現代語訳『海のロマンス』85:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第85回)

ケープタウン雑記
一、博物館

すこぶる古色を帯(お)びた大小さまざまな石塊(いしころ)の表面に、かすれた横文字の跡が、かすかに、かすかに匂(にお)っている。インスクライブド・ストーンといって石に文字を刻んだもので、昔、テーブル湾を訪れた船が記念として書き残していったものだという。突拍子(とっぴょうし)もない気まぐれな事柄(ことがら)について、つじつまの合う連想を加える癖のあるぼくは、このときどこかに「美しいビクトリア、ときにはそのかわいらしい口元であどけないくしゃみをしておくれ」といった風な文句がありはしないかと夢や幻を探すように見まわした。が、事実は冷淡にして無愛想であって、そんな空頼(からだの)みはよせよせと忠告されて、従順(すなお)に左側の部屋へと入りこんだ。暑い夏の午後の光線(ひかり)は南アフリカ博物館の年とった玄関番の顔を残酷に照らしている。

向かいの部屋で盛装した二人の婦人(レディ)が日頃のたしなみをすっかり忘却したという体(てい)で、腰をまげてキャッキャと笑っている。重要な用件がある風を装って海産物を陳列した部屋を急ぎ足に通り抜けて先へ行ってみると、ズールー、ブッシュ等のアフリカ原住民の身体やその習性・風俗を示す器具などが配列されている室内の一隅に、かつて地理の先生から聞いたアフリカ最古の住民といわれるコイコイ人の女性が六体ほど安置されていた*。二階にはマンモスやシマウマやムースの大きな剥製(はくせい)の獣(けもの)が並べてあったが、直径六寸(約十五センチ)を超える大きな二本の角を持った犀(さい)はちょっとうらやましかった。

* 原文には身体的特徴についても述べられていますが、現代の基準に照らして割愛しました。

帰りがけに金剛石(ダイヤモンド)室をのぞいたら、黒いの白いのとさまざまな小さな石がキチンと台に乗って勢揃(せいぞろ)いをしている。中に「アフリカの星」とかいうエンドウ豆大のやつが王様然と幅をきかせて光っておった。この手で例の貫一*を悩ましたかと思ったら、そういうものとは関わるまいと目をおおってそこそこに退却した。ただ左側の二番目の部屋に「一七三〇年オランダ・インド会社の総督イメリード、これを持ち帰る」とかいう掲示の下に、青銅製の蝶番(ちょうつがい)が見る影もなくさびついた一つの書類箱(キャビネット)が大事そうに置いてあったことが記憶に残っている。

* 貫一: 尾崎紅葉の小説『金色夜叉(こんじきやしゃ)』の主人公。
熱海の海岸での間貫一(はざまかんいち)と富豪に嫁(とつ)ぐお宮とのやりとりは何度も芝居化され、よく知られている。
この作品は大成丸が世界周航に出航する十年ほど前まで読売新聞に連載されていたが、作者死亡により未完となった。

二、美術館

博物館の後方にあるアート・ギャラリーをのぞいてみると、階下は有名な植民地の画家の作品を並べた部屋と、大理石、石膏等の塑像(そぞう)を陳列した部屋とに仕切ってあって、階上の明るい部屋はただ一面に大小色々の額が所狭しと陳列されていた。

ここには博物館のような陽気な見学者は一人もなく、分別くさい顔をした若い男や静寂(しとや)かにふるまう淑女(レディ)の静かな群れが、軽いかかとを静かに青い敷物(カーペット)の上に落としているばかり。

船に帰っての下馬評では「プリウ・ガウン」と題した貴婦人の肖像と「禁じられた果物(フォービドン・フルーツ」というエデンの想像画が最も人気が高かった。

テーブル・マウンテンの中腹にヘンリー・ハッチンソンとウッド・ヘッドという二つの貯水池(リザーバー)がある。堅固な花崗岩(みかげいし)をコンクリートで固めた厚いダムが四方に延び、すこぶる念入りにできている。この貯水池こそケープタウンの十万人の喉(のど)を潤(うるお)し、なお余ったものをボタニカル・ガーデンその他の花畑に供給する水源である。

これらの貯水池では三月から九月にわたる雨季(ウェット・シーズン)に水があふれるほどに蓄えられて、太い鉄管で処理場に送られる。飲用水はそこの処理装置で濾過(ろか)したものを用いるのであるが、いろいろな化学成分が十分に除去できないためか、決して清冽(せいれつ)とか透明とかいう形容詞を冠することはできない。少なくとも、胡椒(こしょう)を振った水くらいには混濁している。

本船でもその水を多少は積み込んだが、気味の悪い赤い色を見ては、喉(のど)の括約筋(かつやくきん)が反射的に飲むのを拒絶するほどの不人望(ふじんぼう)極(きわ)まる種類のもので、やむなくこれを洗濯用に使ったほどであった。ケープタウンに住む人々もこれにはさぞかし苦しんでいるだろうと想像したのであるが、あるいは案外に平気かもしれない。今頃は先生たち、「必要は発明の母であって、なんでも臨機応変(りんきおうへん)に対応しなけりゃ」とかなんとかと言っているかもしれない。

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