米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第15回)
この歌のように、睡魔におそわれた小島通いの船頭が、今日の泊地の灯を待ちかねて舵柄(ヘルム)をとりながらまどろむ千年前ののどかな瀬戸の海や、頼りない船頭を乗せてどうやらこうやら泊地にたどりつく、扱いやすくて機敏な「よき小舟」などのイメージが色彩豊かにくっきりと自分の頭に思い浮かぶ。しかし、現今(いま)の船乗りはそんなのんきな所作はできない。
練習船では学生百二十五名を四分し、右舷一部、同二部、左舷一部、同二部と称し、この各部三十名の者がかわるがわる夕方の四時から翌日の朝の八時まで、四時間ごとに当直に立つことになっている*1。
四時から八時までを薄暮当直(イブニングウォッチ)、八時から正午を初夜当直(ファーストウォッチ)、正午から四時を中夜当直(ミッドナイトウォッチ)と称し、最後の四時から八時までを黎明当直(モーニングウォッチ)といっている。
終始同じ当直に立っていると単調な船乗り生活(シーマンライフ)をいやが上にも単調にしてしまうので、毎日、モーニングウォッチ──ミッドナイトウォッチ──ファーストウォッチ──イブニングウォッチと、順繰りに交代している。しかも各当直には、それぞれ特徴がある。すなわち、モーニングウォッチの甲板(デッキ)洗い、イブニングウォッチの星の観測などであるが、最もふるっているのは、いわゆる中夜(ミッドナイトウォッチ)夜話(やわ)なるものである。
出帆してまもない頃の人々の夢は確かに故郷の野をさまよっているので、ミッドナイト夜話の話題も多くは故郷に関してである。昔の思い出である。
あるときはローマ、ギリシャの神話(ミソロジー)から、メーテルリンクの象徴主義(シンボリズム)に至るまでが論じられたりもする。冷たい雨が降りしきって甲板(デッキ)を濡らすときは、昔の帆船につきものの伝説や神秘的な話題、やがては到底信じられないような荒唐無稽の怪談に、時の経つのを忘れることもある。また、あるときは例の名物男たる水夫長をひっぱって来て、海上のアルプスと呼ばれるケーブホーンの星月夜のすごく寒い航海談や、ヤシの花から露がしたたり落ち、マンゴーの美果が口に甘いタヒチの楽園のこと、ポピーの紅が野の丘に広がっている春の夕景、重いマンドリンを抱き、しみじみとした歌を披露して金をもらうイタリアの門付(かどつ)けのことなど、どれほど若人(わこうど)の心を躍らせたことだろう。
要するに、中夜(ミッドナイト)の夜話は、帆船のロマンチックな雰囲気を最もよく表している部分だと思う。
脚注
*1: 四時間ごとに順番に当番に立つのは現代の帆船でも同様だが、当番はワッチと呼ぶことが多い。