現代語訳『海のロマンス』112:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第112回)

荷物倉のカメ

昔、武士(さむらい)という軽佻(けいちょう)にして、しごく簡単なる脳みそを所有し、ただひたすらに威張(いば)りたがった人種が、辻や横町で「町人斬り」という、その気まぐれな道楽をするときの引導とやらの文句に、武士(ぶし)ともあろうものの直々(じきじき)の成敗(せいばい)を受けるとは、汝(そち)はよほどの果報者(かほうもの)じゃわい……この可内(べくない)様の情(なさ)けの刃(やいば)にありがたく成仏(じょうぶつ)せい云々(うんぬん)というのがあります。

その可内(べくない)君の論法でゆくと、ケープタウンで練習船大成丸の客分となる光栄を強制的に負わせられたシカやカメレオンや私――カメ――は、よほどの果報者であるに違いありません。百二十五名もの二十世紀の可内(べくない)君は、今にも「情(なさ)けの誘拐(かどわかし)に、ありがたく成仏(じょうぶつ)しろ」と来るに違いありません。

先方(むこう)が先方ならこっちもこっちです――しゃれでも対句でもありません。いきおい洗いざらい大成丸(ふね)の秘事(ないしょごと)をぶちまけるまでです。そうしたら第一に困るのは士官と学生とでありましょう。そして泣き顔をして、貴様はひどい奴だ、まるで虚(きょ)に吠(ほ)える闘犬の類(たぐい)だと言うでありましょう。犬と軽蔑(さげすま)されるのは心外であります。犬とウサギは生まれながらにして自分には性の合わないものであります。

そこで、世渡りの上手な私は直覚的に、この際、すっぱ抜きはあまり為(ため)にならんと悟(さと)りました。しかし、なぜ今、私がこんな荷物倉庫(バッゲージ)の隅に小さくなっているかは是非(ぜひ)ともここで弁じておかなくてはならないと思います。 続きを読む