ジョン・マクレガー著
現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第23回)
翌朝も六時には、この少年たちは期待にわくわくしながら集まってきた。通学用のカバンを背負った少年たちは、登校時間になる前に出発することはなさそうだとわかると、ひどくがっかりした様子をしていた。
その代わりに、大人たちがやって来た。橋のところに集まって近づいてくる。ぼくとしては、カヌーについていつもよく聞かれる質問にも精一杯答えようとしていたのだが、ある男性が丁重な言葉使いで出発を五分だけ遅らせてくれないか頼んできた。というのも、その人の父親である老人は寝たきりなのだが、どうしてもカヌーを見たいと願っているそうなのだ。こういう場合、人に喜んでもらったり子供たちが大喜びしてくれると、こっちまで嬉しくなるのが常だし、ぼく自身も子供の頃に一隻のカヌーがどれほど自分を喜ばせてくれたかを思い出したりした。敬愛すべき母親のような、ふくよかな女性たちが興味津々でながめていたりするのに、そうした微笑や興味に対してそっけない態度をとることができるわけがない。
ぼくが出発しようとしているこの場所はドナウ川の主流ではなく、町の中を流れている細い支流の一つだった。というのも、他の流れには途中に水車用の堰(せき)があって、それを超えなければならないのだ。(前回に)掲載した木版画は出立地点の様子を示しているのだが、他の町でもあれくらいの群衆が集まってきていた。だが、絵では叫び声や喧騒といったものや、朝にカヌーを漕ぎ出そうとするときの祝砲や鐘の音を再現することはできない。
この日の航海では心楽しくなる光景が続いたが、それは英国にあるワイ川*1のロスからチェプストウにかけての最良の部分の景色を思い出させるものだった。そこでは白い岩肌が連続し、黒っぽく見える森もあり、ティンターン付近では洞窟やけわしい岩山、突き出た峰々にも遭遇したものだ。だが、ワイ川にはドナウ川で見かけるような島はなかったし、満潮時は泥まじりの濁流が押し寄せてきて、潮が引くと土手は泥だらけでもっとひどく状態になったりもした。
美しいドナウ川の島々は、大きさも形もさまざまだった。低くて平らな中洲もあれば、低木が繁茂した島や、先端部がとがっている、ごつごつとした岩だらけのところもあった。川底からは新鮮で透明な水が湧き出ていた。
ほとんど休む間もなく新しい景色が出現し、壮大な景色を眺める最良の地点にカヌーを確保しようと流れに逆らって漕ぐこともしばしばだった。切り立ったすばらしい岩壁が両側に高くそびえていたり、自由と体を動かす喜びに歓声をあげるカヌーイストの叫び声が、深い森の中でこだましたりするのだった。
とはいえ、すてきな景色が連続し、どんなに爽快な気分でいたとしても、空腹には耐えられないので、川沿いにあるフリーディンゲンという村に上陸することにした。だが、そこには、カヌーを置いておける場所がなかった。近くに宿屋がないため、朝食を食べに行っている間、カヌーを見張っていてくれる人が見つからないのだ。結局は一人の石工が手を貸してくれて、カヌーをロバの厩舎に運び入れ、少年が一番いい宿まで案内してくれることになった。ところが案内されたところは、一軒目も二軒目も三軒目もすべてビヤホールだった。そういうところでは、飲み物といえばビールしかない。しかも、その都度、人だかりが増えてくる。もう結構と、彼をお役御免にして、空腹な人間の本能の導くまま、自分で食事処を探すことにした。そうして、やっと見つけた場所にも、すぐに物見高い人だかりができた。ぼくが荷物と一緒に持参していた独英辞典には誰もが興味を示し、店内に入れず外にいた連中のところまでも何度か行き来していた。
脚注
*1: ワイ川 - 英国で五番目に長い川(全長215km)で、一部はウェールズとイングランドの境界になっている。英国では最も自然が残されている川の一つとされる。
原注
マリーは「(フランスに源流がありベルギー、オランダを経由して北海にそそぐ)ムーズ(マース)川をイギリスのワイ川と比べると、前者は後者よりずっとロマンティックだ」と述べている。ぼくのランキングでは、興味深い景色という点で、ワイ川はドナウ川よりずっと下だが、ムーズ川よりは上だと思う。