ジョン・マクレガー著
現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第72回)
ここでまた洗濯女たちのことに話を戻したい。というのは、イギリスの川には、こういった岸辺に設置された浮桟橋の洗濯場などはないのだが、ヨーロッパ大陸の河をカヌーで下っていると頻繁に出くわす。
ヨーロッパの東の方にある国々ではよく知られているが、噂というものはこういうところから広がっていくのだ。季節がもう少し寒くなると、それが床屋に移動し、そこでさかんに政治談議がかわされたりする。というわけで、川の近くでは洗濯用の浮桟橋が女性たちの社交の場になっている。
川を下っていて集落が近くなると、その集落がどんなところか気になるが、川辺に設置された洗濯用の浮桟橋の規模や装飾で大体の見当がつく。一か所に五十人もの女たちがずらっと並んで洗い物をしているところも珍しくない。洗濯場で洗い物をしている女たちを見れば、その土地の女性たちの様子がわかる。彼女たちは洗い物をしながらおしゃべりに興じ、話をしながらも手を休めず洗い物をたたいたりこすったりしている。周囲に気を配っている者もいて、カヌーで通りかかったりすれば見のがされることはまずない。
集落が小さくて専用の浮桟橋がないようなところでは、女たちは岸辺にしゃがんで作業をしている。カヌーの方でも、かなり遠くから彼女たちを見つけることができる。川が曲がっていて先の様子が見えなくても、バシャッ、バシャッという単調な音が聞こえてくると、きまって二、三人の女たちが洗濯をしていたりした。地味な格好をした中年の婦人たちだ。顔は日に焼け、帽子をかぶり、「下着」をしぼったり、たたいたり、ごしごし洗ったりしている。生地がいたむのではと気になるほど、激しくやっている。まあ、それ自体はフランスの繊維業界にとって歓迎すべきことなのかもしれない。ぼくのシャツは丈夫な毛織物なので、こんな風に乱暴に扱われても大丈夫だとは思う。
そういう洗濯をしている婦人たちを見かけると、ぼくはいつも声をかけるようにしている。帽子をとり、陸上で出会ったときの挨拶と同じ要領で左足を引く。とはいえ、カッパを着ていたりするので、せっかくの優美な姿勢をきどっても相手に見えることはないのだが。川を旅していて、こういう洗い場になっている浮桟橋を見かけたら、ちょっと立ち寄って五分でも話をしてみるといい。何か貴重な情報が得られたりする──かもしれない。そうしなさいよという助言ではないが、大勢の人と一か所で出会うということ自体、いろんな人がいるなあと人間観察ができたりして面白いのだ。新しい景色を見たり、外国語の元気なおしゃべりを聞いたり、やさしい言葉をかけてもらったりする。苦労しながらカヌーを漕いでいる者にとって、そういう歯に衣を着せない母親みたいな婦人たちと知りあって話をするのは、しんどい思いをしているときのいい気分転換にもなる。
人に喜んでもららうというのは、旅行する者にとって最上の楽しみの一つである。それに、こういう川下りで、まったく一人ぼっちの旅だとしても、誰かを楽しませたり相手から楽しませてもらったりしている間はさびしさを感じることもない。同国人同士二人で外国を旅をしても一週間は仲良くやっていけるだろう。が、それで人生について多くを学ぶということにはなりにくい。一人ぼっちで異邦人に取り囲まれ、人見知りして相手を避けるわけにはいかず、といって母国や自分の自慢話をするわけにもいかない。何も見落とさないよう目を見開き、耳をすまし、とつとつとではあっても自分の言葉で語れば、団体で旅をするときとは相手の対応が違ってくるのがわかるだろう。「すべてのイギリス人が島である」*1という警句にも例外があると感じるはずだ。
*1: ドイツの作家ノヴァーリスの言葉。正確には、「イングランドだけでなく、すべてのイギリス人が島である。」
気分転換を兼ねて、どこかで朝食を食べよう思った。で、水車小屋に続くと思われる長い水路に漕ぎ入れてみた。水路はカヌーを浮かべたまま、干し草畑の間を曲がりくねりながら音もなく流れていく。いつしか本流から遠く離れ、灌漑用の小川のようになった。水深も一インチほどしかない。このまま行き止まりかと思った。が、そこからまた流れは力強さをとり戻し、草地の間を早いペースで流れていく。ときどき出会う田舎の人に会釈したりしていると、川沿いの土手を十二歳くらいのかわいい男の子が小走りでついてくる。ぼくは声をかけた。「君って信用できる?」 相手は顔を赤らめて「うん」と答えた。「じゃあ、ここに一フランあるんだけど、これでパンとワインを買ってきてくれないかな。あの水車小屋のところでまた会おうよ」
水車小屋で作業している人たちはすぐにカヌーを見つけて係留させてくれた。予想した通りだ。カヌーを降りて木陰で休んでいると、ぞくぞくと人が集まってくる。うれしそうに大きな声を出して、珍しい闖入者(ちんにゅうしゃ)を一目見ようと押しよせてくる。例の男の子は、ワインの大ビンと大量のパンを運んできてくれた。四人分はありそうだ。朝からずっとカヌーを漕いでいて腹ペコだったので、夢中で食べた。大勢の人が集まっていたが、誰も話しかけて邪魔をする者はいなかった。やがて一人の女性が自分の家に来ないかと誘ってくれた。その家ではおいしそうな料理がテーブルに並べられた。その部屋もすぐに人で一杯になった。一度に五十人ほどが入れ替わり立ち替わり見物にくるのだ。皆、ニコニコしていて、礼儀は守っている。
とはいえ、その場所はとにかく暑かったし、なにかとせわしなかった。どこか他のところ、誰もついて来られないような中洲にでも移動し、一人でのんびり食事を楽しみたいと思った。群衆をかきわけて進むのは、軍隊の演習でも基本中の基本だ。それで、カヌーで草地を通り抜ける際の見張り役の「警官」として、一番やんちゃそうな四人の少年を指名した。ところが、彼らはこの任務に大張り切りで強権を発揮したりしたものだから、小さい子供が二人もカヌーの上に押し倒されたりした。そんなこんなで、ぼくはなんとかカヌーに乗りこみ、その場所を離れた。紡績工場の女工さんたちが大声でカヌーに声援を送ってくれる。工場長とおぼしきおっさんが仕事に戻れと必死に怒鳴っているが、作業する手を休められるのだから誰も耳を貸さない。
この原稿を書いていると、その様子を思い出して笑いがとまらなかった。で、読み返してみると、暗い十二月の夜みたいにしんみりすることもあった。ヨーロッパの恵まれているとはいえない子供たち。笑ったり、叫んだり、歌ったり、怒ったり。いろんな国のペテン師やいたずらっ子、いろいろ楽しませてくれた人々。ぼくは君たち──かわいくて、ちょっとおバカなフランスのことを、少しはずかしく感じつつも誇らしく思っている。