米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第125回)
慈善救済の設備
やれ危ないと思わず心に叫んだときは、もうすでに遅かった。張り子の人形を踏みつぶすように一人の男がペタペタと前輪(くるま)の下にまきこまれて、自動車のドライバーがあわてて飛び降りる様子が、砂塵(すなけむり)もうもうたるなかで遠くかすんで見えた。
電車、馬車、自動車が互いのバンパーをきわどくすれ違わせて激しく往来するキンゼ・ド・ノメムブロの広場(プラサ)である。
時は四月十八日第一上陸日。ファローの埠頭(はと)から浮浪人(ビーチコーマー)の間をすり抜けて一歩進んだ午後の出来事である。
日本で言えば橋梁(きょうりょう)課の技手(ぎしゅ)といった風采(ふうさい)のリオの巡査が、騒がず迫らず悠揚(ゆうよう)と電話ボックスに入ったと思ったら、たちまち一台の救急車(アンブラン)が風を切って駆けつけて来たのには感服した。
感服したのはこれのみならず、当然のことながら加害者であるはずの自動車の運転手が、瀕死(ひんし)の被害者を足下(そくか)に踏みつけたまま平然と車上にそり返っておったことであった。後で聞いた話だが、過失が被害者に存在しうべき状態にあるときは、加害者は治療代さえ支出すれば平然と車上にそり返っていられるそうである。 続きを読む