現代語訳『海のロマンス』34:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第34回)


(前回までのあらすじ)太平洋横断中に明治天皇が崩御され、サンディエゴ到着後には上陸した船長が失踪するという前代未聞の出来事が相次いで起こりましたが、今度は航海士が急死します。

意気揚々たる世界一周航海の前途に、なにやら暗雲がただよってきた気配です。

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先帝をしのぶ

「本日午後二時ごろ、いま当地を視察されている竹越代議士が来船されてスピーチをされることになっている……」という一等航海士の説明が、九月六日の朝に与えられた。

母国においてならばいざ知らず、五千里も離れた異国において、しかも国内外の五千万の国民が等しくやるせない思いを抱いて暗く沈んだ心でいるときに、日本の政界の一方の論客として知られた知名の士を迎えるのは、少なからず心強く、またなつかしく思われる。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 47:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第47回)
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ロイス川は険しい岩山を流れ落ちているため激流で滝も多い。ルツェルン湖に達するまでの高低差は六千フィート(約二千メートル)もある。それでも、この湖自体がまだ海抜千四百フィート(約四百二十六メートル)の高地にあるのだ。

湖の端に向かうゆるやかな流れは、橋の下へと向かっていた。そこからまた川として流れていくのだが、最初のうちは穏やかなので、この先がごうごうと音を立てる激流になっているとはとても思えない。数マイル進んで森に入ると、まったく一人きりになった。地図を見ると、ロイス川はアーレ川に合流するようだ。とはいえ、どっちがどっちなのか、ぼくにはまったく判断がつかない。詳しい人なら「ロイス川の方が急流だ」と言うかもしれないが、数年前、ある男がボートでアーレ川に乗り入れたところ、警察に捕まって処罰されたことがある。何の罪かというと、自分の命を危険にさらしたことらしい。真偽は不明だが、それほどの急流ということだ。話がとんでもなく誇張されているとしても、こうした話から推測すると、スリルのある川として、すべてが満足のいくもののように思えたので、ぼくはそのままカヌーを乗り入れることにした。イギリス人の友人たちが橋の上に集まり、笑顔を浮かべている。ぼくは黄色のパドルを振って挨拶を返した。それから、パドルを漕いで街に入る。いい雰囲気の街並みを通り抜けると、またもや爽快な川下りが始まった。

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現代語訳『海のロマンス』33:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第33回)


太平洋横断に成功し、無事に米国西海岸南部のサンディエゴに入港した大成丸ですが、あろうことか船長が行方不明になるという前代未聞の事件が発生します。
しかも、不幸はそれだけにとどまらず……

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船長、船に帰らず

船の乗組員一同の敬愛と期待との中心をなせる船長の上に何かの異変が生じたという風説が、誰いうとなく隼(はやぶさ)のごとく船の中に広まった。九月二日の午前(ひるまえ)である。船長が八月三十一日入港と同時に上陸したまま陸上にあって、杳(よう)として消息がわからないのは確かな事実である。

ある者はいう。船長は急性脳膜炎で入院したと。他の者はこれを修正して、船長は過労の結果、意識の混乱をきして自刃(じじん)したという。何にしても、おそるべき、悲しむべき、心痛すべき惨事(ざんじ)である。前途悠遠(ぜんとゆうえん)な大使命の端緒(たんちょ)において容易ならざる蹉跌(さてつ)である。悪運である。百二十五の子弟後輩はそのために困惑して、ただ次に来たるべき結果の範囲や程度の広狭深浅を忖度(そんたく)するとき、悄然(しょうぜん)として意地悪き運命の黒き手を呪(のろ)わないわけにはいかなくなった。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 46:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第46回)
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丸一日の間、ずっとカヌーに乗っていた。一日に十時間から十二時間ほども本格的に「漕ぐ」のは久しぶりだったので、ぼくは無理をしないよう、のんびりと、尽きることのないルツェルン湖の景色を眺めてすごした。それでもこの豊かで圧倒的な自然の中で、まだ見ていないところも十や二十はありそうだった。とはいえ、さすがに夜中も漕いでまわるというわけにはいかないので、俗事というか、今夜泊まる宿を探さなければならない時間になった。しかし、すでに述べた観光客用の巨大な宿泊施設などには泊まりたくない。どこか日曜には休息できるような静かな場所を見つけたかった。木々が生い茂っている小さな岬をまわると、いきなり探しているものが眼前に飛びこんできた! とはいえ、あれはホテルなのだろうか? そう、「ゼーブルク」という名前が出ている。静かだろうか?  薄暗くなった歩道を観察する。風呂はあるだろうか? はは、そんな心配は不要だろう。庭先に湖が広がっているのだから。釣りはどうだろう? 湖畔に茂ったアシの上から少なくとも四本の釣り竿が伸びていた。その背後には息をひそめて竿先の動きを注視している人影もある。

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現代語訳『海のロマンス』32:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第32回)
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サンディエゴの名物

クラゲとガラガラヘビと火事は、ここサンディエゴの名物である。しかし、『名物にろくなものはない」という諺(ことわざ)は茫漠(ぼうばく)たる北太平洋を超えて、五千里離れたアメリカにおいてもなお、少なからぬ権威を持っている。

(上)クラゲ

サンディエゴ湾はわずか四町ないし六町*1の幅をもって、十二海里*2も奥に突入しているところであるから、一日四回の満潮干潮の際は、非常な速力で潮が流れる。だから小舟やボートなどは、よほど気をつけていないと、思わぬところに流されることがある。このボートでの上陸のつど、美しいと感じるのは、速い潮流のまにまに漂い流れているクラゲの大群である。中秋の空のような瑠璃(るり)色に光った帽子くらいの大きさのやつが、鉄色に濁った水の中でヒレを伸縮させながら続々と流れ去っていく。壮大にして秀麗な天然の一大(いちだい)象嵌細工(ぞうがんざいく)である。

*1: 町 - 長さの単位で109.09m。四町~六町はほぼ436~654メートル。
*2: 海里 - 長さの単位で1852m。十二海里は約22キロメートル。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 45:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第45回)
今回から第八章になります。ジョン・マクレガーのいう「世界一美しい湖」であるルツェルン湖(スイス)にカヌーを浮かべるところから、旅が再開されます。
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イミンで例の三人の釣り客が蒸気船に乗って出発すると、小さな桟橋は静かになった。ぼくは丘をこえたルツェルン湖までカヌーを荷馬車で運んでもらう値段の交渉をした。距離にして徒歩で三十分ほどだが、料金は五フランで決着した。宿の主人はカヌーに非常に興味を持っていたので、彼自身が荷馬車のたずなを持ってくれた。ところが、道すがら、会う人ごとにその話をしてまわるのだ。しまいにはリンゴの実の収穫をしている男たちにまで声をかけるほどだった。声をかけなければ、連中は作業に夢中で、ぼくらが通過したことすら気づかなかっただろう。こういう場合、スイスでもドイツでも定番のジョークが飛び交う。「ちょっとアメリカまで行ってくるよ!」と叫び、気のきいた台詞(せりふ)だろ、という風にニッと笑うのだ。

ぼくらがやってきたルツェルン湖畔の集落は、あの有名なキュスナハトだった。とはいえ、一帯の村ぜんぶがキュスナハトを自称しているので、そのうちの一つということになる。中央ヨーロッパには、こういうハネムーンの旅行先に選ばれる、絵にかいたように美しい町がたくさんある。ぼくらの周囲には例によって物見高い連中が集まってきたが、今回は宿の主人が同行して一席ぶってくれたので、カヌーを無事に隣の湖に浮かべることができた。おそらく、ここは世界で最も美しい湖だ。

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現代語訳『海のロマンス』31:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第31回)
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お世辞しばり

墨絵の龍を壁間の軸にとばした狩野派の元祖はなかなかえらいと、印象派の画家は言う。サンディエゴ停泊の短時間に、いわゆる米人かたぎなるものを洞察した自分はさらに偉いかもしれぬ。

八月三十一日、練習船がパイロット(水先案内人)を乗せ、検疫(けんえき)を済ませて、コロナドビーチの砂嘴(さし)を右にまわったとき、大工小屋のような海務所から、あわてて飛び出た一人のアンクルサムが、例の星模様、青白だんだら縞の国旗を半分下げて丁重に挨拶をしてきた。思いがけないところで、思わぬ人から、予期せぬ温かい握手をうけたような印象を与えられて、思わず乗り組みの士官学生をして破顔せしめた。オヤと、張りつめた心のタガがゆるみはじめたような、キツネにつままれたような変な気持ちになる。片鱗(へんりん)はそろりそろりと出現する。

船がいよいよ進んでサンタフキーの埠頭(はとば)近く、例の五百四十貫の大錨(おおいかり)を投げこんだとき、かの有名なホテル、デル・コロナドの尖塔(タワー)からヒラヒラと、うれしい日の丸の旗が翻(ひるがえ)った。ここにも、人をそらさないアンクルサムかたぎがほの見える。墨はようやくその濃淡や光沢をおびてくる。

今日は九月一日である。停泊して最初の日曜である。日曜は祈祷(きとう)と遊山(ゆさん)とお饒舌(しゃべり)とに、なお長い常夏(とこなつ)の明るい時間を利用するのがヤンキーである。物好きな連中がたくさんやってくるだろうと、いささか心構えてしまう。

まもなく、他人が予期し、心構えをするとき、その心構えを現実にすることで生じる愉快と満足とを与えるのは二十世紀の紳士淑女の作法であるとばかりに、続々とやってくる。

午後の二時ごろともなれば美しく着飾った人々が、イヤというほどガソリンエンジンのボートを寄せてくる。来る奴も来る奴も、舷(げん)から降ろしたはしごを上るや否や、いきなりナイスシップという。「汝(なんじ)の親切なる案内によって美しき汝(なんじ)の船を見んことを望む」とかなんとかと言う。世に金縛(かなしば)りという語がある。拝(おが)み倒(たお)しという方法がある。が、世辞(せじ)しばりという外交的秘法はあまり聞いたことはない。

案内員というありがたい役目を頂戴(ちょうだい)し、これぞと思う一群を案内する。梯子段(はしごだん)を上るとき妙齢の一淑女が無言のままサッと白い手(て)をさしだし、遠慮会釈もない様子に、自分の判断力に少なからざる混乱が生じた。危うくも平素(へいそ)自慢の機知(ウイット)が本物かを問われそうになる。それで、黒いヴェールの奥の、まつげの長い涼しい眼を見つめる。青い練(ね)りようかんのような双眸(そうぼう)は静かに澄んで何らの冒険的の閃(ひらめき)を示さない。紅薔薇(ウインターローズ)のような頬には、何ら羞恥(はにかみ)の色が見えぬ。顔全体に何ら動揺したような様子もない。どうも女らしからぬ心理状態をのぞいたような気がする。

言問(こととい)に行って団子が出る以上は、江ノ島に行って貝細工を売りつけられる以上は、梯子段(はしごだん)を上るときは男の手にわが手を託(たく)すべきであるという論理で決意した手の出し方である。そういう顔をしている。「降るアメリカに……」とかなんとか、いきどおってなげいて自刃(じじん)した日本の娘に比べると、大変な差異(ちがい)である。このように腹の中で東西の婦人の心性比較論をしていると、すぐ耳元でグッドルームと言う。

見れば、一同は海図室の前に集(たか)っている。進んで士官のサルーンをのぞいては「プリティ」といい、無線電信室を見ては「フィックスドアップ(整理されている)」という。尻がむずむずして薄気味がわるい。

機関室(エンジンルーム)の前に来たとき、見るつもりかとたずねる。例の危なそうな鉄格子や、いかめしい鉄バシゴをみて、しきりにかかとの高い靴や白い長いスカートを気づかっているようだ。気をきかして、婦人(レディー)の入る場所ではないと言えば、しかしクリーンであると言う。眉をひそめながら、口で笑うという、ちょっと日本人には真似のできない矛盾した表情を巧みにやってのける。

連れのヒョロ長い大男が、金巻のハバナたばこを出して、吸えと言う。タバコはきらいだと答える。酒は飲むかと言う。頭(かしら)を横に振ってみせる。「よい習慣だ」と、くる。誠にもってやりきれない。何と言ってもほめる。どうやら世辞(せじ)しばりになりそうである。たぶらかされるものかと、ちょっと深刻な顔(グレイブ・フェイス)をしてみせる。が、そんなことではへこみそうもない。「君の制服(ユニフォーム)は具合よく(カンファタブル)見える」には参った。三等羅紗(らしゃ)十五円の冬服は、思わぬ知遇を感じたか、うららかな午後の日光に照らされて、ユラユラとのどかな陽炎(かげろう)を吐きながら、やや黒光りする。

最後に上甲板に出たとき、いきなり落花生の袋のようなダブダブしたズボンのポケットに毛むくじゃらの手を突っこみ、二十五セントの銀貨をとりだして、無造作に握らせようとする。少なからずシャクにさわる。「日本人は清廉(せいれん)の君子(くんし)である」とか、「お金は人心を俗化し、詩歌(しいか)の醇境(じゅんきょう)を蹂躙(じゅうりん)する厄介な物である」などと説明し納得させたいが、自分の腕前では、あいにくそんなむずかしいことは言えそうもない。しかたなく、簡単に「わが練習学生はこのような厚意を辞退すべき苦しい立場にいる」とやる。

「グッドボーイズ」と景気よく返事だけはするが、目に表れた疑問のひらめきは明らかに、おのが労力に対する報酬をこともなげに捨てて顧(かえ)みない、不思議な小人国の民の心理状態をいぶかしむような心の乱れを示している。

かくて、約半時間のお世辞しばりの後、この厄介きわまる連中は、惜しげもなく、完全なアメリカ人の考え方についての黙示(ヒント)を与えて、タラップを下りていった。ガソリンエンジンのボートに乗り移ったとおぼしきころ、グッドバイと、さらし飴(あめ)が南風に吹かれたような調子の甘ったるい別辞(フェアウェル)が聞こえた。

その晩、舷窓(スカットル)を通してはるかに水に映ずる黄や青のキネオラマ*1のような灯影(とうえい)をながめながら、温かいボンク(寝床)に横たわったとき、次のようなことを考えて、今日の西洋人の所作と、新聞や雑誌に現れたヤンキーの性格と、前回のサンピドロ航海の際における観察とを総合して、想像力と理解力と、牽強(こじつけ)学との濾器(フィルター)を通して、アメリカ人(アンクルサム)の観念は、おおよそ次のように五つに分けることができると思った。

*1: キネオラマ - 明治時代に流行した、小さな人工物の風景などに巧みに光を当てて楽しませた興行物。

第一は、表情と愛嬌が豊かで卓抜した人と人との交際についての観念である。これは今までの説明でほぼ説明できたつもりである。

第二は、各個人の権利義務を重視する自己中心主義によって、容易にその権威を無視する国家というものについての観念である。

第三は、ミス時代とミセス時代とによって、社会道徳が豹変(ひょうへん)するその家庭的観念である。

第四は、殊勝にも、世界はみな同胞(どうほう)、人種平等をモットーとする、その宗教的観念である。

第五は、夫婦間においてさえも出納会計を区別するという、その商業的観念である。

この厄介な五つの、それぞれ独立し、ときとして矛盾したもろもろの観念を包含(ほうがん)し、巧みに時と場合に応じて、それぞれに使い分けるヤンキーは、たしかにジャグラー操一(そういち)*2くらいの技量はあるとほめてやるべきである。

*2: ジャグラー操一 - 明治期に縄抜けなどの演目が人気を博した奇術師(1858年~1924年)で、欧米にも巡業した。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 44:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第44回)

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ここでは、三人のイギリス人が蒸気船を待っていた。スイスまで釣りをしに来たのだ。釣りや狩猟と旅行は、ぼくの経験からすれば、どっちを優先するかを決めておかなければ、あぶはち取らずになってしまう。かつてノルウェーのヴォッセヴァンゲンの町で、何時間も馬車を待っていたときのことを思い出す。待ち時間の間、ぼくは手頃な杖に釣り針に見立てたピンをつけて三匹のマスを釣った。これはこれで面白かった。一方、ぼくの連れは暇を持てあまし、石の上に置いたぼくのグレンガリー帽*1を拳銃で撃ったりしていた。

*1: グレンガリー帽 - スコットランドの、縁なしの、フェルトやウール製の軍帽。

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現代語訳『海のロマンス』30:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第30回)


手紙とみかん

オイスター湾の牡蠣(かき)の味と船乗り生活とは一生涯忘れられない、という説がある。さもありなん。乞食(こじき)も三日すればやめられないということがあるからなあ、などと茶化すものは、一度でも永い永い空と海しかない長距離航海の後の手紙と漬物との味を知るがよかろう。

もうあと二、三日でポイント・ロマの灯台が見られるという頃から、室(へや)の空気はにわかに色めきたって、朝晩の話という話の中心はみな、上記二つのものに帰着してしまう。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 43:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第43回)


湖の行きどまり付近で、射撃の標的がずらっと並んだところに出くわした。そこでは、スイス人たちが短い距離からの射撃を行っていた。的を狙うためにレンズや架台、腕につけるストラップやヘアートリガーなどを備えていたが、そのすべてが安っぽくて、カバーまでつけてある。こういう仕掛けの扱いには熟達しているようだが、そうしたものを装着していることで、結局はオモチャの銃のように見えるし、ベルギーやフランスで見るような石弓からさほど進歩しているとも思えない。ベルギーやフランスでは、男たちは柱に固定した詰め物のコマドリを標的にして集まってくるが、的は撃たず、休憩と称してはビールを飲むのだ。 続きを読む