米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第156回)
十、南洋の思い出
九月二十二日にコーリング・ワーフに横着けし、きたるべき大汽走航海の準備として約二〇〇トンの石炭を積みこんだ練習船は、九月二十四日の満潮時に、この紫山緑水(しざんりょくすい)の美島(びとう)を辞(じ)した。
午後四時ともなれば、きまったように必ず青く茂った山から吹き下ろしてくる涼しい陸軟風(りくなんぷう)、豊かな広々とした湾水(わんすい)を美しく染めるしんみりした暖かい港の灯(ともしび)や、馬車の燈(あかり)など、アンボイナのなつかしい情趣的印象。
のみならず、「南洋の島」の回想には、いろいろの面白い滑稽(こっけい)なことがある。
ビマで古シャツ一枚と刀一本、手ぬぐい一本と槍(やり)一筋(ひとすじ)などという値段で物々交換をした翌日、上陸してみると、今までの黒い裸体の上に、きれいさっぱりと洗い流した上着やシャツを得意気(とくいげ)に、羽織(はお)ったにわかこしらえの「文明人」が威風堂々と小さな草葺(くさぶ)きの家から出てくる。当人のつもりでは、スンバワ島第一のハイカラ、第一の先覚者をもって任じているらしい。明治初年に、ネクタイもつけずフロックコートを着て威張っていた大臣(だいじん)や参議(さんぎ)の連中と同工異曲(どうこういきょく)の、得意満面の心持ちでいるのだろう。 続きを読む