スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (32)

ラフェールでのさんざんな記憶

その日のほとんどは、モイですごした。というのも、ぼくらはのんびりと物思いにふけったりするのが好きだったし、舟で一日に航海する距離をのばすのは好きではなく、朝早く出発するのもいやだった。おまけに、ここはゆっくりしていきなさいといわんばかりの土地だった。凝った狩猟服に身を包んだ人々が銃や獲物袋を抱えて城から出てくる。こういう快楽を追い求める上品な連中が朝から精を出している一方で、自分たちだけは残ってのんびりするということ自体が楽しかった。こうして気持ちにゆとりがあれば、だれもが貴族のような気分になれるし、侯爵のなかの公爵、さらに公爵を支配者する君主を演じることもできるわけだ。沈着冷静な態度は辛抱強さから生まれる。落ち着いた心というものは当惑させられたり驚かせられたりすることがなく、雷雨のさなかにも幸運や不運に一喜一憂せず、時計のように自分のペースでやっていくことになる。

その日は近場のラフェールまでにした。薄暗くなりかけていたし、舟をしまう前に小雨が降り出したからだ。ラフェールは平原にある軍事要塞化された町で、城壁が二重に張り巡らされている。最初の城壁と二番目の城壁の間には荒れ地と畑があった。道ばたには、あちこちに軍隊名で立ち入り禁止の札が立っていた。二列目の城門まで来ると、やっと町が姿を現した。窓に明かりがともっているとうれしくなるし、煮炊きの煙も漂ってきた。町には仏軍の秋の軍事演習に参加している予備兵がおおぜいいて、彼らはいかめしいコート姿で足早に歩いていた。室内で食事をしながら、窓に当たる雨音を聞いたりするのは、夜のすごし方としては最高だろう。

ラフェールには豪華な宿が一軒あると聞いていたので、シガレット号の相棒とぼくは互いにそうした幸運をわかちあえる喜びにわくわくしていた。どこもかしこもポプラだらけの田舎で雨宿りする家もない人々に雨が降り続く! その一方で、ぼくらはそんなところで夕食を食べられるのだ! そんなところで眠りにつくことができるのだ! ぼくらの胸は期待でふくらんだ。その宿屋には森の生き物の名前がついていた。アカシカだったか牡鹿か雌鹿だったか、もう忘れてしまった。だが、近づくにつれて、そこがとても大きく、とても居心地がよさそうに見えてきたのは覚えている。エントランスは明るかった。専用の照明があるわけではなく、建物のあちこちにある暖炉やろうそくの光が漏れてきて、それほど明るくなっているのだった。皿がカチャカチャいう音が聞こえた。長大なテーブルクロスが見えた。厨房は鍛冶場のように赤く燃えさかり、いろんな食べ物のにおいが漂っている。

厨房というものは宿屋の光り輝く最奥の心臓部であって、いろんな炉が燃えさかり、棚にはずらりと皿が並んでいる。そこへ、くたびれたゴム製の袋を抱え、ぼろぼろの服を着たゴミ拾いのような格好をした二人連れ、つまり、ぼくらが意気揚々と入っていくところを想像してみてほしい。ぼくはそういう輝かしい厨房が見られると思っていたのだが、白いコック帽の連中が大勢ひしめいていて、そのだれもが片手鍋から目を離してぼくらを振り返り、驚いているのだった。女将が誰かはすぐにわかった。彼女は部下に指図していたが、顔を紅潮させ、何かに怒っているようで、とにかくせわしない女性だった。ぼくは彼女に対して丁寧に――シガレット号の相棒によれば丁寧すぎるほどに――泊めていただけますかと聞いた。彼女は冷たい目で、ぼくらの頭からつま先までじっと見て品定めをした。

「宿なら町外れにあるでしょうよ」と、彼女はこたえた。「うちは忙しくて、あんたたちにかまってる暇はないの」

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