第9章
ハワイから南太平洋へ
サンドイッチ諸島(ハワイ諸島の旧称)からタヒチへ ── 貿易風にさからうことなるこの航海は過酷だ。捕鯨船の連中などは、サンドイッチ諸島からタヒチへ向かうというコース選定には懐疑的だった。ブルース船長は、目的地に向かう前に、まず風が吹き出しているところまで北よりに進むべきだと述べている。船長が一八三七年十一月に航海したときには、南下する際に赤道付近で風が変化することはなく、なんとか東に向かおうとしたが、どうしてもできなかった。
南太平洋を帆走で周航するコースの選定については、そう言われているし、それが定説になっている。疲れた航海者にとって、この長い航海でこれ以上に役立つ助言はない。ハワイから、タヒチよりさらに八百海里ほど北東にあるマルケサス諸島までの航海についても同じことが言えるが、条件はさらに悪くなる。そういうコース選定が推奨されない理由として、ぼくは風上に向かう航海が続くと船も人も疲弊してしまうからだと思っているが、これは本当に大変なことなのだ。だが、無理だと言われて尻尾を巻くようなスナーク号ではない ── というより、ぼくらは出発するまで、帆走でのコース選定についての指南書をほとんど読んだことがなかったのだ。十月七日にハワイのヒロを出帆し、十二月六日にマルケサス諸島のヌク・ヒバ島に着いた。カラスが飛ぶように一直線に行けば二千海里の距離だが、実際には到着するまでに四千海里以上を走破した。二点間の最短距離が直線とは限らないということが、今回も証明されたわけだ。ダイレクトにマルケサス諸島を目指していたら、五、六千海里も帆走することになっていたかもしれない。
ぼくらが決意していたことが一つあった。それは、西経百三十度より西で赤道をこえるようなことは決してしない、ということだ。その地点より西で赤道をこえてしまうと、南東貿易風のためにマルケサス諸島の風下側に流されてしまう。どんなに頑張っても、そこから風上にのぼっていくのはむずかしい。また、赤道海流もあなどれない。場所によっては、一日に十二海里から七十五海里もの速さで西に流れているのだ。目的地の風下に流されてしまうと、この海流が牙をむいてくるので、にっちもさっちもいかなくなってしまう。だから、西経百三十度より西で赤道をこえるわけにはいかないのだ。とはいえ、南東貿易風は赤道の五、六度北あたりからあるとも予測されているため(つまり、そのあたりで南東か南南東の風が吹いているとすれば、ぼくらは南南西に向かわざるをえなくなるので)、赤道の北側ですでに南東貿易風が吹いているのであれば、少なくとも西経百二十八度に達するまでは東に向かう必要があるのだ。*1
ぼくは、七十馬力のガソリンエンジンが例によって動かないと言うのを忘れていた。だから、風に頼るしかないのだ。進水時のエンジンも動かなかった。エンジンの話をすれば、照明や扇風機、ポンプを動かすはずだった五馬力のエンジンも故障していた。ぼくの脳裏には、魅力的な本のタイトルがちらついている。いつかそれにまつわる本を書き、『三台のガソリンエンジンと妻一人との世界一周』と題するのだ。とはいえ、そんな本を書くことはないだろうとは思う。というのは、スナーク号のエンジンで骨を折ってくれたサンフランシスコやホノルル、ヒロの若い紳士諸君の気分を害するおそれがあるからね。
机上のプランとしては簡単そうだ。現在、ぼくらはヒロにいて、目的地は西経百二十八度だ。北東貿易風が吹いているため、二点間を結ぶ直線を進むことができるだろうし、強いて風上ぎりぎりに船をのぼらせることもあるまい。しかし、貿易風で大きな問題の一つは、その風がどこから吹きはじめ、どの方向に吹いているのかがわからない、ということだ。ぼくらはヒロの港を出てすぐに北東貿易風をつかまえたが、この風は頼りなくてすぐに東よりになってしまった。おまけに、大河のように西に向かって力強く流れている北赤道海流があった。小さな船で逆風と逆波を乗りこえて風上に進もうとしても、いくらも進めない。帆をすべてピンと張りつめ、風下側に傾き、波にたたきつけられ、波しぶきをあげながらも、何とか進もうとする。それを繰り返す。船が進みはじめたと思っても、すぐに山のような波におそわれて止まってしまう。スナーク号は小さいので、貿易風や強力な赤道海流に逆らって東進しようとしても、どうしても南よりにしか進めない。真南に向かうことだけは避けたが、日ごとに東に進める距離が減ってきた。十月十一日は東に四十海里進んだが、十月十二日は十五海里になり、十三日はゼロだった。帆走してはいるのだが、経度上は東にはまったく進めていない。十月十四日、三十海里、十月十五日、二十三海里。十月十六日、十一海里。十月十七日になると西の方向に四海里押し戻されてしまう。といった調子で、一週間に百十五海里だけ東に進んだのだが、平均すると一日に十六海里になる。ヒロから西経百二十八度までは経度で二十七度、距離に換算すると約千六百海里もあるのだ*2。一日に十六海里のペースだと、この距離を走破するのに百日かかってしまう。しかも、ぼくらの目的としている西経百二十八度は、北緯五度での話だ。マルケサス諸島のヌクヒバ島は南緯九度で、それよりさらに十二度も西にあるのだ!*3
人食いザメ
[訳注]
*1 太平洋の一般的な海流・貿易風(図は、クリックすると拡大)
海流や貿易風は、強さ/速さや位置を含めて、ほぼ安定しているが、常に同じというわけではなく、局地的にみると変動している。
赤道付近では北側で北東貿易風、南側で南東貿易風が卓越し、それにはさまれたところは両者が収束するように見えるところから熱帯収束帯(低圧帯)とされ、一般に風が弱く、赤道無風帯(ドルドラム)としてヨット航海記にも出てくることがある。季節によって太陽の位置が変わると、この収束帯も南北に移動する。
*2 地球はほぼ球体なので60進法(度・分・秒)と相性がよく、距離の1海里(1852m)はほぼ60の倍数なので、船上での計算では、キロメートルより海里の方が直感的にわかりやすい(船酔い気味の頭でも「比較的」楽に計算できる)。覚えておくと便利なのは、
経度15度 = 時差1時間
赤道での経度1度の距離 = 60海里
速度1ノット = 1時間に1海里進む(= 時速1.8キロ)
風速(時速)1ノット = 風速(毎秒)0.5メートル
*3 風と海流は、ヨットによる外洋航海に大きく影響する。
日本でヨットといえば「太平洋横断」が頭に浮かぶが、これは日本からアメリカへ行くよりも、逆にアメリカから日本に来る方がずっと早いし楽だとされている。
というのは、北米大陸西岸の港を出てから南下し、ほぼ東から西に吹いている北東貿易風帯に入ってしまえば、風速七、八メートル~十メートルの安定した追い風で日本近海まで来ることができるからだ。
おまけに北赤道海流も東から西に流れているので(台風や嵐に遭遇した場合は別として)、ある意味、動く歩道に乗っているようなものかもしれない。
逆に、日本から出発する場合、風向や風速にむらがあり、なかなか安定した風にめぐまれず、黒潮を利用して距離を稼いでも、そのままだと北上しすぎて低気圧の墓場といわれる北太平洋まで持っていかれかねない、、、
ヨットは、原則として、風下方向には自由にコースを選んで帆走できるが、風の吹いてくる方向(風上)にはダイレクトに進むことができないため、ジグザグにタッキングしながら(帆船風にいうと「間切り」ながら)進むことになる。その角度は一般には45度とされている。この角度でジグザグに帆走したとすれば、三平方の定理を使った計算で、帆走距離は約1.4倍になる──というように、セーリングにはベクトルや三角比の初歩的な計算がついてまわる。
いまどきのレース艇は30度くらいまでは上れるが、それにつれて速度が落ちてくるため、スピードと角度のどちらを優先するかは悩ましい問題になる。とはいえ、スナーク号は船型や艤装から推すと、風上への上り性能はせいぜい50度くらいだろうから、本文にもあるように、貿易風にさからって東に向かうのは簡単ではない。にもかかわらず、風下の島に目的地を変更せず、意固地に東へ東へと向かうところがジャック・ロンドンらしいといえばいえる。
「ばっかじゃねえの」という人もいるかもしれないが、そもそも人間とは、ばかなこと、むだなことをする生き物なのだ。