現代語訳『海のロマンス』115:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第115回)

港口のいかめしい砲台の数々

商港にして軍港を兼ねるリオ港は、これはと思う岬や鼻(小さな突端部)や島には銃眼いかめしい砲台が築かれて、さすがは南米一とうぬぼれる大共和国の国都(こくと)の名に恥ないとうなづかせるほどには厳重でしっかりした装備が整えられている。

四月十六日午前九時、時速八マイルの全速で港口に臨んだ練習船は、右方の岬の先端に構えたる堡塁(ほうるい)の一つと挨拶を交わしながら、極東の新興帝国で戦勝した勢いのまま(大成丸の航海は日露戦争終結から五年後)、胸を張って船尾手すり(タフレイル)上に旭日旗をひるがえした。負けるものかと相手の堡塁(ほうるい)の方も黄色い菱形内に地球をはめた旗を自慢そうに上下した。

Flag of Brazilブラジルの国旗

ところが、堡塁(ほうるい)は港口のいたるところに設けてある様子で、素人のぼくにさえ怪しいとにらみうるところが、シュガーローフ(標高約四百メートルの巨大な奇岩。一般にはパンデアスカルと呼ばれる)の裏手にあるレミの近辺に一、二カ所、ボタファゴの出鼻に二、三カ所、ニトロイ一帯にも一、二カ所はありそうである。

港口に近い湾内の島という島には、この大砲の巣が心得側に跳梁(ちょうりょう)している。そのうちで、練習船の水路に近い大小二つの島は、同じ堡塁(ほうるい)のうちでも確かに毛色の違ったものであった。

港口に近いのはわずかに二町(約二百十八メートル)四方に足らぬ小さな岩礁を平らに切り潰(つぶ)した上に、切り石とコンクリートで亀甲形(タートルシェル)に築きあげた砲台があって、それが外洋に面する方は極めて巧みになめらかな曲率(カーヴァチュア)を持った斜面をなし、一方、内湾に向かった側にはこっそり守備兵が出入しうる通路がある。

何のことはない、一見すると征韓の役(せいかんのえき)に、わが水軍の将、九鬼、藤堂、加藤等を散々に悩ました韓師(かんすい)舜臣(しゅんしん)*の使用した亀甲船**とやらを、はるばる南米三界に回航してきたという図である。

* 舜臣(しゅんしん): 李舜臣(1545年~1598年)は李氏朝鮮の将軍で、文禄・慶長の役で日本軍と戦った。

** 亀甲船(きっこうせん): 舜臣が使用したとされる当時の軍艦の形式。

TurtleShip1795
この亀甲船に相当する堡塁(ほうるい)の屋根の上には、石弓ならぬ八インチの主砲が厳然と据えつけられ、その周囲に二ポンド、三ポンドの速射砲がそれぞれ射程距離や範囲が重ならないように、配置も一直線にならないように、互い違いの千鳥に散らせて配置され、意地悪くこれでも恐れ入らぬか……と威嚇(いかく)している。

しかし、例の地球の旗と、煙管(きせる)の雁首のように突き出している通風管(ベンチレーター)にもたれかかって、口あんぐりとこっちを見ている気が抜けたようなブラジル水兵に目を向けると、気の毒ながら、非力の貧乏神に粟田口(あわたぐち)義弘(よしひろ)の大業物(おおわざもの)*をかつがせたような観があって、せっかく恐縮しかけた恐怖の観念がムラムラと謀反を起こし、なんだ見かけ倒しの砲(ほう)がと、すっかり馬鹿にしてしまう。

* 粟田口(あわたぐち)は鎌倉時代の京都・粟田口周辺で活動した有名な刀工の一派の名称で、代表格は粟田口国吉。義弘は南北朝時代の名刀工、郷義弘。
江戸時代、日本刀はその切れ味に応じて最上大業物、大業物、良業物、業物……と格付けされた。

も一つ奥にある大きな長方形の堡砦(ほうさい)は、子供のとき戦争画で見た田庄台(でんしょうだい)*のような角張った建物で、砲台にして移民検疫所を兼ねているという。これらの砲台は主として水平線掃射用のいわゆる海堡(かいほう)なるもので、その威力もたいしたものではないが、独り入口の左側に屹立するバンダスカル(海抜千フィート余)の頂上には、有力なる射距離を有する陸軍砲があるとのことである。

* 田庄台(でんしょうだい): 日清戦争で日本軍が上陸した中国・山東半島北側の遼河平原にある地名。
当時、戦争画(錦絵)をさかんに描いた小林清親に『田庄台攻撃占領之図』がある。

ぼくらの船がこれらの大砲の巣の中を恐れ気もなく進み入って、はるか右舷船首に霞がかったミナス・ゲラエス、サンパウロという二艦のド級戦闘艦が見えてきたころ、待ちあぐねた水先案内船が来た。ところが、その船には例のブラジル軍艦旗がひるがえって、夢二式の想像に富んだ大きな潤んだ目と、中肉中背の気持ちよく整える体躯を持った一人の海軍士官が、流暢(りゅうちょう)な英語で船長に呼びかけて、さわやかに本船の錨地(びょうち)を教え、望みとあらば自分自身が水先案内をしようとすこぶる慇懃(いんぎん)に歓迎の第一声を吐露(とろ)する。

こうなると人間は勝手なもので、この士官がますますなつかしくありがたく、なんとなく立派な識見と裏表のないしっかりした性格の持ち主であるように思われて、その色白で鼻が高く、華麗(きゃしゃ)な顔立ちが流暢(りゅうちょう)な英語と相まって心にしみじみと映ってくる。

このブラジル艦隊の旗艦ミナス・ゲラエスから特派された好感のもてる士官の案内で、軍艦サンパウロと並んでフェリー埠頭の前面に碇泊(ていはく)し終わったのは十時半。

船長はさっそくお礼にブラジル旗艦(きかん)に出かけるやら、藤田代理行使の来船やら、港務官、検疫官の退船やら一時はなかなか大騒ぎであった。

ちなみに、リオでは水先案内という者が特別には配置されていないのだが、それほどに水深は深く(平均五十フィート)、水道は広く、港口は安全で、出入りは至極無難であるが、他に比類ないすばやい潮流(しお)があって、大いに船乗りを苦しめている。

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