米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第144回)
スコールと虹
「おい! スコールは、たしか前後に二本の足を持っている、とかいったっけな?」
「うん、いわゆる佐々木氏の説によれば……だ。そうして、後足の方がことに猛烈だそうだ。気まぐれなやつになると、三本も四本もあるとさ」
「へえ! その中央(まんなか)のやつは短いだろう」
「ウフッ……。だれだ、そんな馬鹿なことをいって茶化すやつは……? しかし、足はね、例の黒雲のブラック・スコールに限るらしい」
「それで、今、通過したやつはその前足かな」
「そうだろう……まあ、ちょっと露払(つゆはら)いといった格だね。今に本隊がやってくるよ」
「しかし、それならもう来そうなものだぜ。例の音沙汰(おとさた)もないが、ちょっと他(よそ)へそれたかな」
「ぼくはこう思うね。こいつはきっと、いろんなのがあるんだよ。スコールの変異株だね。かわいそうに後足は自由がきかないのかもしらん」
「……そうすると、スコール仲間の大隈さんか*……アハハハ……道理で鼻息が荒いと思った……」
「そいつはよかった……ハアアッ……」
「ハアアッ……」
* 大隈さん 東京専門学校(後の早稲田大学)を創設し、総理大臣も務めた大隈重信(1838年~1922年)。
外務大臣時代に条約改正をめぐって反対派に爆弾で襲撃され、右大腿骨から下を失った。
たった今、マストもヤードも飛んでいきそうな凶暴なスコールが来たばかりで、それっとばかりに、上(アッパー)トップスルを下ろし、ステイスル*をたたんで、緊張していた胸も興奮した頭も、まだ十分に落ち着いていない五、六人の若い船乗りが、一番のストーン・ポンプの周囲(まわり)に集(たか)って、罪のない話に花を咲かせている。
* ステイはマストを支えるために張られたロープ/ワイヤー(支索)で、それに取りつけた帆をステイスルという。スルはセイル。
連日のシケのおかげで、今日もまた事業学習は中止である。彼らの心情としては、シケでもかまわん、恐ろしくてもかまわん、ただ事業と学習が休みになって、グッスリと熟睡ができて、くだらない馬鹿ッ話ができれば不平はないであろう。スコールの絶対的価値というものは、彼らのように向こう見ずの連中も大いに尊重していると見えて、彼らの一人が記録しているこの頃の日記には、次のように書いてある。 続きを読む