを喜ぶ者。

強い北の順風を受けて、船は景気よく南へ南へと走るせいか、さかんに縦振動(ピッチング)をやる。横振動(ローリング)をやる。波に持ち上げられること(ヒービング)もある。五十余日のサンディエゴ停泊にすっかり気を許して、やれやれ安心と、どっしり尻をおろした神経中枢が突然グラグラと不意打ちをくらう。不意打ちをくった神経中枢は、これはというタイミングで、すべての意識と慣習と性格と心頼みとに、狼狽(ろうばい)と同士討ちを持ちこんでくる。さかんに酔っぱらって、さかんに苦しい「痛快味(つうかいみ)」を感じる。

しっかと甲板を直角に踏みしめたつもりでいるのは、ただ本人だけである。両足を踏ん張る直線運動が上下に働いているうちに、メタセンター*1を中心として、船の動揺(ローリング)が孤形運動をなしつつあることを知らぬとは、ずいぶん甘い、虫のいい話である。

*1: メタセンターは船が傾く前の浮力の作用線と、傾いた後の浮力の作用線の交点。
つまり、傾きの中心で、船の安定性の目安になる。

力強くおろした踵(かかと)が、揺れる甲板にスポッと斜めに当たるとき、腰から腹へかけて胃の腑(ふ)のあたりにはびこる底力(そこじから)が意気地なくスーッスーッと頭のてっぺんから蒸発していく。腰がふらつき、目がくらみ、こめかみがズキンズキンと痛む。いよいよ本物になりそうである。

「船暈学(せんうんがく)」、つまり船酔いに造詣(ぞうけい)が深い長谷川如是閑(なせがわにょぜかん)先生は「胸がムカムカして気持ちの悪いのは、周囲の動揺が神経中枢の統一作用を攪乱(かくらん)して、それを不安定な平衡状態に置くからだ」と言われた。

ところが、ぼくの眩暈(めまい)ときては、ずいぶんずうずうしい横着な種類(たち)で、いかに胸がむかつこうが、いかに統一作用が攪乱(かくらん)されようが、ないしは周囲の景色がケンケンで踊りを踊ろうが、食卓のごちそうは一通りは必ず平らげる。食卓に向かうときに限って神経中枢は巧みに統一され、動揺せる不安定な物象を超絶した立命の地が平然と出現するように思える。

こういう神経中枢の狼狽(ろうばい)と、前夜の夜更かしによる睡眠不足とがもたらす不自然なる神経系統の緊張から、さすがに海洋(うみ)に慣れたるぼくといえども、今度という今度は「頭ズキズキ」「胸ムカムカ」となった。船乗りとして恥ずかしい次第である。

こういう気分に襲われたのを「大成丸語」では、「痛快を感じる」という。悲痛壮快なる情緒の攪乱(かくらん)が立て続けに頭痛として沸き起こるからだという。ところが、始末におえないのは、この「痛快味」がマストの上でタールや塗料を塗っているときに、ヤッコラサと奇襲してくることである。尾籠(びろう)な話だが、あるときはメイン・マストのバックステイに飯粒のまじったタールが塗りつけられてあったり、百尺(約三十メートトル)の空から麦飯やみそ汁の雨がときならず降ってきたりしたという笑い話が残っている。

下、軽い誇り(プライド)

練習船(ふね)は北を中心として、あるいは偏東(へんとう)し、あるいは偏西(へんさい)して、常に風向きの不安定な沿岸風の領域から、ようやく真摯(しんし)にして恒性(こうせい)を有する北東貿易風帯に入って、非常(ひど)く左右へ揺れながらも盛んに南へ南へと走る。北極星(ポールスター)の高度は緯度の低下と共にズンズンと少なくなり、一種の心細さののち、まだ見ぬ南の世界へ、十字星(ザザンクロス)の王土へ、想像に生きる髪の黒い、眼の大きな人の国へと近づくのが嬉しいようにも感じる。

本船は二、三日前から風力四ほどの貿易風を左舷後方(コーター)に受けて、一歩ずつ、一浬(かいり)ずつ赤道に近づいていく。

十月二十六日(土)の航海日誌(ログブック)には「午後五時四十分、本船右舷船首三点八浬(マイル)の距離に「右舷一杯開き」にて北西に向かう三本マストのバークを認める」とある。

この数行のラインをログブックに記(しる)した本人が、かくいうぼくであるのは、実に嬉しくもまた欣(よろこ)ばしく、軽い誇り(プライド)を抱(いだ)かせる。

四時から薄暮当直(イブニングワッチ)に立ったぼくは、さらに五時――六時の時間帯に重要な見張り(ルックアウト)の役を務めた。

太陽(ひ)はこの頃は五時半に没し去って、出没方位角(アンプリチュード)はほとんどゼロで、水平視差(ホリゾンタル・パララックス)は今やその最大値に達する。

巻雲がクリーム色の西空高く広がり、水平線は黄昏(トワイライト)の初期の色彩(いろ)で最も明らかに最もたるみなく一線を描いている。この明るい夕陽(ゆうひ)の放射弧(ほうしゃこ)は、強い屈折(レフラクション)によりて広がった雲の下縁(かえん)を、あるいはピンク色に、あるいは茜色(あかねいろ)に、あるいは紫蘇(しそ)色に、美しき色とりどりの染めている。

この美しい天然のパノラマを現半径五浬の円弧として眺めるべき中心の位置に、今ぼくは見張り(ルックアウト)として立っているのである。

見渡せば、この色の黒い小さな一人の男が、船の規則の命じるままに、浮世(うきよ)の約束の一部を遂行せんがために、しょんぼりと船首楼(せんしゅろう)にたたずんでいるのだが、それとはまったく没交渉(ぼつこうしょう)に、折衝(せっしょう)も反応もなく、美しい天然の絵は、ますますその絢爛(けんらん)の美を増している。意地悪く、また面当(つらあ)てに、「ブレース」と「修業日誌」の生活から超越できない人間をなぶるのかと気をまわしたくなるほどに、天然の絵はますますその絢爛(けんらん)の美を増してくる。

その昔、お釈迦様はカピラ城から亡命する時、家族一切の羈絆(きはん)を脱し、浮世(うきよ)一切の約束を破り、世界一切の不安定現象を超絶して、首尾よく涅槃(ねはん)の醇境(じゅんきょう)に到達したという。

しかし、それは四千年前の簡易生活のときだから、そんな生やさしいことで済む。現今(いま)では、そうは行かぬ。そんなに抜けやすい粗末な羈絆(きはん)でもなく、そんなに破りやすい迂闊(うかつ)な約束でもなく、そんなに超絶しやすい腑抜(ふぬ)けの象(かたち)でもない。

執拗(しつよう)な浮世(うきよ)の羈絆(きはん)や約束にたたられたが最後、クモに見込まれてクモの巣にからみとられたハエのごとく、騒(さわ)ごうが、もだえようが、悟(さと)ろうが、とうてい涅槃(ねはん)の彼岸(ひがん)には到達できそうもない。

遠い昔のことはいざ知らず、現に非人情を標榜(ひょうぼう)し、無刺激を希(こいねが)い、唯一無二(ゆいいいつむに)の別世界に生息していると思っているぼくが、わが感興のわくがままに、わが情操の歌うがままに、自分の目に映っている自然の映画(フィルム)を心のゆくまで眺めて鑑賞することすらできないという情けない境遇にあるのである。

四時から五時までは「見張り(ルックアウト)という浮世の約束に縛(しば)られ、船の規則に叱(しか)られている。

とうてい八時の「寝床(ボンク)の涅槃(ねはん)」に入るまでは、この約束と規則からは抜けられまいと懸念(けねん)したぼくは、船首から左へ左へと、紺青(こんじょう)の海とねずみ色の空とを画(かく)する、水平線の円弧の上を軽く滑らす。何のことはない。眉間(みけん)を中心として、その先端にマスも重みも何(なんに)もない無形の振子(ベンジュラム)をつけた単弦運動(シンプルハーモニックモーション)である。

左舷の方には異状はない。

さては今日もこんなものだろう……と何(なん)の気なしに今度は右舷の方へとすべらす。スラスラと滑っていった例の振子(ペンジュラム)が右舷船首三点のあたりに行ったとき、チラッとかすかに、極めてかすかに滑り去る視線を脅(おびや)かす者があった。極めて細かい逆まつげが角膜の前に挟まったような気がする。

覚(おぼ)えず、おやっと口走ったぼくは、ドンドンと勢いに乗じて惰力(だりょく)で滑り去る視線を、ヤッコラサと引き戻す。気をつけて丁寧(ていねい)に引き戻した視線によって、そこに蒼(あお)い海にボンヤリと霞(かす)んで、三本マストのバーク型の帆船が見いだされる。

幸いに、外(ほか)には誰も気づかないようである。船の上で、見張りに立つ間(ま)に、他船を見つけた者はまさに感謝状がもらえるほどの殊勲者である。

サンディエゴ出帆後の最初の「殊勲者」がすなわち自分であると気づいたとき、「軽い誇り」が心にわき、自(おの)ずからなる微笑(ほほえみ)が浮かんでくる。

「右舷三点に帆船が見えます……」

誇り(プライド)と欣喜(よろこび)に胸を躍らせ、心臓は肋骨(ろっこつ)を蹴(け)る。

士官は急いで双眼鏡(めがね)をとり、右舷の甲板は当番非番の学生で一杯になる。かかる船内の騒動を尻目(しりめ)にかけて、わざと知らぬ気に船首楼(フォクスル)を闊歩(かっぽ)するときの得意!!

 

[ 戻る ]    [ 次へ ]

現代語訳『海のロマンス』 49:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第49回)
figure-p210_pointroma
さらば、うるわしきポイントローマ

サンディエゴ出帆

十月十七日。悲しき別離(わかれ)の日はついに来た。
いざや別離(わか)れん、心に深く、また会うときの喜こびを胸に描いて。
捨てよ、リキュールの瓶! 離(はな)せよ、膝(ひざ)に乗せた乙女を!! ブレース*1引けと、風はささやく。
海洋(うみ)の妖女(ようじょ)マザーカレーは、
シーチャイルドの来たるを待つ*2

*1: ブレース - 帆船の横帆で帆桁(ヤード)につけたロープ。これで帆の向きを調整する。
*2: マザーカレー - カリフォルニア州のヨセミテ公園を訪れる観光客を相手にしたキャンプ型リゾート施設の当時の女主人の通称(本名はジェニー・エッタ・フォスター)。シーチャイルドは文字通り、海の子、つまり、自分たちを指す。

さらば別離(わか)れん、わが享楽の民よ、「アンクルサム」の子孫よ、「カテドラル(大聖堂)の児(こ)」ミス・ヘレンよ、「カリフォルニアの母」ホラハン夫人よ。

サンディエゴ停泊は五十余日におよび、いろいろと多くの印象と感興と啓示(ヒント)と憧憬とを与えられた船乗りであった。異国(とつくに)の船人(ふなびと)に向かってわけ隔てのないその抱擁は、強い親しみを示しただけ、楽しみと安らぎとが思う存分に享受せられただけ、握手と接吻と抱擁とが華やかな享楽的な色彩の強く輝いた大気の中に与えられただけ、それだけ、十月十七日の別離は悲しく、心惜(くちお)しく、恨(うら)めしく感じる。

船は早朝に錨地を離れ、サンタフィー桟橋に横付けにして、忙しく清水(みず)を積みこむ。

練習船を見送りに来た日米両国の人々は、電車で、または自動車を連ねて、黒山のように桟橋に集まる。こんなに多くの外国人から見送られたことは練習船の記録(レコード)にかつてない、と士官の一人は感嘆する。

黒絹(くろぎぬ)に身を包んだホラハン夫人は、手紙と書籍と花束とをたずさえて、悲し気に来船する。ヘレンとアールからは悲しい手紙が来る。

いよいよ出港用意のラッパが鳴って、見送り人は否応なしに下船させられる。ホラハン夫人は美しい眼に一杯の涙をためて、きっともう一度来いという。その時に汝(なんじ)の指揮する船の上で再会しようという。いよいよ最後のかたい握手をかわしたとき、夫人は口ごもりながら小声で “Good bye, Be blessed by God.”(さようなら、神のご加護がありますように) と言った。急に胸に迫って、変な気持ちとなる。

舫(もや)い綱(づな)(ホーサー)を外し、二千四百トンの大船が徐々に桟橋を離れたとき、「ボンボヤージュ」という太い男らしい紳士の声と、「グットバイ」という甲高い淑女の泣き声とが混じりあった別辞(フェアウェル)が桟橋に一杯になった群衆から発せられる。船はようやく加速度を増して、桟橋の人混みはようやく小さく、ヒラヒラと舞う白いハンケチも風に吹かれる紙片のように見えるようになったとき、最後の悲しい別辞(わかれ)が遠く大波のように、豆のごとくかすむ群衆から流れ出た。船は汽船や工場で鳴らす別辞(わかれ)の汽笛に応えて、三発の長笛(ホイッスル)を吹く。

ノース島を左にまわって、区画整理されたサンディエゴの町を縦に見渡すとき、ゴールドン・ウェストという小さな蒸気船がついてくるのに気がつく。在留日本人が、悲しい別離を遠くローマランドの下で惜しもうと特に艇をしたてて追ってきたのである。

例の「シャム公使」が赤いネクタイをつけ、一人で艇の屋根の上で騒いでいる。練習船の船足が速くなって、ようやくローマランドに近づくに従い、l「シャム公使」以下五十人余の同胞の顔はようやく暗く悲しい感情が激しい言葉となってほとばしりでる。

「おーい、今度来るときは天洋*3の船長となって来いよ」とか、「日本への土産に……かまうもんか……そこの砲台の写真を撮っていけ……」とか、乱暴なことをいう。

*3: 天洋丸(13,454トン)は、大成丸と相前後して進水した大型貨客船で、日本の船として初めて一万トンを超えた。エンジンには最新のタービン機関を採用していた。

やがて艇は三回の「万歳」を唱えて、名残惜し気に艇首をめぐらせて帰っていった。かくして五十余日の長い碇泊の間に、最も複雑な交渉と、最も有人情の生活と、最も軌範的な折衝とを続けてきた二百の「海の民」は、再び四カ月一万二千海里(マイル)の非人情な無刺激な旅にのぼった。マザーカレーの静かな広い懐(ふところ)にいだかれるべく……

[ 戻る ]    [ 次へ ]

現代語訳『海のロマンス』48:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第48回)


船長の失踪など、思わぬトラブルで長期滞在するはめになったサンディエゴから、いよいよ出帆するときがやってきます。
再び世界一周航海が再開されますが、今回は最後のサンディエゴ滞在記です。

世界一のテントシティー

picture_page 120-b

写真 上)世界一のテントシティー 
(写真 中)カリフォルニアの母と大成丸ボーイ 
(写真 下)ラモナの家とその「結婚の鐘」

同県の友、瀬黒(せぐろ)氏と、いわゆる世界一のテントシティー見物に出かける。

続きを読む

現代語訳『海のロマンス』47:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第47回)

「ラモーナ」の話

Home of Ramona brand

練習船がサンディエゴの静かで美しく長大な湾に投錨した夜、ぼくはサンディエゴ市とコロナドビーチとの間を、粘液質の湾の水に赤や青や色とりどりの美しいイルミネーションの影を落としながら往来する「ラモーナ」というフェリーを見た。この「ラモーナ」という名前が不思議にぼくの好奇心をあおった。

二、三日後の上陸のときであった。市中を歩いていると、クラブや商会の名前に「ラモーナ」というのがたくさんある。一つの電車に「オールドタウン&ラモーナの家」行とあるのを見て、ぼくの好奇心は極度にあおられた。グランドホテル前のプラザの脇で、まさにその電車に乗った。

三十分ばかりの後、電車はなんだか古くさい家の前で停車(とま)る。壁は縦横に訪問者の記念の跡をとどめ、屋根には乱暴にもぺんぺん草がはびこっている。

これが「ラモーナ」の家である。ラモーナという英国系白人と黒人との間にできた娘がその恋人アレッサンドロという、卑下と屈辱と羊のような従順さとの間に生の意義を見いだす少数民族の男と自由結婚の式を挙げたところだという。昔は古いスペイン系の一教会だったという。中へ入ると、得体のしれない多くの男が出てきて、結婚のときの縁起帳はこれだとか、そのときの儀式はこうであったとか、スペイン人は甘き恋に酔える彼らに辛き冷笑を与えたとか、情けを知らぬ米国人は面白半分に彼らを迫害したとか、そのときついた結婚の鐘はこれだとか、ラモーナをうまいこと商売に利用している。

あわれなる女「ラモーナ」の話は、虚栄の女、驕(おご)れる女ラモーナに始まる。

その昔、ジュニベロ神父やスペインの探検家カブリヨによって啓発され開拓された南カリフォルニアの地に羽振りをきかしたスペイン人の勢力もようやく失墜しかかったとき……

ときのスペイン将軍モレノには、ゴンザガとラモーナという二人の娘があった。美しい娘であったラモーナは、妙齢のころから相思相愛の間柄であった一人の英人を嫌って、途中でスペインの若い士官のところへ嫁入ってしまう。

失望し自棄したその英人はやけ半分に、黒人奴隷の娘をめとって一人の娘をもうける。

これが女主人公ラモーナである。妻に死なれた男は、ラモーナを連れて古い恋人ラモーナのもとを訪れて昔の罪を責め、すっかり後悔し懺悔(ざんげ)の涙にくれた女の手に、同名の幼児ラモーナを渡して去る。この浮世の波風にもまれて、生まれながらに数奇の運命を持ったラモーナは、第一の養母ラモーナの死後、第二の養母ゴンザガの膝下に育てられることとなる。

かくして一方は黒人の母から純情で芸術的な「無知なる趣味の遺伝」を受けたラモーナは、他方、失恋に泣いた英人の父から、復讐的、呪詛(じゅそ)的、因果的の性質を授かっている。

生まれながらにしてこうした運命におかれた彼女が、他年、許嫁(いいなづけ)たるゴンザガの息子を嫌って卑(いや)しい黒人奴隷のアレッサンドロに身と心をささげたのは、実に興味深い因果律である。恨みを飲んで終生の希望と歓楽とを捨てた英人の呪詛(じゅそ)を、二十年後に、全能全知の厳粛なる神の手を借りて、当の敵の甥を同じ失望と自棄と悲嘆との濁流に巻きこませたことによって、復讐の効果(エフェクト)を生じさせている。

「十九歳の青春(はる)を迎えたラモーナは、世にも愛(め)でたき乙女であった。彼女の顔は常に晴れ晴れと輝き、彼女の静粛(しとや)かなる風姿(ふうし)とほがらかなる声音とは、見る人の、聞く人の心の中にのどかに溶け入らねばならぬようであった」と、『ラモーナの話』に記されている。

「この美しきラモーナを、彼女の許嫁(いいなずけ)フュリップは愛し、下男は尊び、下女は親しみ、草も木も石も、みな等しく愛を尊び親しむのとき、わが若きインディアンのアレッサンドロのみ何ぞ愛せざるべき、何ぞ尊ばざるべき、何ぞ親しまざるべき……」と、再び記されている。

ラモーナをして、ついにかの、豊かなる情操と音楽の天才とを有するアレッサンドロと恋に陥らしめたのには、内的と外的の二つの原因がある。

弥生の春に萌え出る若草のように青春(わか)き胸に、黒人にふさわしからぬアレッサンドロの高雅な性格と温かい情操とが恋しく映じたのはその一つである。人種的偏見から常にラモーナを邪険にした養母の冷酷は他の一つである。

かくて、この二個の情操の子らは、うるさい世間の絆(きずな)と情実と約束から逃れ出て、「屋根にぺんぺん草の教会」で結婚し、ついにインディアン保留地に去った。

ここまでは、単にあわれなる女主人公およびその恋人がスペインの一家庭に対する紛糾せる交渉にすぎない。

それ以降、アレッサンドロに対する米人の迫害のあらゆる種類、あらゆる手段を事実に即して特有な細かい艶麗な筆致でもれなく描写している。

アレッサンドロがちょっとした間違いから米人に殺されてラモーナが再び養家に帰るあたりは、いわゆる「白鬼(はくき)」の横暴を巧みに描いている。「ことわざに、いったん泥棒をやってしまえば、ずっと泥棒でいなかればならない、とあるように、アメリカの法律に照らして自分は潔白だと言い切れる者は誰もいない」という一節のごときは、痛快骨をえぐるの感がある。

「ラモーナの話」を書いたのは、ヘレン女史*1というアメリカ人で、この本で最もひどく痛罵(つうば)されているのはアメリカ人で、この書を最も多く読み最も深く同情するのもまたアメリカ人だという。

こうこなければ面白くない。ヤンキーの偉いところは実にここにあると、ぼくはつくづく感じた。

ちなみに、この話はすべて事実に基づく話で、いまではサンディエゴ市に欠くべからざる一名物となっている。

*1: ヘレン女史 - ヘレン・ハント・ジャクソン(1830年~1885年)はアメリカの女流作家。
練習帆船・大成丸のサンディエゴ寄港から30年ほど前の1884年、彼女は綿密に取材した事実にもとづく小説『ラモーナ』を発表し、当時のベストセラーとなった。
大陸横断鉄道の開通とほぼときを同じくしたため、日本のアニメでいう「聖地巡礼」のように、サンディエゴ周辺には全米から読者が殺到した。
黒人奴隷の数奇な運命をたどったストウ夫人の『アンクル・トムズ・キャビン』は、奴隷解放をめぐって大論争の対象となったが、その系譜につらなる作品。

Cover--Ramona

[ 戻る ]    [ 次へ ]

現代語訳『海のロマンス』46:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第46回)
eyecatch_01

グラスカッター

十月十二日(土曜)。大掃除と洗濯がすんで「日曜」という楽しい期待を明日に控えた、平和なすがすがしい「土曜らしい雰囲気」が人々の顔に浮かぶ。

午後、カッターを艤装して、楽しい半日を静かなサンディエゴの内海に遊んで、遊びくたびれた十余人は、ボートをコロナド半島の先端にあるノースアイランドに寄せる。

このノース島には、かの有名なカーチス氏の経営にかかる「カーチス飛行機学校」なるものがある。

練習船(ふね)が八月三十一日に、この静かにして絵のような泊(とまり)に入港して以来、日に何度となく船のまわりを滑走したり飛翔したりする幾組かの水上飛行機があった。はじめのうちは、あのすさまじいエンジン音の爆音も、あざやかで見事な着水や飛行の技量も珍しかったが、しまいにはすっかり馬鹿にしてしまって、自習室で本でも読んでいるときは、またかとばかりうるさがられた。

しかし、それでもときどきは、金髪緑眼(きんぱつりょくがん)の佳人(ひと)を乗せて鋭く水を切って滑走するときや、巧みに練習船(ふね)の帆桁(ヤード)とすれすれに飛んで、きわどい離れ技を演ずるときは、惜しげもなく拍手と歓声が全船から流れ出ることもあった。こんなときには、操縦者はきっと片手を上げて挨拶したものだ。

その学校の桟橋へ船をつけて、白いジャンパー姿の男がドヤドヤと上陸する。見ると、桟橋の根元の方に一人の老人が腰をかがめて、箱のような変な格好の船型と、奇怪なる設計図(プラン)とを並べて、深い瞑想にふけっている。通りすがりに言葉をかけても、振り向きもせぬ。しないのも道理、この老人こそ、この学校の師範代で、二週間に一遍ずつまわってくるカーチスの代教授をしているほどに技量抜群な人だというが、多年の飛行ですっかり鼓膜を破ってしまったのだと……

イッシャー君というのが出てきて、いろいろと案内もし、説明もしてくれる。学校(ここ)には「水上」と「陸上」の二種類あることや、キムピー嬢、近藤氏、武石浩波(たけいしこうは)氏の三人はみなこの学校で練習を受けたこと、自分はパリの飛行機学校で、ドイという日本学生と友達であったなどと話す。

「カーチス飛行機学校」といえば、いかにも立派なようであるが、実は五十エーカー(約二十万平米、東京ドーム四個半)ばかりのだだっ広い草原(くさはら)に、破れかかった汚い家が二、三軒と、修繕工場一棟と、「水上」「陸上」の飛行機格納庫各一棟ずつとモーター試験場とがあちこちにたたずんでおった。

ちょっとでいいから乗せてくれと頼んだら、おそまつな滑走用の一台の「カーチス」式複葉機(バイプレーン)を出してきた。彼らはこれを「草なぎ機(グラスカッター)」と呼んでいる。誰だったか、スイッチをつなごうとしたら、やれ大変とばかり、差し止められた。その代わりに写真をとってもよいと許可された。写真を撮りにわざわざ頼みにくる連中も多いらしい。

「水上」の方は例のイッシャー君が、この「フロート」がどうで、この「翼(プレーン)」の浮揚力がどれくらいで、支柱(ステイ)の受ける力が最小となるよう応力が計算されていて、発動機(モーター)の爆発周期は何分の一だとか、むずかしいことを詳しく説明してくれたが、ひどいなまりのあるアメリカン英語でペラペラときた講義の大部分はとうとう「理解」できないままだった。

ローマランドの一日

船長艇(キャプテン・ガレー)を艤装して、音に聞こえしローマランドに一日の清遊を試みる。同舟の友は五人。

    この山に仙人おわす水仙花

月が似合うローマランド、日没が似合うローマランドは、また花も似合う。

しめやかな春雨の軽いうきうきした足音が、野に響き、水に響いて、けぶるような紗をすかしたような情趣を生み出すとき、美しき水仙花やクローバーは今を盛りと咲かせた花からしずくがしたたり落ちている。

方形係数(ブロック・コエフィーシェント)*1がわずかに〇・六の船長艇は、少しキールを水につけただけの軽い姿で、鏡のように静かな入江の水を、朝の八時頃の下げ潮に押されながらすべるように走っていく。

*1: 方形係数(肥せき係数とも呼ぶ)は、船の太り具合を指す指標。
水線下の容積の太さ(やせ)具合を示し、この値が小さいと細身でスピードも速いイメージになる。
具体的には 「船の排水容積」と「水線長×水線幅×喫水」の比で、船型が完全な直方体だとすれば方形係数は「1.0」になる。
大量の荷を運ぶよう設計される貨物船は、旅客船に比べて、この値が大きくなる傾向がある。

セントラル教会の招待会(イブニング・ソサエティ)で、晴れやかな三日月眉と、すずしい張りのある目と、黒いビロウドの帯飾りとをつけた、世にも美しいサンディエゴの娘と歓談笑語(かんだんしょうご)したその翌日(あくるひ)の朝である。

光輝ある初秋の光線(ひかり)は透き通った水に落ち、帆をかすめる小鳥の影が、水底の細石(こいし)や藻の葉にさっと黒く落ちては、また元のように明るくなる。この快適な朝の景観と、ブドウ、オレンジなどのカリフォルニアの美果を積みこんだ心丈夫とは、今日の行楽をして、期待あるものたらしめ、意義あるものたらしめる。

パビリオン・ハウスの検疫所を右に見て、おそろしく長い海藻(ケルプ)の中を流れ下った艇は、十時にローマランドの砲兵隊連隊合宿所の下へと漕ぎ寄せる。

カーキ色の兵隊さんが往来する合宿舎(カンティーン)には青いツタが見事にはいまとわって、その二階からは音色もゆかしいピアノが漏れ聞こえてくる。一軒の将校宿舎のベランダには五、六人の奥さん連中が集まって、紅茶を飲みながら静かに世間話にふけっている。

こんな俗世間を離れたような生活を眺めながら、船乗りの間に有名な例のローマランドの灯台(ライトハウス)に着いたのは十時ごろであったろう。

青いサボテンの花が目もはるかに連なる先に、太平洋の波打ち際に沿って白い建物と海抜百フィートの灯台とが見える。

キャピテン・ビーマンという、七十ばかりの好々爺(おやじ)の灯台長や、その細君や、一等灯台員など、家族総出で歓迎してくれる。

話によると、この灯台は今から二十三年前に建てられた回転灯で、四百三十二面の反射鏡と、四分の回転周期と、五秒間の照射期間を持っているという。到達距離は二十海里で、光力は十二万燭光*2を数える。

*2: 燭光(しょっこう)は光度の単位で、現在のカンデラとほぼ等しい。カンデラは、照度の単位である「ルクス×距離の二乗」で計算される。

ここのローマ岬(ポイント)は音に聞く海上の難所で、三年前には鉄船が、七年前にはスクーナー型の帆船が相次いで同じような場所で座礁し、粉々に破壊されたという。現に、灯台の下には、いたましくも赤く錆びた鉄片が、世を呪うもの、海神の権威をないがしろにする不届きものの末路を見よやとばかり、敗残の跡をさらしている。

快く軽い汗を感じながら小さな多くの小山を北に越したぼくらは、スペイン人がこの地の覇者であった時代の旧灯台(オールド・ライトハウス)に行く。一八五四年に建てられたもので、荒廃した壁の中には、古いカビくさい、一種いやなにおいがしみじみと人の追憶に迫るように漂っていた。

この旧館と同じ背の山には、日本のコックが埋葬されている墓地(セメタリー)があるという。何でも十何年前に米国の一砲艦がここで爆破したとき、一緒に乗りこんでいた志願兵であるという。

なつかしさと、あわれさとのまじった気分で、山の頂上にあるその墓地(セメタリー)に行く。墓地というよりは遊山地といったほうが適当なほどに明るい華やかな空気が、敷物のように青くきれいな芝地の上に広がっていた。

[ 戻る ]    [ 次へ ]

現代語訳『海のロマンス』45:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第45回)
eyecatch_01

ミセス・ホラハン

ぼくはかつて、外国へ行っている日本の留学生が、心さびしい異国の地で、「ドイツの母」とか「ロンドンの母」とか、なつかしげに呼びならわしている老婦人を持っていると聞いている。そうして心の中で、物の道理のわかった、親切で、心の広い、どんな人種に向かっても快い抱擁を与える年とった女性を描いてみた。

この多年、心の中で描いていた美しい絵が現実となって現れたのが、わが「カリフォルニアの母」ミセス・ホラハンである。

船は「女性」である。練習船・大成丸はそのあらゆる種類の女性の中でも、最も優艶(ゆうえん)にして最も高雅な一人である。

美しく清らかな女には、また美しく清らかな同性の友がある。美しく気品のある友人として最もすぐれた人が二人いる。すなわち、日本の伊藤静代夫人と、カリフォルニアのホラハン夫人と……

続きを読む

現代語訳『海のロマンス』44:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第44回)

eyecatch_01

「湖畔」行き

十月八日朝九時、サンディエゴの第七街(セブンス・ストリート)から「湖畔(レイクサイド)」に向け出発した特別列車には、百三十の詰襟(つめえり)に三つボタンの練習生と、百人近い背広の紳士とが睦(むつ)まじく乗りこんだ。

サンディエゴ市およびその付近の日本人会の主催のもとに、練習生の招待会がレークサイドであるからである。

続きを読む