現代語訳『海のロマンス』43:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第43回)
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闘牛見物(その二)

闘牛場の開場は三時とのことである。それではと、一同メキシコ料理で腹ごしらえをする。舌を刺すような辛辣(しんらつ)な怪味(かいみ)に、長い間の海上生活で缶詰ばかり食べていた腹が驚いている。

直径三十間(けん)の場面(シアター)をまわって三尺の幅を持つ観覧席(スタンド)が数層の同心円をなして階段を作り、十間(けん)の空にそびえているというのが、闘牛場の概観である。ゆるやかに隣の娘のボンネットを吹く南風の絶え間絶え間に、風車ののんびりした平和な響きが聞こえて、青い空を背景(バック)にヘビとワシのメキシコ国旗がひらひらとなびいたとき、観覧席台(スタンド)の中ほどにあったコロナド・バンドが急に演奏をし始め、まさに来たるべき痛快味と残酷性とを甘受すべく期待した群衆は、靴音高くこの人々の心を先導するマーチに合唱(あわ)せながら「進め敵地へ!」と歌っている。

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現代語訳『海のロマンス』42:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第42回)
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闘牛見物(その一)

九月十四日正午、前回のサン・ペドロへの航海で大変なご厄介をかけた佐野氏とその友人の福島氏とが二百二十五浬(マイル)の道を遠しとせず、わざわざロサンゼルスから南下して来て、明日、メキシコのティファナ市の闘牛(ブルファイト)にご招待しようという。

故国(くに)を出るときから、アメリカはかのパトリック・ヘンリーの有名なる自由独立の大演説*1より以来、遠慮や辞退はすべきではないという国柄(くにがら)だと聞く。思わせぶりや、うわべだけの遠慮は百二十年の昔に振り捨てて、今はいちずに直情径行(ちょくじょうけいこう)の道にいそしむ国民だと聞く。その国へ来て、かかる国民に接する現今(いま)は、たとえ相手が在留邦人であろうが、小笠原流の挨拶(あいさつ)や遠州流の作法では肝胆(かんたん)相照(あいて)らすわけにはゆくまいと考えた。そこでさっそく、かたじけない御意の変わらぬうちにと、委細合点、ありがたし、かたじけなしとお受けしてしまった。

*1: パトリック・ヘンリー(1736年~1799年)は米国の弁護士で政治家。雄弁で勝訴率の高いことでも知られた。
イギリスのアメリカ支配に抵抗し──やがては独立戦争へとつながっていく──「私に自由を与えよ、さもなくば死を!」と結んだ演説が広く知られている。

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